いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

無駄なことはしたくない。

よーいドンで書きたいのにパソコンの起動が遅く、ネットの繋がりも悪いからいつも時間がかかってストレスでしかない。

これは本当にパソコンを買い換える時期が来ているのではないかと思っている、しかし買い換えると多額の出費を伴う。

起動が早くなるだけのために多額の出費を受け入れる訳にはいかない。

起動が遅いのが嫌なら、今こうやって書いているようにiPhoneで書くと言う行為を代替手段として受け入れるしかない。

これならただで起動の速さを得ることができる。

今のところこの方法を時々やるしかないと思っている。

お金があればなと思うけど、あったらあったで無駄遣いするから今ぐらいがちょうど良いのかもしれない。

お金は腐ることがないので、いくらあっても良いんだけど、僕みたいにお金の使い方がわかってない奴がお金を持つと死に金なってしまいそうだから程よい態度がちょうどいい。

お金があったら無限に無駄遣いすると思う。

なんでも気になったものは買うし、移動は常にハイヤーと飛行機か新幹線になると思う。

家も別荘も買うし。

ひたすらに海外旅行も行きまくる。

服は一回来たらもう着ないだろうし、食事は家で食べることもなくなる。

良いことは何もないので、程よい金額だけ手元にあって程よい生活を送ることがちょうどいい。身の丈にあった生活をするのがいいのだと思う。

無駄なもの手にしててもどうせ使わないし、下手な使い方するから物は最低限で暮らしたい。

その上さらに生活ですることも出来るだけ減らしたい。

生活の基本は家事だと思うけど、家事だけやってもいいような暮らしがしたい。

むしろ家事中心でいい。

無駄なことはしたくない。

生きる上で必要なことだけやっていたい。

だから仕事もできたらしたくない。

そんな生活をどうにか送るために今があると思っている。

まあそんな簡単にはいかないだろうけど。

究極は食って寝るだけの生活でも良いと思っている。

あとはその辺を散策して一日が終わるみたいな。

そんな生活に憧れる。

日々季節の変化を感じながら、のんびりと暮らす。

老後の生活言われているものを先取りしたい。

それが1番の幸せではないかと思うから。

 

今日はこの辺で。

やること決めといた方が楽

昨日の夜は窓を閉め切って寝た。

それぐらい夜は涼しくなっている。

いつの間にか長袖・長ズボンで寝ているし。

どんどん秋らしくなっている。

日中の暑さも湿度が少なく、過ごしやすい。

日差しも心なしか穏やかになってきている。

このままどんどんと秋になって欲しい。

望むべくは日中も長袖で過ごせるぐらいに早くなって欲しい。

秋から春が一番いい。

夏だけがどうにかしてもっと短くなって欲しい。

夏はひと月もあれば十分だと思っている。

それぐらいの刹那感があった方が、夏が名残惜しくなる。

今のところ夏は早く去って欲しい存在でしかない。

 

