いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

暇だから生きる意味を考える

僕の場合はきっとそう。

なんとなくぼやっと生きているから意味とか理由を感じるんだだろうなと思う。

必死に生きなくてもなんとかなっているから、その余白というか隙間に余計な思考が紛れ込んでくるのだろうと。

僕がそうなだけで、他の人がそうなのかはよくわからないけど。

生きる意味がわかるということは生まれてきたことにも意味があって、死ぬ時にも意味がないと辻褄が合わないから考えるだけ無駄とわかっているけど、考えてしまう。

何かの意味を求めることは関連することにも意味づけをしないと本当に意味づけしたことにはならないと思うから、結局意味を求めても疲れて途中で止めてしまう。

途中でやめるとそれまで考えた内容を全部忘れてしまうので、また最初から考えてしまう。

いっそのことトコトンまで考えてみたらいいんだろうけど、暇だからやってるだけで、熱意を持ってないから途中で止めてしまう。

生きる意味を考えるのに熱意が必要かどうかはわからないけど、余程の根性がないと答えのない答えを出すことは難しいと思う。

それにそこまで根性があったら、こんなこと必死に考えてない。

無限のループに身を置きたいだけで、結局心底答えを求めてないから答えが出ない。

答えが出ることをやろうとすると上手くいったかどうかがはっきりわかる。

でも答えが出ないことをやってると上手くいってるのかが曖昧だから逃げ道がある。

逃げるために答えがないことをひたすら続けているのだと僕は思っている。

結論としては難しいこと考えるのは暇だからで、成果を求められるのが嫌だから答えのないことを追い続けるのだと思う。

それだけ平和な日常を送り、平々凡々と生きられることに本当は感謝しないといけないけど、悩んでいるふりをして、素直になれないだけなのだろうと最近は思っている。

拗らせるのは良くない典型だなとも思う。

素直に心が赴くままに生きられたらどれだけ気持ちがいいのかなと考えはするけどらこれはクセの問題で中々脱却できない。

とりあえず暇な状態を解消しようかな。

でもそれは困るから、しばらくは現状のぬるま湯に浸かっておこう。