絶不調です。
湿気にやられています。
こんなに体がダルいのは季節のせいなのか?
循環器系に何かしらの問題があるのか?
睡眠時無呼吸症候群になっている可能性もあるかもしれない。
まあ全て自己診断だからなんの根拠もないけど。
とりあえず来週の60分クラスの準備は幅出来ていない。
半年間の集大成ではあるが、ダルすぎて何もする気がしない。
ダルさを理由にやっていないとも言える。
体を動かすのはやってるけど、準備はしてない。
クラスの練習をするのが嫌だから体がダルいという状態を生み出している可能性も十分考えられる。
僕はそういう体質だ。
何かあると何かしらの症状を出したがる。
困った体だも思うけど、体質だから仕方がない。
そのままで良いと体に言うようにしている。
無理に変えようと思っても余計に体に負荷がかなるだけ。
変えようとするエネルギーがもったいとも言える。
徒労に終わるとはまさにこのことだと思う。
無理しない。
そのままでやる。
とりあえず過去に蓄積されたであろう経験がその時に全て奇跡的に抽出されるように願うのが僕の出来ることだと都合よく解釈している。
そう思えると結果がどうかは時の運だったと言える。
言っていいものかどうか怪しい部分はあるけれど、それで自分が楽になれるならいいのではないだろうか。
僕も出来ることはやったんですけどね。
これが今の僕の実力だったんだと思います。と言う覚悟があるかどうかだけじゃないかな。
結果だけで実力を判断するのではなく、それまでの過程を含めて実力だと思うから、そう考えると結果が出なくても納得できるんじゃないかな。
プロセスを重視するって実は慰める余地を残しておくということではないのかなと、今ふと思った。
人は上手く行かなかった時に慰めて欲しいのかもしれない。
やれることはやったって自分で自分を慰めたいんだなきっと。
慰める+納得させるということか。
プロセスを見たら誰でも納得いくはず。
やるだけのことをやった人もそうでない人も。
やるだけのことをやってやりきった人が納得するのはもちろん、やらなかった人もやらなかったんだから上手く行かないのも当たり前だと納得できる。
だから人は結果だけで判断するんじゃないって言うのかもしれないな。
なるほど。
来週の僕は一体どうなっているだろうか、まあどちらにしろ、慰めはあるし、納得も出来るんだから怖がる必要はない。
大丈夫きっと上手くいくよ。