計画性とは無縁の人生を送ってきて先のことを決めたことがなかった。

でも最近日々の暮らしの中で思うことは、決まったことをやる方が楽。

散々その生活を拒否してきたけど、やっぱり決まったことだけをする方がいいみたい。

その中で勝手に自分で変化を付けたらいいだけなんだとようやく理解した。

やること決めるのが正直怖かったけど、決めた方が身体が楽だと分かった。

平日と週末で生活リズムが違うので、いつも週明けがしんどく感じていた。

しんどい理由が仕事が嫌いだからだと思ってたけど、実は違って、ただ生活リズムの変化に身体が対応していなかったと言うことだけだった。

最近はその変化をちょっとずつ減らしているので、日曜・月曜の嫌い感が減っている。

なんだこんなことかと思うけど、本当に今まで違っている。

そんな単純なことが変化を与えるとは思ってなかった。

こういう当たり前の事って強調されにくくて、もっとテクニカルなことばかりがもてはやされている。

それに見事に踊らされているのが僕なのですが、世の中でも結構そうじゃないかなとも思っている。

僕は世の中の人たちと同じように暮らしていると思っているので、僕のような発想をしている人は多くいると思う。

そんな同胞たちに伝えたい。

大事なことは当たり前の事であり、特別なことをすることではない。と

凡事徹底であったり、基本が大事だとか言われるけど、そんなことわかってるわいと思いながら、右から左へと流していた。

重要なことはもっとインパクトがあることで、当たり前のことをやっていても僕の生活は変わらないと思っていた。

でもインパクトがあることが必要な場面はごく少なくて、当たり前のことをやっている時間の方が圧倒的に長い。

そうであるならば当たり前のことを丁寧にやった方が効果としては圧倒的に高い。

そう言ったことをたぶん周りの大人は押してくれていたと思うけど、僕は全無視してきたのだと思う。

だから上の人から教えてもらえなかったのだと思う。

よくわかった。

 

刺激の強さを求めるのが僕の性ではあるのだけど、それだけでは暮らせない。

平常があってこそ刺激がある。

刺激ばかりでは続かない。

それが僕である。

刺激を求めまくって、その結果何も面白くなくなった。

刺激はたまにで平常に集中することで身体が楽になる。

ドーパミン的幸福を重視し過ぎて、身体が疲弊していたのだと思う。

オキシトシン的幸福を重視して、まずは穏やかな生活を求めて行きたい。

ベースが決まればあとは何やったっていいと思っている。

そこを蔑ろにしてきたがために、僕は今こうやって苦しんでいる。

アラフォーにしてようやく理解できた。

アラフォーで気づけて良かったと思う。

何歳なってからでも方針転換は出来るけど、今で良かった。

僕の人生あと50年ほど続くけど、このタイミングで良かった。

 

まずは日課を安定させること。

これに尽きる。

10年後の現実に向けて日課を充実させていく。

決めたことをただひたすらにやっていく。

それだけ。

それで人生を終えることができたら何よりだと思う。

それ以上のことはない。

なぜならその日課は僕が決めたもので、それがしたいことなのだから。

したいことをし続けて、生きて行くことができたら本望だ。

そのためには固執せず、柔軟に日課を改造していくことも大事。

合わない日課もあるみたいなので、体質にあった日課を充実させていこう。

 

