いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

意味も目的もないものに人は興味を示さない。

僕の書く文章は大体が暗い。

人を幸せにするような文章ではない。

うわー読んで良かったなと思えるようなものはない。

なんでかなと思う。

もちろん僕がネクラであるということは大きな要因の一つ。

他に考えれるのは、意味が特になく、まとまりがないから。

メッセージが中に含まれないからだと思う。

そういうのって人は結構嫌うんじゃないかな。

しかもどこの馬の骨かわからないような人間が書く文章であれば尚更。

 

わかりやすい文章で、何を目的として書かれているかが明確であると、

読もうと思う意欲も湧くかもしれない。

有名な人の文章であれば、多少意味わからなくても読むだろうし。

どの要素もない僕の文章はおそらく読むに値しない。

そういう前提で書かれている文章だと余計に人は読まない。

にも関わらず書いている。

 

僕の闇の部分がこの文章には多く含まれているから、

読む人を遠ざけているんだと思う。

でも人って結構闇の部分てあると思う。

それを普段出さないようにしているのだと思う。

闇というのは必ずしも暴力的なことではなく、

ちょっと人とは違う変な癖とか、物の見方が偏っているとか、

そんな部分も含めて人には見せない部分というのは誰しもある。

 

そこは見せない方がお互い気持ちよく過ごせるから見せないんだと思っている。

そういうのをここで書いてしまっているから少し気持ち悪がられるんだと思う。

 

誰かに気持ち悪がられた訳ではないけど、

最近書いている文章が気持ち悪いなと感じてきたから、

今日はこんな感じの内容になっています。

 

改めて自分の文章のことについて考えている訳ですが、

事前に書くことを決めずに描き始めるからまとまりがない。

僕の書き方としては、今ふと思ったのは、書くというより、

延々と頭の中に湧いている独り言を文章にしているだけ。

独り言ってそんなまとまりないですよね。

というか一般的にこんなに長いこと独り言話すことないですかね。

独り言というとちょっとまた暗い感じするから、

ラジオだと思ってください。

生放送の。

それだとまとまりがなくても仕方がないかなと思えるかな。

ラジオでもなんの方向性もないラジオってないですもんね。

何か方向性がないと聞かないもんな。それこそ超有名なDJでもないと。

 

結局そういうことなんですよ。

人って意味すごい求めるんですよね。

意味のない行為ってほんまに意味がないと思っていて、

意味がないものを無価値だと思うんですよね。

だからすごく疲れるんんだと思うんです。

意味求めるってすごくしんどくないですか。

ドラマや映画とかで描かれるとどうしてもそういうとこ強調されるじゃないですか。

例えば何かの才能を持った主人公が不慮の事故でその才能を失ってしまって、

才能がない俺にはもはや生きている価値なんてないんだ的な。

まあ本人にとってはそうかもしれないけど、世界全体の中から見れば、

別にその主人公の才能が発揮出来ようが出来まいがそんなに元々意味ないんですよ。

だからそこまで自分を追い込む必要ないんですよ。

仮に意味はないかもしれないけど、別に意味なんかなくても無価値ではない。

というかそもそもが生きていることに価値も無価値もないわけで、

そこに評価は必要ないと僕は思うんです。

でもそんなこと言っちゃうと辛い人には辛いんですもんね。

その辺を表現することが難しいですよね。

 

だから今のところ僕は無意味で無価値なことを続けているのかもしれない。

意味や価値は無くても生きていけるというのが分かれば少しでも楽になると

自分にわかって欲しいからですね。

僕はどうしても意味や価値とかいうものにすごく縛られています。

なんでもかんでも評価することから始めてしまいます。

しかもこんな僕の価値基準で。

そういうところから変えていきたいということですね。

テキトーにだって生きていけるということを理解したい。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。