いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

テキトーに自閉するとちょうどいい。

テキトーに書いて来ていつの間にか今日ので99記事目。

何やかんやですごいなと自分で思う。毎日これだけ書くことがたくさんあるんだと。でも思えばほとんど自分の経験を書いているだけなので、そんなに大したことないと言えば大したことない。だって僕が生まれてからもうすぐ36年になるのですが、文字数だけで言えばとんでもない数の文字数と出会ってきていると思う。経験を文字数で表現するの意味わからんけど。1分間で数100文字ぐらい話できるんですかね。忘れてしまった、1分スピーチ職場の朝礼で勝手にやってた時に調べたんやけどな。そうそう、前職で朝礼で勝手に3分スピーチやってたんですよ。ほぼ毎日あれ何カ月やったのかな。1カ月ぐらいやったかな。下手したらもうちょっとやったかも。ちょっといいですかと、明日から毎日スピーチしていいですかと。もちろん目的はあって、何か月後かに会社全体の事例報告とか部署のアピールみたいなことをやるとかいうイベントがあって。それは会社ないだけではなくて、社外の人も招いて会社紹介するみたいなイベント。そこで僕が所属している部署のことを僕が話をするということになったので、練習する機会が欲しいと思って、朝礼で勝手に始めました。こいつ何言ってるんやろみたいな感じで周囲からは見られていました。頑張って毎日人前で面白いそうなネタを考えて、話していました。

だから1分で数100文字話せるということは、僕はこれまでに36年か生きてきたので、

36年=36×365=13140日

13140日=13140×24=315360時間

315360時間=315360×60=18921600分

ってなるのかな計算が正しいかよくわかりませんが。

ということは、文字数にすると

1分=200文字とかにすると

18921600×200=3784320000文字ということになります。

良く分からない数字ですけど、でこれを1記事1000文字とすると、

3784320000÷1000=3784320記事

ってことになるんじゃないですか。

ということは僕は今日で99記事目とさっき言いました。

これから毎日1記事ずつ書き続けたとして3784320日かけると言うことですよね。

最早なんの計算をしているのかよくわからなくなっています。

3784320日とは年に換算すると、

3784320÷365=10368年

?????????

この計算あってんのかな。ほんまに何を書いているのか全く分からなくなってきましたが。もしこの計算が意味のある計算だとしたら、僕は死ぬまで飽きることなく、毎日文字を書き続けることができるということになり。これは幸せなことです。文章書くことが好きな僕にとっては何事にも代え難いことだと思います。ネタが尽きることがないということですよね。つまり。それだけ毎日いろいろなことが起きているはずなのに、情報を他に入れる必要があるのかなということが結論的には出てくるわけですよ。僕の場合は。何を言いたいかと言うと。特に言いたいことがあるわけではないですけど、劇的な毎日ではなくても文章で表現するとなると膨大な文字数を僕は毎日経験している訳です。いやどういう意味?意味わかりませんけど。そうですよね。今もこうやって文章を書いている時に、「外で車がブーンと走って行きました。たぶん軽自動車のようなエンジン音だったと思います。結構回転数上げてたんじゃないかな。」みたいな意味のわからん文章ができあがる訳です。経験している訳です。だから何なのか?いや何の意味もありませんけど。ちょっと気をつけたらその辺に色々と転がっているなと。興味の対象がということです。

意識を少し違うことに向けたらいくらでも興味の源泉はある訳で。その興味の源泉って別になんでも良いと思います。

昨日だって僕はお気に入りのコーヒー豆屋さん。こんなジャンルのお店があるのかしれんけど。そしてお気に入りと言いつつも、まだ豆を買ったのは2回目の店なんですが。

その店で焙煎しているウガンダのコーヒー豆を買いました。今まで飲んだことなくて美味しいんです。豆で買っているものですから、飲むためには豆を挽かないといけません。そうすると何で挽くのか調べますよね。調べてみると機械で挽くのか、人力で挽くのかという選択肢が出てきました。どちらが自分にあっているのか選択しますよね。そこでまた調べますよね。どちらか選んだら次はその道具、所謂ミルですが、そのミルは色々なメーカーがありますから、どこのメーカーが良いのかどういう特徴があるのかとか。まあ調べ出したらキリがないぐらいに色々と情報があふれている訳です。まあこれは全てインターネットに接続して調査している訳ですから、僕も完全にインターネットを断つことはできません。便利だから。でもこうやって興味対象を軸に情報を得ようとすると無駄な映えとかあんまり目に入りにくい。僕はコーヒーを美味しく淹れるために調べているので余計な情報が入りにくい。能動的に行動しているので、なんかたのしいんですよ。でもただSNSをひたすら見ているだけだとそういう気持ちには中々慣れない。あとはテレビも同じ。テレビを見ていても能動的に何かをやっているという感じは全くない。そうなると見終わったあとに何も残らなくて、何やってたんやろってなる訳ですね。僕はそうやって多くの時間を過ごしてきました。でもテレビ大好きですよ。

能動的に何かをやるということがやっぱり大事なんだなと思います。すごく楽しいです。だって能動的にやるということはやりたくてやっている訳で、義務感もないし辞めたかったら辞めたらいいし。飽きればやめたらいいだけ。飽きることに否定的な気持ち湧きません。あー飽きっぽいって自虐的に言ってたけど、実はそう思ってないですね。人前で言う時に何も続いていないと言うことがすごくマイナスに思っていたけど、自分で決断して始める・辞めるって選択できていたということですね。

今日は何を言っているのでしょうか。計算しだしたところからまあまあおかしくなっていましたね。ここまで文章を書いてきた訳ですが、タイトルをまだ決めていませんでした。今日のタイトルをどうしましょうかね。

僕はいつもタイトル、テキトーなんですよ。だからタイトルと文章が結構関係ないことになってしまったすることもあるんです。というかほとんどそうかもしれない。タイトルって多くの人に読んでもらおうと思うと結構大事だと思うんですよね。でもそう思ってないからいつもテキトー。ということで今日のタイトルはテキトーに自閉するってことにします。

ここのところ自閉するということがテーマのような感じになっているけど、決してそうではありません。とりあえずめんどいから自閉という言葉を使っているだけで特に意味はありません。でも書いているとなんとなく自閉と関係がありそうな文章も出てきます。予期せず出てきます。それがまた面白いですよね。やっぱりどこかで意識ている部分もあるかもしれません。無意識ですけどね。そういうのが自然とでてくるから文章を書くのは面白いのかもしれません。昨日確か独り言がひどいって言ったのを思い出しましたが、壮大な独り言をずっと書いているのかもしれません。でもそれぐらい人って色々と勝手に言葉出てきていると思うんですけどね。僕は実際に声に出して言うのが苦手なのでこうやって文章を書いている訳ですが、現実世界で声に出して言えている人は別に必要ない世界だとは思いますが、文字の世界というのは誰にでも開かれていると思うからありがたいなと最近つくづく思います。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

と無理矢理今日もこの辺で終わります。

いつも最後終わらせ方がよくわかりません。

実際には終わってないですもんね。

明日も今日の続きですからね。

よくわからんけど。