朝日が昇ってきたから今日はこの辺で。

今日もけっこういい感じ

爽やかな朝。

ほんのりした朝焼け。

虫の鳴き声。

今日も休みのようなゆったり感。

しかし今日は月曜。

それでも昨日に引き続き結構調子良い。

先週と比べれば雲泥の差とはまさにこのこと。

程よくうんこも出たし、スタートは結構いい。

パソコンの機嫌がまた悪く、今日もiPhoneから。

出来たらこの格好では描きたくないのだけど、まあ仕方がない。

お互いに調子の良し悪しはある。

そう思っておこう。

機会とて完璧とは言えない。

そう考えるとなんでも許せる。

機会が完璧ではないのに人間が完璧な訳無い。

まあ完璧ではない人間が作る機械だから完璧な機械などないと言った方が正しいような気もする。

まあなんでもいいんだけど。

とりあえず今日はけっこういい感じ。

毎日これやったら言うことない。

毎日けっこういいって、かなり良いってことやと思ってる。

完璧を目指さず、けっこういいを目指そう。

そうしたら毎日が充実する。

iPhoneで仰向けで書いてるから、しんどいし今日はこの辺にしよ。

今日は日曜なのに調子がいい。

なんとなく久しぶりに綺麗な空が窓から見えている。

先週もそうだったのかもしれないけど、調子が悪すぎて全く朝の空を見ていない。

夏の空と全然違う。

何が違うかと聞かれたら具体的な言葉は浮かびにくい。

ふぁーっとしている。

夏の空の始まりもそうか。

じゃあ夏と秋と何が違うんか。

虫の鳴き声がまず違う。

夏はセミがすごい。音で見え方が変わるのかと思うけど、臨場感ってそういうことなんかな。しらんけど。

秋の虫も確かにうるさいけど、奥行き感あるというか、セミの声みたいに向かってくる感じがない。空間に音が放たれている感じというのか。BGM感があるような感じ。

セミはライブ感なのかな。やたらとやかましい音を鳴り響かせてくる。

セミエレキギターで秋の虫はクラッシックで使うような弦楽器のような感じかな。しらんけど。

まあそんな感じで音によって見え方が違っているだけかもしれないけど、とりあえず今日の空は最高。

気持ち良過ぎる。

明け方は寒かったけど、それもまた気持ちがいい。

もうすぐ半そでの季節が終わるかな。

早く終わって欲しい。

半そでの服ってなんかあんまり好きになれない。

腕短いからかな。自分の場合見た感じがどうしてもダサく見える。

そもそもがイケてる服を着ていないというのは前提としてあるにせよ、それでも半そではあんまり似合っている感じがしない。

あんまり肌を露出したくないのかな。

なんか好きになれない。不思議。

夏という季節に対してもあんまり良い印象もないからかもしれない。

 

秋に変わりようやく僕の季節がやってくる。

郷愁漂う季節というのか。

切なさを運んでくるこのひんやりとした風。

最高じゃないですか。こんな風を僕は毎日浴びていたい。

懐かしむような思いでは別にないけど、秋生まれと言うことで特に秋を贔屓している。

秋は何か特別なことが起こりそうな感じがしている。

そういう期待感があるところが好き。

共感を感じない人の方が多いような気がするけど、秋は期待の季節。

秋は別に何か悪いことが起きてもそれは季節のせいのような感じがして、流せる。

切ない風が吹いているから、そう感じるのかもしれない。

あの心の中まで吹いているような爽やかでひんやりとした風が全てを通過させてくれるような感じがある。停滞して濁るような感じがない。常に流れているような感じがある。秋はそういう空気を感じる。

そういうところが好きなのかも。

夏とのギャップがすごいから、好きかも。

他の季節と季節の間はそんなに差はないけど、夏のあのうっとうしい感じから一気に爽やかになる感じ。あの差が僕は好きなのかもしれない。

いわゆるギャップ萌えというやつか。

たぶん使い方間違っているけど、要するにそういう感じ。

それが秋を好きになったきっかけかもしれない。しらんけど。

 

何かを好きになるきっかけなんてわからないし、後付けの場合が多いのではないかと思うし、後付けできれいにした方が美談になるからいいのかもしれない。

きっかけなんてなんでもいい。好きになったらそれでいい。

別にきっかけなんて聞く必要あるのかなとも思うけど、人はそこに興味が湧くようで、やたらとそこを聞きたがる。

聞いてどうするのと思うけど、理由を聞くのが好きみたい。

こんなこと言っている僕も初対面の人には色々と理由を聞いているかもしれない。

でもその理由が本当かどうかはわからないから、別になんでもいい。たぶん会話の中でのつなぎとして、話題を拡げるために聞くのかもしれない。

それに聞かれた方としては自分に興味を持ったと思うようで、理由を聞くと色々と話をしてくれることが多い。

そういうもんか。

そんなに理由について色々と考えを巡らす必要はないか。

でもふとした時にやりたいと思ったってことの方が多いように思うから、別にそこまで殊更に理由を聞く必要はないと思う。

自分がきっかけだと思っていることよりも以前に何か出来事があったから、そのきっかけに辿り着いたのであって、本人は気づいていないことも多いのではないかな。

よくわからないけど、そんな感じがする。

 

