いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

応募動機

拝啓 坂口恭平

私は昨日あなたが部屋の整理を行っている時に偶然出てきたという、本が欲しいです。

あげると言われたから反射的に欲しいと思ったというのが事実であり、応募方法等特に深く考えることもなく、速攻でTwitterでDMしてしまいました。

そこに面白さを求められているとは全く想像しておらず、とりあえず早いのが良いのかなと思ってDMでしかも、内容はよく吟味せずに送りました。

浅はかだったと思います。

昨年から何かをきっかけにあなたのTwitterに辿りつき、Youtube京都大学の山極総長との対談を見てから猛烈に興味を持ち、そこからは毎日流れてくるTLでのあなたの発言に心躍らされ。著書も色々と買い、動画配信なども見てさながらファンのような態度であなたのことを見ていました。

にも関わらず、本あげると言われたら、欲しいと思ってしまいました。

ファンなら買えよと。後に思いました。買うのが筋ではないかと。

それでもあの時はなぜか衝動的に欲しいと思ってしまったんです。

仕方ない人間ってそういうもんだと思うんです。浅はかなんだと思うんです。

だから僕は今日までこうやってのうのうと生きて来られたのかなと思っています。

非躁鬱人の僕はあなたのように振る舞うようなことに少々憧れを持っています。

毎日きっちりと生きることが大事だと思うのと同時にはっちゃけるというのか、感情が大きく揺れるというのか、勢いでガッっと何かに取り組むようなことに憧れを持っていました。

何かに対して情熱を傾けることは少なく、平凡に生きてきました。

それが当たり前だと思い生きてきました。それが普通だと。

でもあなたの著書やTwitterでの発言には普通などという言葉は存在せず。やりたいことはなんですか?好きなことはなんですか?それだけをやればいいと。

今までの私の人生を打ち砕くような。打ち砕くと壊れしまって立ち直れないから、この表現はおかしいな。

なんというか、全く発想が違う、違う方向から見ているというのか、独自に編み出した処世術というのか、まあ全く違うんですよ。

言葉を並べれば並べるほど陳腐になって悲しいですが。とりあえず思いはあるということです。

いろんなことが本当に衝撃的過ぎて、心奪われています。

男から心奪われると言われてもちょっと気持ち悪いかもしれませんが。というか書いている僕もちょっと気持ち悪いなとも思っています。

それでももうちょっと僕の本が欲しいという思いを書かせて欲しいです。

恭平さんの本を始めて読んだのは自分の薬をつくるでした。あれは面白かった診察風にやっているところがすごく面白くて、悩みの解決の仕方が独特であんなふうにも僕も恭平さんに診察をしてもらいたいなと思いました。でもだいたいの悩みがあそこに出てきた人たちと大差はないので、あの内容をヒントに自力で解決しろよということになりますよね。そのための本であったんだから当然ですよね。何を言っているんだと。本当にしっかりと読んだのかと言われても仕方がないですよね。

そのあとに苦しい時は電話してを読みました。どんな内容だったのか。でも読んだ後にちょっと楽になったような気はする。

そこからcook、pastel、まとまらない人、現実宿り、建設現場、現実脱出論、ゼロから始める都市型狩猟採集生活、独立国家の作り方、坂口恭平躁鬱日記、お金の学校、躁鬱大学という感じでどんどん恭平さんの著書を読んでいきました。

だから何って話なのですが、今まで一人の著者でここまで多くの書籍を続けて読んだことがなかった。

そこまで著者本人に興味を持つことがなかったと言う方が正しいかもしれない。

作品に興味を持っても、単発で継続的にその著者を追うという経験がなかった。

これまで読んだ本の著者がここまで全面的に前にでてくるというのを見たことが無かったからかな。

作品に興味があるというより、作者そのもの興味関心が芽生えて、この人はどんなものの見方をしているのかというところに興味が湧くようになった。

そうかそうやって視野を広げていくといいのか。作品から著者の視点を探り、どうやったら現実世界で生きる自分の糧にできるかということか。

それを今また気づくことができました。ありがとうございます。

そうなんです。恭平さんはいろんなところにヒントを蒔いてくれていて、それを拾っていくと言う作業を僕はやっているのかと思う。

即時効果は正直ないです。というか即時効果のあるようなものをそもそも恭平さんは提案していないのかな。

だからそれが良いのかもしれない。特に僕みたいにどうしても答えだけを知りたいような人にとっては恭平さんの作品はいいのかも。答えだけ書いているような本はインスタントの食品みたいですぐできるけど、ただそれだけで継続的に心の支えにはなりにくい。その場限り。後味というのか余韻というのか、そういうものがないので、またすぐに求めて自分でなんとかしようという気持ちが無くなってしまう。

こうやって文章を毎日ダラダラと書いているのも恭平さんの影響で、毎日ちょっとずつ何かを継続的にやればいいと書いてあった。毎日ちょっとずつって簡単なようで結構ハードルが高い。本当にこれでいいのかなとか、やってて意味があるのかなと問いたくなる時がある。

でも意味があるとかないとか言う前に、それ以上に大事なのが自分がやりたいかどうかということで、やりたいことがあればそれは意味がないことであっても、すごく大事なことだし。生きていく上でそれ以上に大事なことなんてないとも言える。

意味があるからと言ってやりたくないことをずっと続けていると窮屈になってきて、しんどくなる。それは続かないし、続けない方がいい。そう教えてもらったように思う。

でも実際生活しているとそんなにきれいに割りきれない。やりたくないことをやらないといけないこともあって、そこにもまた苦しむ。

 

あ、もうこんな時間や。また明日応募動機を書くことにしよう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。