いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

急速沸騰、急速冷却する心の内をコントロールしたい

また書くことをゆっくりと再会しようと思う。

いつも書きたいと思ったら瞬間最高風速的に、ガーッと一気にやって、すぐに止める。

そんなことを繰り返している。

まあそれも自分らしいと言えば自分らしいのかもしれない。

適正なやり方でやれば大概のものは続くというのに、僕の場合はそれはないみたい。

僕の適正なやり方というのが、ガーッとやって、一瞬で冷める。

だから継続するということが不可能に近い。

あんなに熱を上げていたヨガもクラスが終わった途端に冷静になっている。

全くやらない訳ではなく、ちょこちょこ続けてはいるけど、一時期の熱は冷めている。

これまでひたすらにそれを繰り返している。

当然のこと過ぎて、一つ一つのエピソードを全く覚えてないほど習慣化されている。

こういう人は世のかにもっといるはずで、僕だけが特別な訳ないと思っている。

それでも今のところ全く同意見ですという方にまだお会いしたことがない。

僕みたいな性分というのは、本来恥ずかしいことであり、大っぴらにすることではないのかな。

そうだとするとこうやって書くこと自体が実は恥晒しであり、僕は周囲の人間からしたら露出狂であると認識されている可能性がある。

ただここはほぼクローズな環境であり、誰も僕に意見をすることがない。

言わば、密室の状態で監視カメラは撮影をし続けているが、その映像を誰も見ていない状態で僕が狂人的な振る舞いをひたすらするという、狂気以外の何ものでもないということになる。

まあ狂気だろうと思う。

Twitterならまだ変なこと呟いても何かしら奇跡的に誰かのタイムラインに乗る可能性はある。

でもこのブログは以前こそ、Twitterに記事を載せたりすることもあったけど、今はその行為すら面倒というか、必要性を感じなくなり止めてしまったので、誰かの目に留まる可能性は奇跡に近い。

そんな状態でも書き続けるというのは本当に狂人だと思う。

でも特別な狂人ではなく、世界中に数多存在する狂人の内のごく下級レベルの狂人に過ぎないとは思うけど。

こうやって誰もいない所でも、謙遜している風を装うこと自体がヤバいやつなんだと思う。

とは言え、現実世界においてはある程度一般の人間扱いは受けている。

そうなれば特に問題はないんだと思う。

ここで書いている僕と現実世界における僕。

極端に乖離し始めると危険性はあるかもしれないけど、今のところそれはない。

十分に行ったり来たりを楽しめている。

問題は行ったっきりになることで、どちらかを揺らいでいる内は全く問題ない。

そうやってのらりくらりとやっていけたらそれでいいと思っている。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。