昨日かな無能について書いたのは。
無能か無能じゃないかという話だったけど。
どこからが無能でどこからが有能なんだろうとふと思った。
人を無能と有能、怠惰と勤勉の2軸で分類するとポッドキャストの話者は話してたけど。
前提としてなぜその分類をしていたのかもよくわからないな。
何に対しての無能なのかもよくわからない。
話者は自分の優位さを見せるためにそのように話を進めていたのか。
というかそんなこと誰でもわかっているだろうという前提のもと話をしていたのか。
前提を理解できていない時点で無能ってこと?
話の目的というか趣旨を捉えられてなかったのかな。
前段としてみたいな話をしてたけど、労働についての話やったような気がするけど。
結局何を話したかったのか振り返るとよくわからない。
よく話をするひとやったし、結構雄弁に語ってた。
言語化ができる人が有能なということなのか。
たぶん話者は自分を偉い人に見せたいのだなと思う。
だからそんなに気にする必要ないか。
あくまで今回の話は話者の設定した基準での話であり、普遍的な物ではないと思う。
何をもってしての無能なのかということをはっきり言ってなかったし、別にその人に無能と認定されようが別に関係ない。
そこまで気にする話でもなかったように思う。
うん。気にせんとこ。
そう振り返りしない人間やからいちいち他人の言うこと気にしてても仕方がない。
まあこういうところが無能なんだとは思うが、20代の頃と違って自分自身が世の中に何かインパクトを起こせるような人間ではないと理解できているから、細々と世の中の考える幸福とは違って、僕なりに現状をどう捉えるか、どういうことが幸福であるかを認識できていれば問題ない。
他人がどう言おうが最終的には関係ないな。
他人に自分の人生を評価できるわけもないし。
昨日書いておいてよかった。
安心した。
書かなかったらこの結論に達せずもやもやしたまま毎日を過ごすことになってただろうと思う。
5月はなんかすごいバタバタしてまさに5月病かなというぐらいに少し病んでいたかもしれない。
天候が不順なのと重なって心がざわついていたんだろうと思う。
書くことで落ち着けた。
ということはやっぱり言語化できるって大事なんか。
ポッドキャストやってる人すげーな。
言語化できる人最強やな。
できないともっと同じところをぐるぐると回っている。
書くことの効能は大きい。
改めて実感。
これからも頻度は関係なく書いていこう。
天才になりたかったら、恭平さんの言うようにやり続けることが大事だろうけど天才はもう諦めたから、僕のペースでコツコツとやってみよう。
続けることが何よりも大事やし。
人のペースに合わせず。
Good Speed your Speedって誰かが壁に書いてたし。
間違いない。
それが勤勉と言われようと怠惰と言われようと僕なりのペースで。
大丈夫きっとうまくいくよ。