どうでもいいことを今日も書いてみた。

最近は以前より読んでくれている人が多いのか、ちょっと人の目が気になっている。

人の目は実際には見えていないのに変な表現になるけど、読まれているのかと思うとちょっとそういう気になる。

実際になくてもそう感じることがある。

人間の感覚というのはおかしいなと思うけど、それが人間らしさなのかもしれない。

実際にはないのにあるように感じる。

らしさであり、それが人間を苦しめている元凶であるようにも思う。

感覚が豊かというのか、鋭敏ではないけど豊か。

優れはないけど、豊富というのか。

人間の感覚は自然界ではかなり劣っているのではないかと思う。

だからテクノロジーが必要なのだろうと思う。

今テクノロジーが一気に姿を消したら大半の人がすぐに死んでしまうんだろうなと思う。

それだけ感覚を蔑ろにしていると思う。

だからと言って僕が何か啓発したいことは特にないのだけど、たぶんそう。

でも自然に回帰しろとかは全く思わない。

使えるものは使ったらいいと思う。

便利さを求めすぎてはいけないとかいう人もいるけど。

求めることの何が悪いのかと聞きたい。

便利さを追求していくことが全ての人が平等に暮らせる方法だと思う。

平等を取るなら便利さは絶対に外せない。

でもどちらかしか選択できないというのも辛い話。

どちらも選択できる世の中であってほしい。

でないと僕みたいなどっちつかずの人間は生きにくい。

絶対にこれでないとならないという信念は僕にはない。

ないのか持たないようにしているのかはわからないけど、一点集中できない。

分散している。

意識というか集中力というのか感覚というのかはわからないけど、分散している。

分裂はしてないけど。

固まってない。

かと言って空気のように散らばっている訳でもない。

水っぽいのかな。

液体もあれば個体もあり霧状にもなる。

決まった形がない。

かと言って柔軟ではない。

という感じのメンタルです。

 

今日は調子がいいからどんどん書ける。

でもやりすぎると疲れるからこの辺にしておく。

 

終わりの言葉を何にしようか考えているけど、それ自体を止めにしてどこかテキトーなところで区切りを付けずに終わるというようにしたい。

一定程度で飽きるのが常

飽きる。

そう常に僕の人生に付きまとうもの。

どうしても飽きる。

何をやっても飽きる。

どうしたら継続するのかがよくわからない。

継続の仕方を教えて欲しい。

特に熱狂して始めたものほど飽きる。

あれはいったい何なのか。

どういう現象が起こっているのか。

まあここでその正体を明かしたい訳でもなく。

ただ純粋に疑問に思うだけ。

今まで継続出来ているのは生きていることだけ。

生きていることだけは今のところ飽きない。

飽きるというのがないのだと思っている。

初期設定でそのようになっているらしい。

これは僕の場合なので、他の人は違う設定になっている可能性がある。

初期設定の違いによってその後の結果が大きく異なるような気がする。

初期設定なので生まれた時点を言うのではなくて、何か新しいことを始めた時にどのような設定を施すかと言うことでその後の結果が違うのかもしれない。

僕が生まれた時にはどのような初期設定が施されたのかはわからないが、飽きるというのは施されていないみたいだ。

だから初期設定をすることによって継続性が出てくるのかもしれない。

でもどのようにして設定するのかを僕は把握していない。

たぶんその方法さえわかればなんとかなるのだろうけど、死ぬまで続けたいと思ったことは今のところ何もないので、たぶん初期設定の方法を調べることはしないと思う。

だってめんどくさいから。

そんなことやったって結局続く訳もないのだから、そんなことに時間を割くぐらいだったら別のその場だけ楽しいことをやっていた方がよっぽどいい。

 

なんかよくわからないけど、たぶん現状には満足しているようだ。

満足しているからこそ別の方法を学ぼうとしていないのだと思う。

必死さが今の僕にはない。

現状を打破しようとしたら必死さが自然と湧いてくる。

湧かないと言うことは僕は現在安楽に生活出来ているという証拠でもある。

こうやってしか、今の現状を思い知る機会がないのが残念だ。

日々生活をしていて、今すごい安楽と思うことはあまりない。

噛みしめる様にして生活をしていない。

でもそんなことをわざわざことあるごとにしなくてもこうやって書けば現状把握がいとも簡単に出来る。

普段はそんなに意識して今満足しているなんて思う必要はないのかなと思う。

振り返ってようやくわかる程度で十分。

そのかわり振り返る時間はしっかりと確保していることは重要だと思う。

 

