いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ヨガイントラコース19日目を終えて

今日はヨガ哲学とアーサナのアジャストメントが主であまり動くことはなかったです。

やはり物足りない感じがあります。

ヨガ哲学って一体なんなのか本読んでもよくわかってないけど、とりあえずヨガの目標はアーサナいわゆるポーズを上手く取れることではなく、心の作用を止滅させることらしいというのは字面として理解はしたけど、それ以上のことは全くわかっていない。

今バスに乗っているのですが、後ろの席の人が食事をしているらしく、めちゃくちゃ匂いを放ってきて書くことに集中できない。

ヨガではこういう状態から脱するためにやるらしい。

心の作用を止滅するとは、知覚から得られた情報に揺さぶられないということがまず一つあると書かれていたと思う。

ただ現状めちゃくちゃ揺さぶられている。

おそらく後ろの人はたこ焼きかお好み焼きを食している。

ソースと鰹節と紅生姜のハーモニーがマスク越しに強烈に嗅覚に働きかけている。

この1週間夕食断食を行い、今日は10時から食事は何も口にしていない。

こんな苦行があるのかと頭を抱えている。

苦行のことをタパスと呼ぶらしい。

店の前を通る程度であれば、歩き去ってしまえば簡単に環境を変えることが出来、こんなにも心を揺さぶられることはないが、今はバスの中。

あと1時間ここから全く動くことは出来ない。

その中でも心の作用を止滅させる方法はあるのだろうか?

あるなら教えて欲しいがこんなに具体的な場面を想定した、ヨガ哲学などある訳もなく。

ヨガ哲学は身動きが取れない空腹の状況では、全く無力であると実感した。

とは言えまだ熟読した訳ではなく、未熟な人間だからかもしれない。

食事に対しての異常なまでの執着がそうさせている。

執着こそが心の平穏を妨げる。

確かそんなことも書いてあった、解脱者からすればなんてことない行であったとしても。

関西人、空腹、密室、近距離でのお好み焼き臭という無限コンボの前では初学者というのはあまりにも脆く、苦行でしかない。

こんなところで自分の未熟さを知ることになるとは夢にも思わなかった。

さすがヨガは実践の哲学であると呼ばれる所以である。

実践してこそ効用があると。

頭の中で幾ら理解しても、幾ら理論武装をして、相手を論破出来たとしても、行動としてそれが実践できるかは全く別の話である。

机上の空論では何も起こらないし、心の作用を止滅させることなど夢のまた夢である。

 

帰りのバスの中でここまでの学びがあろうとは、今日は良き学びを得た1日でした。

感謝。

 

大丈夫きっと上手くいくよ。