いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

やること決めといた方が楽

昨日の夜は窓を閉め切って寝た。

それぐらい夜は涼しくなっている。

いつの間にか長袖・長ズボンで寝ているし。

どんどん秋らしくなっている。

日中の暑さも湿度が少なく、過ごしやすい。

日差しも心なしか穏やかになってきている。

このままどんどんと秋になって欲しい。

望むべくは日中も長袖で過ごせるぐらいに早くなって欲しい。

秋から春が一番いい。

夏だけがどうにかしてもっと短くなって欲しい。

夏はひと月もあれば十分だと思っている。

それぐらいの刹那感があった方が、夏が名残惜しくなる。

今のところ夏は早く去って欲しい存在でしかない。

 

計画性とは無縁の人生を送ってきて先のことを決めたことがなかった。

でも最近日々の暮らしの中で思うことは、決まったことをやる方が楽。

散々その生活を拒否してきたけど、やっぱり決まったことだけをする方がいいみたい。

その中で勝手に自分で変化を付けたらいいだけなんだとようやく理解した。

やること決めるのが正直怖かったけど、決めた方が身体が楽だと分かった。

平日と週末で生活リズムが違うので、いつも週明けがしんどく感じていた。

しんどい理由が仕事が嫌いだからだと思ってたけど、実は違って、ただ生活リズムの変化に身体が対応していなかったと言うことだけだった。

最近はその変化をちょっとずつ減らしているので、日曜・月曜の嫌い感が減っている。

なんだこんなことかと思うけど、本当に今まで違っている。

そんな単純なことが変化を与えるとは思ってなかった。

こういう当たり前の事って強調されにくくて、もっとテクニカルなことばかりがもてはやされている。

それに見事に踊らされているのが僕なのですが、世の中でも結構そうじゃないかなとも思っている。

僕は世の中の人たちと同じように暮らしていると思っているので、僕のような発想をしている人は多くいると思う。

そんな同胞たちに伝えたい。

大事なことは当たり前の事であり、特別なことをすることではない。と

凡事徹底であったり、基本が大事だとか言われるけど、そんなことわかってるわいと思いながら、右から左へと流していた。

重要なことはもっとインパクトがあることで、当たり前のことをやっていても僕の生活は変わらないと思っていた。

でもインパクトがあることが必要な場面はごく少なくて、当たり前のことをやっている時間の方が圧倒的に長い。

そうであるならば当たり前のことを丁寧にやった方が効果としては圧倒的に高い。

そう言ったことをたぶん周りの大人は押してくれていたと思うけど、僕は全無視してきたのだと思う。

だから上の人から教えてもらえなかったのだと思う。

よくわかった。

 

刺激の強さを求めるのが僕の性ではあるのだけど、それだけでは暮らせない。

平常があってこそ刺激がある。

刺激ばかりでは続かない。

それが僕である。

刺激を求めまくって、その結果何も面白くなくなった。

刺激はたまにで平常に集中することで身体が楽になる。

ドーパミン的幸福を重視し過ぎて、身体が疲弊していたのだと思う。

オキシトシン的幸福を重視して、まずは穏やかな生活を求めて行きたい。

ベースが決まればあとは何やったっていいと思っている。

そこを蔑ろにしてきたがために、僕は今こうやって苦しんでいる。

アラフォーにしてようやく理解できた。

アラフォーで気づけて良かったと思う。

何歳なってからでも方針転換は出来るけど、今で良かった。

僕の人生あと50年ほど続くけど、このタイミングで良かった。

 

まずは日課を安定させること。

これに尽きる。

10年後の現実に向けて日課を充実させていく。

決めたことをただひたすらにやっていく。

それだけ。

それで人生を終えることができたら何よりだと思う。

それ以上のことはない。

なぜならその日課は僕が決めたもので、それがしたいことなのだから。

したいことをし続けて、生きて行くことができたら本望だ。

そのためには固執せず、柔軟に日課を改造していくことも大事。

合わない日課もあるみたいなので、体質にあった日課を充実させていこう。

 

朝日が昇ってきたから今日はこの辺で。