いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

無理にやってみる

だんだんと朝が暗い。

先週ぐらいまでは朝起きた時に空が明るかったけど、

今日は曇っているせいもあって暗い。

だんだんと朝が暗くなって、季節の変化を感じる。

季節の変化によって身体も変化しているように感じる。

季節の変わり目を今までは意識したことがないけど、少しだるい。

だるいのは暑い時からだからあんまり変わって内容にも思うけど、なんかだるい。

これは仕事に行きたくない病が出ているからかもしれない。

本当は仕事行きたくないけど、なんとかやっている。

メシを食うためにやっている。

メシのタネが他にあれば働かなくてもいいのにと思いつつズルズル働いている。

それでも10年以上続いていることに感心している。

ここ数年は今までにないぐらいに仕事に対しての熱意を失っている。

元々熱意があったのかと聞かれると怪しい部分もある。

学生時代は熱意はあったけど、就職してからそれは全て消えた。

それでもやりたい職業ではあったからなんとかやれていた。

それでもやはり気持ちは続かず、一旦仕事から離れた。

その時ほど気持ちが楽になったことはない。

別の仕事に就こうと思っていた。

それでも他にやりたい仕事がその当時なかった。

選択肢としては今の仕事しかなかったので、結局今もやっている。

継続してやれていること自体は良いのかもしれないが、気持ちはそれに反して離れていく。

こんなこともあるのかと思うけど、実際にそうだから仕方がない。

継続していれば仕事に愛着が湧いてくるなんて言う人もいたけど、決してそればかりではない。そうじゃないパターンもあるのだと自らの体験で実感した。

人それぞれだし、先人の言葉が必ずしも自分に当てはまるとは限らない。

もちろん参考にすることも大事だけど、自らの体験・体感の方がより大事なのではないかと感じている。

今は仕事に関しては情熱はなく、とりあえず無難にこなすことに一生懸命になっている。ただそれだけ。

他の人に迷惑をかけないように。

そして職場で目立たないように気配を消している。

そうやってひっそりと仕事をしている。

それが今の自分のスタイルに合っている。

ペースを極力変えない。

完全なマイペースで仕事をさせてもらっている。

内容的にはマイペースではあるけど、そもそもの仕事がしたくないという前提で考えると致し方がない。

相当な努力を強いていると僕は感じている。

やりたくないことをやっているのにそこからさらにギアを上げろと言われてもどうしようもない。

すでに最善を尽くしているのだから。

 

そんな仕事に対してなんとか行けるようにするために、どんな状況であってもまずブログを書くことにしている。

むしろそのような状況がなければブログをこれほどまでに毎日続けられていないかもしれにあ。

なんとか起きるための手段としてブログを書いている。

無理にやることによって奮い立たせているという方が正しい。

ダラダラと起きると余計に仕事に行きたくなくなるので、ブログという目的を果たすために起床することを可能にしている。

たぶんブログ辞めたら仕事も辞めると思う。

それぐらいの存在になっている。

元気になるには癒しでは無理だと昨日坂口恭平さんが言ってた。

しんどい時、辛い時というのは自律神経の働きが極端に弱まり、そのような状態の中でさらに副交感神経が優位になっているから、癒しだけだとさらに副交感神経優位になってそこから復活出来ないんだろうなと思った。

何か自発的に取り組みたくなることを設ける必要がある。周囲からサポートを受けることも大事だけど、自分の内側から何かが湧き上がってこない限り浮上出来ないと言うことかな。

僕にはそれが文章を書くことで、文章を書いていると何かよいことが頭に浮かんでくるわけではなくて、徐々にエンジンが温められて動き出す前のアイドリング状態になっている感じ。

そうするとなんとか動ける。

今の僕はこうやって無理にでもとりあえず行動をさせるきっかけがないと仕事に足が向かなくなっている。

早めに切り上げたいと思いつつも中々行動に移せない自分がもどかしい。

そこも一歩無理に動いてみてもいいのかもしれないな。

 

今日はこの辺で。