そんなこと書きながらなぜ飽きるのかを必死に考えないようにしている。

頭とは本当に頭がいい。

僕が真剣に何かしようとするとすぐに何か別なものに意識を向けようとしてくる。

真剣に取り組み仕組みを解き明かされるのが嫌らしい。

普段と同じことをずっと永遠とやって欲しいようだ。

それが頭にとっては一番都合がいい。

ずっと同じが一番ストレスが少ないからだ。

そのくせすぐに飽きる。

 

なるほど飽きるというのは頭に対しての僕なりの生存戦略なのかもしれない。

頭はずっと同じがいい、変化を望んでいない。ただ漫然と日々を過ごし頭を使わせないようにするのが仕事。そしてそれが僕のためには一番だと思っている。確信犯としてそのようにさせているの。

そしてそれに対して、それは違うとアンチテーゼを僕は唱える。

飽きるという行為が僕の日々に彩を与えてくれる訳だ。

なるほど。すごく理解できたし。

すごく感謝できる。

なんと感動的なストーリーだろう。

お互いにお互いを思い合っている。

なんとかその両方が僕のためになってくれるといいなと思う。

 

飽きるということが自体が行為なっているのかと思うと少し嬉しくなる。

初期設定として僕のために組み込まれた一つのシステムなのかと思うと愛おしい。

これから人に飽きやすい性格であるというのを胸を張って言えそうだ。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

 

