いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

今日は日曜なのに調子がいい。

なんとなく久しぶりに綺麗な空が窓から見えている。

先週もそうだったのかもしれないけど、調子が悪すぎて全く朝の空を見ていない。

夏の空と全然違う。

何が違うかと聞かれたら具体的な言葉は浮かびにくい。

ふぁーっとしている。

夏の空の始まりもそうか。

じゃあ夏と秋と何が違うんか。

虫の鳴き声がまず違う。

夏はセミがすごい。音で見え方が変わるのかと思うけど、臨場感ってそういうことなんかな。しらんけど。

秋の虫も確かにうるさいけど、奥行き感あるというか、セミの声みたいに向かってくる感じがない。空間に音が放たれている感じというのか。BGM感があるような感じ。

セミはライブ感なのかな。やたらとやかましい音を鳴り響かせてくる。

セミエレキギターで秋の虫はクラッシックで使うような弦楽器のような感じかな。しらんけど。

まあそんな感じで音によって見え方が違っているだけかもしれないけど、とりあえず今日の空は最高。

気持ち良過ぎる。

明け方は寒かったけど、それもまた気持ちがいい。

もうすぐ半そでの季節が終わるかな。

早く終わって欲しい。

半そでの服ってなんかあんまり好きになれない。

腕短いからかな。自分の場合見た感じがどうしてもダサく見える。

そもそもがイケてる服を着ていないというのは前提としてあるにせよ、それでも半そではあんまり似合っている感じがしない。

あんまり肌を露出したくないのかな。

なんか好きになれない。不思議。

夏という季節に対してもあんまり良い印象もないからかもしれない。

 

秋に変わりようやく僕の季節がやってくる。

郷愁漂う季節というのか。

切なさを運んでくるこのひんやりとした風。

最高じゃないですか。こんな風を僕は毎日浴びていたい。

懐かしむような思いでは別にないけど、秋生まれと言うことで特に秋を贔屓している。

秋は何か特別なことが起こりそうな感じがしている。

そういう期待感があるところが好き。

共感を感じない人の方が多いような気がするけど、秋は期待の季節。

秋は別に何か悪いことが起きてもそれは季節のせいのような感じがして、流せる。

切ない風が吹いているから、そう感じるのかもしれない。

あの心の中まで吹いているような爽やかでひんやりとした風が全てを通過させてくれるような感じがある。停滞して濁るような感じがない。常に流れているような感じがある。秋はそういう空気を感じる。

そういうところが好きなのかも。

夏とのギャップがすごいから、好きかも。

他の季節と季節の間はそんなに差はないけど、夏のあのうっとうしい感じから一気に爽やかになる感じ。あの差が僕は好きなのかもしれない。

いわゆるギャップ萌えというやつか。

たぶん使い方間違っているけど、要するにそういう感じ。

それが秋を好きになったきっかけかもしれない。しらんけど。

 

何かを好きになるきっかけなんてわからないし、後付けの場合が多いのではないかと思うし、後付けできれいにした方が美談になるからいいのかもしれない。

きっかけなんてなんでもいい。好きになったらそれでいい。

別にきっかけなんて聞く必要あるのかなとも思うけど、人はそこに興味が湧くようで、やたらとそこを聞きたがる。

聞いてどうするのと思うけど、理由を聞くのが好きみたい。

こんなこと言っている僕も初対面の人には色々と理由を聞いているかもしれない。

でもその理由が本当かどうかはわからないから、別になんでもいい。たぶん会話の中でのつなぎとして、話題を拡げるために聞くのかもしれない。

それに聞かれた方としては自分に興味を持ったと思うようで、理由を聞くと色々と話をしてくれることが多い。

そういうもんか。

そんなに理由について色々と考えを巡らす必要はないか。

でもふとした時にやりたいと思ったってことの方が多いように思うから、別にそこまで殊更に理由を聞く必要はないと思う。

自分がきっかけだと思っていることよりも以前に何か出来事があったから、そのきっかけに辿り着いたのであって、本人は気づいていないことも多いのではないかな。

よくわからないけど、そんな感じがする。

 

どうでもいいことを今日も書いてみた。

最近は以前より読んでくれている人が多いのか、ちょっと人の目が気になっている。

人の目は実際には見えていないのに変な表現になるけど、読まれているのかと思うとちょっとそういう気になる。

実際になくてもそう感じることがある。

人間の感覚というのはおかしいなと思うけど、それが人間らしさなのかもしれない。

実際にはないのにあるように感じる。

らしさであり、それが人間を苦しめている元凶であるようにも思う。

感覚が豊かというのか、鋭敏ではないけど豊か。

優れはないけど、豊富というのか。

人間の感覚は自然界ではかなり劣っているのではないかと思う。

だからテクノロジーが必要なのだろうと思う。

今テクノロジーが一気に姿を消したら大半の人がすぐに死んでしまうんだろうなと思う。

それだけ感覚を蔑ろにしていると思う。

だからと言って僕が何か啓発したいことは特にないのだけど、たぶんそう。

でも自然に回帰しろとかは全く思わない。

使えるものは使ったらいいと思う。

便利さを求めすぎてはいけないとかいう人もいるけど。

求めることの何が悪いのかと聞きたい。

便利さを追求していくことが全ての人が平等に暮らせる方法だと思う。

平等を取るなら便利さは絶対に外せない。

でもどちらかしか選択できないというのも辛い話。

どちらも選択できる世の中であってほしい。

でないと僕みたいなどっちつかずの人間は生きにくい。

絶対にこれでないとならないという信念は僕にはない。

ないのか持たないようにしているのかはわからないけど、一点集中できない。

分散している。

意識というか集中力というのか感覚というのかはわからないけど、分散している。

分裂はしてないけど。

固まってない。

かと言って空気のように散らばっている訳でもない。

水っぽいのかな。

液体もあれば個体もあり霧状にもなる。

決まった形がない。

かと言って柔軟ではない。

という感じのメンタルです。

 

今日は調子がいいからどんどん書ける。

でもやりすぎると疲れるからこの辺にしておく。

 

終わりの言葉を何にしようか考えているけど、それ自体を止めにしてどこかテキトーなところで区切りを付けずに終わるというようにしたい。