未だにこれという健康管理方法が見つかってない。
最近ではとりあえず22時就寝、5時起床という生活リズムを決めて、日課をこなすということは出来たからベースは出来ている。
あとは肉付けをどうするかということをやるだけにはなっているので、以前よりは気持ちは楽。
自分の好きなことをすればいいのだけど、まだそれがみつかってない。
その間ちょっと食べ過ぎがあって、腹具合があまり良くない。
そのために3日前から夕食断食をしている。
これが自分に合っているかどうかはまだわからない。
過去にも実践したことはあって、数日だけで終わることもあれば、1週間続いたこともある。
今回も1週間の予定で始めた。
これをすることで、腸の疲労を回復すること目的としている。
開始して3日経ったが果たして効果があるのか判断がし辛い。
お腹が軽くなったような気がするし、身体が軽いような気もする。
排便もスムーズだけど、ガスのにおいは変わらず臭い。
便が滞留しているのかなと思う。
1週間はちょっと短いような気もする。
身体の変化を感じるのは2週間ぐらい経たないと分かりにくいような印象。
ほんとはそれぐらいやった方がいいような気もするけど、僕は食べるのが好きなので2週間はちょっと長いかな。これが逆にストレスになって腹具合が悪くなる可能性がある。ちょうど良いというのが中々出来ない。
どうやってその辺りを探っていけばいいのかがわからない。
これまでも色々試して、判断に困ることが多い。
どうなれば成功かということと自分の適当な量や期間など。
これに関してはかなりの個人差があるので、他人の意見はあんまり参考にならないと思っている。
何かの方法を学ぶことは大事だけど、その適合具合がどうなのかという判断基準がない。
個々に関しては自力でどうにかして見つける必要がある。
一番重要なのは方法ではなく、やはり判断基準つまり評価方法ではないかと思う。
アウトプットこそが判断基準の一番だと思っている。
でもどうやってアウトプットしたらいいのかがわからない。
とりあえず身体から出るものとしては、うんこ、おしっこ、屁、汗、臭気、唾液、涙、声、身体の動き。
こんなものかな。これを定量化して判断基準とすること大事なのかも。
でも定量化する方法というのがよくわからない。
うんこに関してはとりあえず、回数か量はかなりの目分量でしかないけど、それも一つ。色と形も、浮き具合とかも含まれるのかな。
おしっこもうんこと同様か。回数はわかる。量はうんこ以上に目分量。流れているから量を把握することはかなり困難を極める。出具合も大事な気がする、勢いがあるのか、出始め、終わりのキレの良さも見た方が良さそう。
屁に関しても回数は大事かな。でもこれに関しては回数はかなり計測が難しいような気がするし、回数の基準というものをあまり目にしたことがないように思う。ということはあまり重要視されていないのかも。でも臭いは大事じゃないかな。便の性状がある程度予測できるような気がしている。
汗は定量化することは難しいが、どのような環境でかいたのかが重要な気がする。温度・湿度。あとは精神的な状況もどうだったかとかも大事。あと汗をかいた部位も大事。熱の放散だけではなく、ストレスを強く感じたとしても汗はでるから。部位を知ることで熱の放散かストレスなのかが分かるような気がする。
臭気...
ここまで書いてきたけどもうすでにめんどくさくなってきた。
なんでも良いような気がしている。
あまりに細かく調べ過ぎても自分の場合めんどくさくなって、たぶん辞める。
もっと絞らないとやらない。
何を基準としたらいいのか。
この辺機械に任せると良いような気もするけど、それやってしまうと自分自身の感覚が低下するような気がするから辞めた方が良さそう。
もちろん脳が錯覚を起こして、間違った印象を持つ可能性も確かにある。
まあでもそれはそれで自然に起きたことだから仕方がないと思った方が良いような気もする。
この辺りをどう捉えたらいいかわからない。
自分自身では結構上手いこと行っているような感覚があっても実はそうではなかったみたいな経験をしたことが何度もあるので、その辺りをどう補正するのかということが重要であるような気もする。
そもそも健康と言うのは明確な判断基準と言うのはないような気がしてきた。
健康は幻想ではないか。
病気と対立構造を作りあげるためにあるただ一つの対象でしかないのかもしれない。
病気が忌避の対象となるように、その存在がより悪く際立つようにするための要素でしかないような気がしてきた。
ただの幻想ではないか?
今の世の中において健康を作るということがそんなに重要ではないように思う。
そこはある程度保障されているような気もする。
だから殊更に健康と言うことを追い求めても既に獲得できている訳だから、何も得るものはない。
そうじゃなくて、もっと違うところに目を向けることの方がよっぽど健康的と言えるのかもしれない。
ある種健康を求めることで、病気に近づいているということもあるのではないか。
他人の作った健康感を享受しようと、必死になってそれがストレスの素になっているということも考えられる。
自分なりに元気だし、楽しいと思えることが大事なような気もする。
日課というのは自分の身体にあった生活を見つけることだから、それに合うように身体の状態も整えていくことだ一番の近道かもしれない。
結局日課が身体の良い状態を導く方法なのか。
散々こねくり回した結果、こんな結論がでた。
これで納得して日課作りに身が入る。
やっぱり一度自分の中でよく噛んで味わってみないとわからないことだらけ。
聞くだけ、読むだけでは自分の身にはならない。
とりあえず身体に入れて、消化して、吐き出すまで自分に合っているのかどうかはわからない。
結局試してみないとわからないということ。
凄く当たり前の結論に達してしまって少々残念な気もするけど。
本質というものはそうなのかもしれない。
大丈夫、きっとうまくいくよ。