いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ようやく待望の祝日がやってくる

1カ月ぶりの祝日がやってくる。待望です。

やっぱり祝日がないと生きている心地がしないです。

毎週週休二日ではちょっと息抜きには物足りない。

本当は週休三日で働きたいところを今は我慢をして、週休二日で働いている訳なので、祝日ぐらいはいいんじゃないかなと思っています。

むしろ月二回は祝日があってもいいのではないかと思っている。

仕事が嫌なので、休みがないとやっていけない。

じゃあ仕事辞めたらいいって話なんですけど、なかなかやめられない。

誰かに止められている訳ではなくて、今は踏ん切りが中々つきません。

今までだったら、辞めようと思った瞬間に辞表を書き、翌日ぐらいには提出していたけど、今はそういう訳にもいかない。

止めても次があるのは間違いないのだけど、なんとなく今はまだいいかなと先送りにしている。

でもお遍路さんに行きたい気持ちが日に日に増している。

次の働き先があるとさっき言ったけど、若干怪しいとも実は思っている。

年齢的に働かせてくれるところがあるかどうか。

そして、僕の経験年数を受け入れるとしたら教育を求められることが間違いない訳で、そこが出来ない僕は致命的であるのは間違いない。

と言うことは次の保険としてやっておくべきことは、新人や若手を教育できる立場になると言うことだと思う。これが一番の保険になるような気がしてきた。

これが出来れば多分どこへ行っても大丈夫な気がする。実力ではなく、教育的立場としてどのように振る舞えるかと言うところ。

自分が最も苦手としているところにどんどん向かっている。

どうしてなのかといつも思う。

いつも自分が避けようとしている方向にどんどん向かっていく。

死を避けて選んだ職種でも、死と直面する場面が多くあるし。

サラリーマンぽい感じを避けようとするとそっちの方向に向かっていく。

一体僕は何をやっているのだろうかと思う。

先を見据えて行動しろと言われるけど、見ているつもりが全く見てなかった。

ここまで来たら、方向転換できるかどうか不安になってきた。

全く望む方向に向かっていないような気がする。

僕の10年後の現実は坂口恭平さんがnoteにやり方を書いてくれてたので、しっかりと書いた。

僕は22時から5時までねて、起きて2時間書く。そして1時間畑で過ごす。そのあと2時間のコーヒー&読書タイム。そして6時間身体を動かす仕事(マッサージ、ヨガ、SUPなど)をする。その後休憩を1時間挟み。また畑で1時間過ごし、夕食&散歩に行き、風呂入って身体のメンテナンスをするというスケジュールになっている。

これを実現するために今から日課を作って行っている訳だけど、中々その現実に近づいている感じがしない。

まあ一か月前に書いた現実なので、そんな急にそっちの方向に向かう訳はないのだけど、なんか焦っている。

そうかまだ書いて一か月しか経ってないのかと思うと、ちょっと安心する。

とりあえずの日課は描いたから、あとは深めていくだけだなと思っている

現在で言うと22時に寝て5時に起きはすでに現実のものになっていて、これはずっと続いている。こんなに続くなんてすごいことなので、これは称賛に値する。

その後の書く時間に関しては現在は30分程度となっているけど、これも毎日続けていることに感動する。

後やっていることとしては、畑にも週3回ぐらいは行っている。

風呂も週4回であとはシャワー。

メンテナンスは15分ぐらいやれている。

振り返って見ると結構できている。

一か月ですでに3割程度が実現できている。

これは圧倒的なスピードで10年後の現実に近づいている。もっと早くに実現できる可能性もあるので、ちょっとやる気が出ていた。

そんな簡単に意気消沈している場合ではない。

現在から10年後が一続きかどうかはわからないけど、続いている可能性もあるので、これを続けてみよう。

蓄積がどうのこうのと言っていたのがウソみたいに続けて蓄積したくなっている。

この思考の転換の速さは詐欺レベルだ。

前言撤回が甚だしい。

前言とか存在したかどうかもわからない。

今が大事だから、過去に何言ってたかとかどうでもいい。

周囲からしたら、振り回される感ハンパないけど自分の人生だから最早その辺は別にいいのではないかと思う。

経営者だとそうはいかないので、経営者でなくてよかったなと思っている。会社を設立して社員を雇用するなんて改めて向いていないなと思っている。

そうなるとどこでも食っているだけでの技術等々が必要になってくると言う訳か。

経験が上になってきたときに周囲が求めるのは規範になること。

規範とは一体何なのか、教育とは一体何なのかと考えると。

今までにほとんどそう言ったものを見たことも体験したこともない。

と言うか拒否し続けてきたのかもしれない、人から教えてもらうと言うことを。

勝手にマネして、勝手に解釈して生きてきたように思う。

そう考えるとマネして解釈する力は自分にあるのかと思うとそれも感慨深い。

そんな人間になれたのかと思うとほめてあげたい。

オリジナルなど全くない存在ではあるけど、そんな程度の人間だからだそれでいいのではないか。

オリジナルを殊更に求め続けて疲れるよりも、真似しながら楽に生きた方が僕はいいと思う。ゴールが同じなら、別にオリジナルだろうが、真似だろうがどっちでもいい。

それぐらいに許容範囲が大きくなってきたかもしれない。

今まで流行り方にこだわりがあったけど、そこはもうどうでも良くて、ゴールに達しさえすれば十分に満足が出来る。

そもそもオリジナルとはいったい何のかと思う。僕にとってはそれは幻想にすぎない。そんなもの僕の中から出てくるはずもないので、ちょっと勘違いをしていた。

楽な方法をもっとマネして、気楽に生きた方が気持ちよく生きられると思う。

快活気楽が僕のモットーなので、これは外さずに生きて行きたい。

そのためにはもっともっと楽に生きられるような考え方を身に付けて行きたい。

そんなに難しいことではないように思う。

今まで失敗から学べることは多いように思う。

多分他の人より圧倒的に失敗してきている。

だって計画を立てないから失敗する確率が高いに決まっている。

過去の失敗がようやくいかされようとしているかもしれないことにちょっとテンション上がっている。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。