いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

天候や季節を気にするような年齢になってきた。

否定的な思考はどこから生まれてくるのか。

別に求めてないのに自然と湧き上がってくる。

否定的な思考ほどどんどん湧き上がってくる。

それに対して肯定的な思考は意識的でないと出てこない。

これは僕の特性であるのか、それとも人間の特性なのか。

季節的にそういう気分になりやすいと言うのもあるのかな。

これまで季節の影響は全く意識したことがなかったけど、ここ数年季節の変わり目や季節によっては精神面がやや不安定になると感じることがある。

これが季節の影響かと今まで感じなかったのが不思議なぐらいに感じている。

あと天候にも左右されている。

天候不良の日は気分がどんよりしている。

それも今までもあったのかもしれないけど、特に意識はしたことがなかった。

もしかして周囲は感じていたかもしれないけど、僕一人が自分の精神状態に気づけていなかったのかもしれない。

だとするとどれほど多くの人に迷惑をかけて来たのかとゾッとする。

周囲に迷惑を掛けないようにと思って、生きてきたつもりだったけど、実は周りに気を使わせるだけの存在だったのかもしれない。

そう思うとなんという邪魔な存在だったのか、そんな人間は僕が最も忌避するタイプの人間なので、最悪である。

気分の浮き沈みがはげしい人間を遠ざけるように生きてきた。でもそれは僕のフィルターを通してみていた人物像なので、実際はどうかはわからない。

勝手な僕の色眼鏡でその人を捉えていたかもしれない。

しかも自分ことを認識できもしない人間が、そのように見るとは何たる思い上がりかとも思う。勘違いも甚だしい。

こう振り返ると僕はなんとめんどくさい人間だったのかと思う。恥ずかしさしかない。過去にお世話になった人たちに会わせる顔がないし、会おうと伝える勇気もない。

どのように悪影響を与えていたか知りたい気持ちもあるが、実際は無理だと思う。

これから出会う人たちに還元するしか方法はないように思う。

今更どの面下げて行けと言うのか。

とりあえず目の前の事象に対応することから始めよう。

どうしても思考が飛躍してしまい、現実に目の前にあることから遠ざかろうとする。

そうした方が一時的に楽になれるからという理由だけでの行動である。場当たり的な行動が僕の今を苦しめている。

分かってはいるけど、そこから逃れることが出来ない。

そうやってぐるぐると同じ場所を回っている。

建設的に物事進めていくと言う能力に欠けている。

 

こうやって、否定の渦に巻き込まれていく。

本当になんでなんだろうと思う。

自信がないからなのか?

でもそんな短絡的なことではない。

むしろ自信が無ければ行動すればいい話。

ただ単純に他社と比較して、負けるかもしれないと変に頑張っているから否定するという無駄な行為に走っているのかもしれない。

自分がしょうもない人間であるという自覚がまずないから、落ち込むことがあるのは間違いない。

出来る人間である。人より優れているのだと言う勘違いがまずそこにはある。

誰よりも下だと言う認識あれば、アドバイスをもらうことだってできるし、今やるべきことが見えてくる。

 

とも思うが、それでは僕の生き方とちょっと違うような気もする。

コツコツ積み上げるタイプの人間ではそもそもない。

計画的に物事進めるタイプの人間でもない。

ノリや雰囲気でここまで生きてきたので、その部分を大事にしながら、生きて行きたいと思っている。まあでもこの部分に関しては意識しなくても勝手に出てくるから、殊更に強調する必要はないのかもしれない。

意識すべきは何だろうか。

こういうのってたぶん20代でやっておくことだと思っていて、40を前にした人間が悩むことではないと思っている。

いくら僕の成長が遅く、中学2年ぐらいから身体が成長してきたと言っても、さすがに40前までにずっと若い頃に悩むようなことに囚われて言い訳がない。

でも同世代の人はどんな心持ちで生きているのかちょっと気になる。

SNSを見ていると活躍が報告されているのはほとんどが20代。30代がちょこちょこ。それをすぎると全く報告がされていない。

30代以降はわざわざアピールしないと言うことなのかな。

逆にダサい感じになるということ?

よくわからないけど、僕は20代の活躍を見て未だに焦燥感を感じている。

悔しいのかな。過去の僕の20代と比較して、くそーっと思ったりしているのかな。

なんと恥の多いことよ。

どこまで小物なのかと驚くばかり。

こうやってブログを書いている辺りがちょっとイケてない感も出している。

周りでブログを書いているなんて聞いたことがない。

同年代の人は仕事と家族との時間で精一杯で余白なんて生活にない。

僕はありがたいことに余白が結構あって、自由に使える時間が多い。

なのでこんなにしょうもないことを考える時間がある。

おそらく仕事と家族で精一杯の人は考える暇もなくひたすら動いているのだろう。

それは素晴らしいことだと思う。目の前のことに懸命になっていると言うことだから。

そうなれるのが理想なのかもしれない。

しかも僕みたいな小物だとそうした方が身の丈に合っているのかもしれない。

 

そう思いつつも満足できないのが、僕と言う人間です。

本当にめんどくさいんですよね。

ある程度のところで満足すればいいのにと思うけど、次から次へと欲求が出てくる。

それが向上心であればいいけど、心ではなく結果が欲しいからタチが悪い。

対して行動してないのに結果だけ欲しいタイプ。

それでは上手くいかないのは目に見ているんだけど、一向に反省する様子はなく、これまでやり過ごしてきた。

振り返って見るともっとできたと思うことはたくさんあるけど、今のところ後悔はしてない。

たぶんこのまま死ぬまで同じようなマインドで生きていくとは思っている。

迷いながら突き進み死んでいくと思う。

まあ僕の人生そんなもんだと思っている。この部分においては別に卑下している訳でもなく、妥協しているとか言った否定的な思いではなく。

僕の性分としてはそうだと言うこと。とりあえずやってみる。ただそれだけ。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。