いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

僕は面白いと思う

おはようございます。

今日も懲りずに頭の中のラジオ局です。

今日も最高に気持ちい朝を迎えていますね。

鳥、虫、蛙の声がこだましています。

虫の中でもセミがこの時期は主張がすごいのですが、まだこの時間はおやすみのようで穏やかな時間帯です。

昨日の昼に屋外に出ましたが、朝とは全く違う世界ですね。

正に灼熱です。あの暑さでは屋外では何もする気がしませんね。

それでも近所では部活や少年野球などスポーツされてました。

体調大丈夫かなと心配になります。

暑い時期は屋内で出来るようなトレーニングに切り替えるとか早朝や日が沈んでからしか運動してはいけないと制限を付けてしまってもいいのかなと思います。

体調と言うか死に直結するぐらいの暑さだと思うので、選手たちが心配になります。

指導者はその辺り何も触れないのかな?

それとも時間帯が極端だと仮定に負担がかかるから止めておこうとなるのかな。

それ考えるんだったら、一度アンケートでも取って意識調査をしたらいいのになと思うけど、本当に対策を取らないと大変なことになると思う。休憩を多めにとるとかそういう問題ではなくて、気温が高い中での運動は中止した方が良いと思う。

僕が現役時代はそんな配慮は無くて、ウォーミングアップから死ぬほど走らされた。あれですべての集中力を失われ、何もする気が無くなる。あとの練習はぼんやりと惰性の練習になる。多分指導者としては、暑い時期を想定して暑さで集中力が切れた時にも対応できるようにとやっていたのかもしれない。でもそれちゃんと説明せんと子供は理解できないと思うし、そんな根性論でどうにかなる問題でもない。しかもそんなこと毎日やって何の意味があるのか。たまにやって、どんな状態に自分がなるのかと言うことを認識させるだけで十分に意味はあると思う。あれはただの体罰だったとしか思えない。

本当に暑い中で運動をする皆さんにはお気を付けいただきたいと思います。

 

連休も今日から後半ですね。

昨日は夕方から畑でBBQをしてきました。

開始当初は暑いかなと思いましたが、風も吹き徐々に気温も下がり快適な環境でBBQができました。

ちょっと連休ぽいことしたけど、楽しい時間はあっという間ですね。

なんとも寂しいような気がする。

あとの2日全力で楽しみたいと思います。

 

でも日常と非日常を区別し過ぎるとどちらになってもしんどく感じると言うことは最近分かってきた。

日課としては大きく変えない方が良い。

特に生活リズムに関しては特別に気を使いながら、やった方が良い。

どこかに出かけたとしても朝は5時に起きて夜は22時に寝るという流れは変えない方が良い。でないと疲れる。

何が生活の中で一番身体のダメージが大きいかと言うと睡眠時間と生活リズムだと思う。

逆に言うとそこが確保されているとあとは何したっていい。

というか僕にとっては何よりも優先されることはそこだと思う。

そこを蔑ろにすると一気に体調崩す。

最近自分の特徴がわかってきた。

毎日同じリズムで生活することが何よりも大事であると言うことが。

結構テキトーなキャラで通ってきたので、きっちりしているとか一定のリズムでというのが向いていないと思っていたけど、全然そんなことはなくて、毎日同じでいいのだというのが分かってきた。

それでも十分に生活の面白さを感じられる。

変化の富んだ生活というものはリズムを無視して、全くの対極にある変則性が重要だと思っていた。むしろ変則性こそが変化の富んだ生活や生き方であると思っていたけど、別にそんなところに面白さは内容だと言うことに気づいた。

毎日同じでも自分の捉え方次第でいくらでも変化を生み出すことが出来る。

当たり前のことだけど、毎日違う。

昨日の自分と今日の自分は全く別人であると言うこと。

人格はある程度翌日に持ち越されているし、記憶も継続性があるように感じている。

でも身体は全く別人である。

実際にはどうかしらないけど、おそらく別人である。

記憶を継続しているから同一人物のように感じているかもしれないけど、別人。

なんとなくそう思うし、誰かがそんな風に言ってて確かにそんな感じがするとその時から思うようになった。

そう考えるとなんとなく気が楽になったからそう思うようになったと言った方が正しいかもしれない。

なんとなくその理論が自分にはハマったのだと思う。

 

自分にハマる考え方が世の中に存在するかどうかだと思っている。

それは別に全くオリジナルである必要性は全くない。

誰かの考え方をパクってそれがしっくりくるならそれでいいと思う。

自分が身に付けているもので全くのオリジナルなんてないんだから、考え方だけは自分のオリジナルでなければならないなんておかしい。

そこ気にするんやったら、今着ている服脱いだ方がいい。

服という概念すら捨てて、違うもの探すか作り出した方が良いと思う。

考え方ってその程度のもんだと思う。

生きるための指針というのもそんなものでいいと思う。

いつ変わってもいいと思うし。

信念と硬くする必要もない。

一生一方向を向いて生きて行くなんて凡人には不可能だと言うことに気づいた方が良い。

人類の大半はというか99%は凡人と考えた方が良いかなと最近は思っている。

もっとかな99.999999999%ぐらいは凡人だと思えると気が楽になる。

何者でもなただの凡人だと早く気付いてほしい。

発信が出来てしまうとちょっと勘違いしてしまうのかもしれない。

浮かれてはいけない。

あなたは他人から評価を得られるような人間ではない。

ただの凡人だと気付けたら楽になれる。

情緒がありそうな言葉を呟いているとしてもあなたにそんな情緒はない。

むしろ世に問うだけの発言力もない。

たまたま今は発信ができるだけで、あなたの言葉を聞きたい人など別にいない。

そう思うとどうでもいいと思える。

好き勝手に言ってたらいいと思う。

誰に何かを求める訳ではなくて、自分で書きたいことを書くだけ。

凄く楽になれるんじゃないかな。

 

と自分自身に言っておく。

僕が面白いと思ったらそれでいい。そこで十分完結する。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。