この締めの言葉そろそろ飽きてきたのだやめようかな。

次の言葉が出現してくるまで一旦今日で辞めにしよう。

やる気が湧く時と湧かない時と。

だいぶ涼しくなっている。

朝晩は過ごしやすい。

日中も殺人的な暑さは過ぎ去った。

身体の重さは夏バテの名残か。

それとも真面目にやろうとすることに対しての身体からの抵抗か。

どちらにしろ寝起きの身体は重い。

月曜に比べたらましになっている。

これは週末が近づいていることが影響しているかも。

というか絶対そう。

週明けに一番調子が悪く、週末が一番いい。

これは間違いなく仕事に行きたくない病。

それは今に始まったことではないけど、今週は顕著だった。

これほどまでに仕事に行きたくないかというぐらいに顕著。

真骨頂を発揮した一週間だった。

週末にペース崩すと修正が難しい。

前の週までと比べると大違い。

でもむしろ前の週までが頑張り過ぎてた可能性もある。

調子が良くてそのペースを続けるとあとでリバウンドが来る。

その繰り返しをしているような感じ。

調子がいいと120%出そうとしてくる。

100%いいところを超えてしまう。

それでその後疲れて何もしたくなくなる。

それを繰り返している。

調子いいとテンション上がってしまうのかな。

その辺の抑制がちょっと効きにくい。

未だにコントロール出来ていない。

したいこととやらないといけないことが重なると暴走する。

その上調子がいいと逆にまずい。

とりあえずスローダウンしよう。

そうしないともっとやる気がなくなる。

僕はやる気で生きている。

目標とかそういうのではなくて、やる気。

どこからともなく湧いてくるやる気。

何かがあるから湧いてくるとかではない。

しかし、無限に湧いてくるわけではなく、ある時急に枯渇する。

そしてしばらく湧かなくなる。

かと思いきや急に噴き出すぐらいにやる気が出る時もある。

常にチョロチョロしてればいいのに、それが出来ない。

この辺をコントロール出来ればもっと楽に生きられそうな気がする。

この文章に関しても別に義務ではないので、やめたかったらやめたらいい。

なのにやめようとしない。

これはやりたいからやっている。

やらないといけないことではない。

やらないといけないことをさっさと済ませるともっと楽になるのに。

優先順位を間違っていることが疲れる要因か。

でもやりたいことを減らすことは一番のストレスになる。

それ以上に嫌なことはない。

だから毎日書いているのかもしれない。

幸い今のところ仕事は忙しくないから助かっている。

ずっと今のペースで仕事ができるならなんとかやっていけそう。

だから仕事をおろそかにしてやりたいことを優先している。

それが果たしていいのかどうかはわからないが、無理しないためには仕方がない。

仕事をおろそかにすることは数年後に自分が苦しむというのは分かっている。

というかここ10年ぐらいはその働き方をしてきている。

それが周囲からどのように映っているかは知らない。

でも一時期は頑張り過ぎて仕事が本当に嫌になったので、今のところそれはないからとりあえずよしとしよう。

テンパらないように日々のんびりと穏やかに過ごそう。

そうしないとやる気が枯渇する時がくる。

やる気が枯渇すると元々目標を持ってないから、再起が難しくなる。

とりあえずのんびりと穏やかに。

テキトーに過ごすようにしよう。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

定期的に来るヤツが今来ていると思う

確実にそうだと思う。

今来ている。

あの定期的に来るヤツが。

これさえなければもっと楽に生きられるのにと思う。

最近はなかったような気がしてたから治ったかなと思ってたのに。

定期的に来るヤツ、それは「なんのためにやってるのか?」

という問い。

ひたすらにその問いが頭の中を駆け巡る。

何をしていてもそれが頭の中にある。

今ちょうどそれ。

それが来るとめちゃくちゃめんどくさい。

いちいちうるさいなと思う。

それでも収まらない。

テキトーにあしらうしかない。

たぶん何かしら対処する方法あるのだろうけど、我流で対応している。

そのままにしている。

放置して勝手にどこかに行くのを待っている。

定期的に来るんだったら仕方がないかなと思って、諦める。

そうしていると飽きてどこかに行ってしまう。

無理に色々と答えを出そうとすると疲れるから。

答えを出せなくもないのだけど、めんどくさいからやめた。

一時期は必死に考えて、紙に書いてとかをやっていた。

そうすると夜寝る時間がどんどん削られた。

そこで答えを出した方が良いような気がしていた。

でも実際は答えなんかないものにばかり問いをぶっこんでくる。

そういうのもういいから。

哲学的なこととかもういいからと思って辞めた。

それでいいと思っている。

別にそれに答えを出したからと言って終わる訳ではない。

問いは一生あり続けると思うから、今ここでそこに答えを出しても意味はない。

そう言うものだと思って流すのが一番。

下手に手を出すとあとで痛い目を見る。

 

対処の方法を放置にするだけでも少し楽。

その上でこうやって書くことで、相手にしないと宣言することができる。

相手にはしないけど、宣言はしておかないとズルズルいく。

 

対処としては上手くなったような気がするけど身体は疲れている。

ストレスを感じているのだろうか。

でもその割にはウンコの調子はまずまず。

下痢をすることもないし、うんこが出ずらいこともない。

オリゴ糖を毎日摂取しているからかな。

ウンコの調子がいいのと気分が良いのは別個の問題な気がする。

気分が悪くてもウンコはスッキリでる。

ということはあまり精神的なことに腐心する必要はないということか。

それはそれで置いておいて、身体に集中した方が良いかもしれない。

精神的なことは放っておいて、身体に集中しよう。

身体に集中することで、余計なことを考えなくもなるし。

身体を動かすことで、精神にも良い影響を及ぼすと思う。

だから今は身体の事を見ていようと思う。

たぶんこれからも対応方法は色々と変わるかもしれないけど、試すしかない。

これも答えはないと思っている。

その時々によって必要な方法は変化してくる。

身体のことに関してこれをやってればオッケーなんてことは存在しない。

身体は基本的にはなんでも適応としてくる。

その適応能力があるから生きられるのだけど、適応すると刺激としては認識されない。

だからその都度変化を与えつつ、良い方向に導き続ける必要がある。

導くというかサポートか。

追い風を身体にあてるような感じか。

無理に導くとあまり良いことはなさそう。

身体がどう感じているかというセンサーを機能させる必要がある。

 

今日はちょっと調子がいいみたい。

昨日までよりはなんとか起きられた。

夜中目が覚めて寝れなかった割にはいいかも。

こんな感じを繰り返して身体は保たれるのか。

難しいなと思う。

まあそれが自分の体質だというここと。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。