いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

なんと言っても粛々と日課をやるだけ

今週のお題「やる気が出ない」

 

まさに今。今日起きた瞬間からやる気がでない。すごくだるい。なぜなのか。

夜中に何回も目が覚めた。それが理由であることは間違いない。

なんであんなに目が覚めたのか。蒸し暑かったからか。筋トレで身体が痛くて寝返りしまくったからか。

どんな理由であれ今日はもう始まっている。

ただ粛々と同じ毎日を繰り返すだけ。ちょっと違うのは今日は月曜日であるということ。

昨日までは休日だったけど、今日は仕事の日。

だからやる気が起きないのか。それは仕方ない。週の5日はその繰り返し。月の20日はその繰り返し。年の240日はその繰り返し。そうか年間の2/3は僕はやる気が起きていないらしい。

逆に言うとこれは中々すごいことやな。なんということでしょうか。それで人生楽しいのか?でもここで自問自答を繰り返しても答えが出ないことはもう既に実証済みだからやる気のないことを掘り下げても仕方ないし、殊更にやる気がないと嘆いても仕方がない。

今何がしたいかが大事であって、やる気がないかどうかは最早どうでもいい。

やる気がないのは体質なのであって、汗かきと大差ないぐらいのこと。

ベースにやる気がないというところがあるので、今更それをどうのこうの言ったって仕方ないし、バリバリやる気がある人と比べたって仕方がない。

それは直毛の人に憧れを持っているちり毛の人と変わりがない。ちなみに僕はちり毛です。しかも生まれつきのちり毛ではなく、後天的な方のちり毛です。いつの間にかちり毛になりました。そんな悲しい?エピソードもありますが、それ嘆き続けても仕方がないのでいつの間にか辞めました。というか特に意識もせずにいつの間にかそれが当たり前になっていたので、別に悩みでもなんでもありません。

だからやる気がないことも最近は悩みではなくなりました。確かに批判されるべき対象になるかもしれません。「あいつはやる気がない」だの「だから成長しない」だの周囲から言われている可能性は大いにありますが、なんとも思いません。体質だから仕方がないのです。そういうものだと思えば、先ほどのちり毛と同じでなんとも思いません。

頭の毛がちり毛で悩む人はもしかしたらいるかもしれませんが、陰毛がちり毛であっても悩む人いませんよね。どちらかというとそっちかもしれません。人の見ていない部分であっても、それが標準であるとするなら、特に気にならない。そういうやつです。

やる気のなさをどれほど嘆いてもそれはそれなんですよ。実際どうにもならないと思います。

やる気がある人はそれが当たり前だからやる気ある。直毛なんですよ陰毛が。

でもやる気がない人は陰毛がちり毛であることを悩んでいる。でもそんなの体質だから当たり前だと思える様になったら、別に悩むことないですよね。

やる気がないってその程度のことで、どれほどやる気がない人だってメシは食うし、糞もするし、オシッコだってする。やる気がないと言いながら、やる気がないとは言える訳で、やれているこもあるんですよ。だからやる気がないのはただ言っているだけで、やる気があることに対してやる気は出るので、ただやりくないことに対してやる気がないと言っているだけ。ただそれだけ。やる気がないからなんだっていう話ですよ。結局は。

だから僕もやる気がないのではなく、仕事が嫌なだけで、仕事以外のことはなんでもやりたいんですよね。だってやる気がないと言いながらいつの間にかこんなにもたくさんの文字を入力することができている。

そんなもんじゃないかなと最近思えるようになったので、朝一番に一番やりたいことを持ってくるようにしています。

なのでどれだけしんどくても朝は目が覚めるようになりました。一番やりたいことを朝一番に持ってきているのでどうしても起きるしかない。というか起きたくなる。そういう取り組みというか日課が大事なんでしょうね。

今のところは僕はそのように思っている次第です。

坂口恭平さんありがとう。恭平さんのおかげで今のところやれているような気がする。もちろん妻のおかげで今の生活があるので、恭平さんよりも妻に感謝している訳で、どうにか今の生活を続けたいと思っています。

もっと違う仕事が出来ればもっともっと朝起きるのが早くなるかもしれないし、朝が来るのが楽しみでしかないから、もっと夜は早く寝たくなるかもしれない。

やりたいこと=希望かもしれない。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。