いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

続・只管打鍵

昨日は珍しく寝つきが非常に悪く、寝ても何度も目が覚めた。

何だったんだろうかと思う。

いつも通りの生活をした月曜。仕事もしてその上、農トレにも行ってきてそれなりに疲れているはずなのに。あれほどまでに眠れないことは最近なかった。

布団に入って1時間は寝れなかった。寝たと思っても目が覚めたら1時間ぐらいしか時計が進んでいなくて、それを3~4回繰り返した。

その割に朝はすっきり目覚めている。起きる時間は特に変わらず、いつもなら書き始めは目が開いているかどうかわからない状態だけど、今日はしっかりと目が開いている、

素晴らしい。

下手な文章と思っているから別に何も思っていないけど、頭がしっかりと働いている方がいいものが書けるのではないかと淡い期待を寄せている訳だけど、頭が働こうが、眠気が強くあろうが僕の頭に浮かぶ言葉は別に変わりは内容だ。

面白くなくてももう少し前向きな言葉並ぶような文章を書きたいものだけど、これまでに蓄積した言葉が後ろ向きなものや、ひねくれたものばかりなので、現在のところはそう言った言葉多く浮かぶ。

これも歴史だなと思って今はそれを吐き出す作業をしている。とりあえず今までの言葉を棚卸ししている最中である。全部吐き出さないと新しい言葉入って来ないので、とりあえず吐いている。

でもインプットが最近は極端に少なくなっているので、言葉が枯渇する可能性もある。

その恐怖におびえながら毎日書いている。いや嘘。おびえてない。むしろ書くことがなくなる日が来ることを待ち望んでいる。その時こそレベルアップの時ではないかと思う、好きなことに困難なことが合わさるときっとレベルアップすると思っている。

今までは好きではないことの困難が多すぎたので、とりあえず生き延びる方法として行動取ってきただけだからレベルアップの兆しが全くと言っていいほどなかった。

なので、文章においては早く困難が訪れることが待ち遠しい。どんな風な状態になるのだろうかとワクワクする。

しかし今のところその兆しも見られない。困難さが全くない。書くことが無いと言う状態がわからない。ひたすらに書くことがあるというか、言葉が出てくる。

そもそも言葉ってそんなに意味があるようには思えないから、消えるはずがない。消える時は脳がおかしくなった時ぐらいではないのかなと思う。脳のトラブルは今のところは感じられないので、万事順調であるようだ。この調子で毎日書き続けよう。何やかんやで最近は原稿用紙6枚分ぐらいは楽に書けるようになっている。

というかそれぐらい書きたくなっている。これからは毎日6枚分書いてみよう。

とりあえず今の僕の目標は難なくたくさん書くと言うことなので、文字数が増えるということは良いことだと言うことにしている。

話をまとめるということには全く重きを置いていない。量が書けないのにいきなりまとめにかかっても仕方がないと思っている。まとめとは内容が充実していてこそ意味があるもので、内容が無いもに対してまとめを始めるとすごく少量のただの意味のない文章になってしまうのでとりあえずはそれを避けたい。

ただただたくさん書くことに特化したブログはこれまでになかったと思う。

みんなは多くの人に見てもらうために様々努力をしているけど、僕はそっちの方に全く向いてない。合理性・効率化が求められる時代に逆行することをやっている。それは誰も読まないだろうと思う。

人が求めるものをやることが大事らしいけど、そんなことこのブログにおいては正直どうでも良い。書くのが好きだからやっているだけで、とりあえず今は書きたい。

人に見せられるような文章が書けるようになったら、人が求める文章を書いていこうと思う。それまではとりあえず早くそしてたくさん書くことを練習したい。そのトレーニングの真っ最中と言うことになる。だから読者が0でも当然で1でも読者があれば最高だと思っている。

そんな気分で書いていると何を書こうなんてことは全く考える余地がない。考えている時間がない。今は何も考えないようにするために書いている。只管打鍵である。ひたすらに打つべし、打つべし。心を費やさず、身体も費やさない。座禅の精神で文字を入力している。現代版写経と言えるかもしれない。見本はないけど。

坐禅ではなく、打禅である。ひたすら打つ。それしかない。雑念などない。雑念が出ればまたここに書くだけでいい。そうやって雑念を手放していけばいい。干渉しない。自然と立ち現れる言葉をそのままにしておけばいい。無念無想。坐禅だって何か言葉は浮かんでくるのだから、こうやって文字を入力していることとさして変わりはない。そんなこと言うと坐禅を探求している人から怒られそうだけど、まあそういうことにここではさせて頂く。只管打鍵。

 

そうこうしている内にやっぱり簡単に原稿用紙5枚分は超えることが出来る。ここま書けるだけの筋肉はついてきているようだ。毎日書くことの成果はすごい。最初は3枚も書けばひーひー行ってたのがウソのようだ。積み重ねるということだけが、才能だと言うのは本当かもしれない。

とりあえず言われたことを素直に受け入れてやってみる。それいか今はないと思っている。これまでのやり方が間違っていたから、僕は上手く行ってなかったみたいなので、自分のやり方はとりあえず捨てるようにしよう。上手く行っている人のマネをひたすらするということに特化していきたい。自分を捨てる必要はなくて、むしろ大事にしながら自分のこれまでのやり方を捨てていく覚悟が必要。習慣を捨てるのは結構勇気がいる。でもそこには失敗も自信も必要がないらしい。ただやるだけ。それだけ。そうすることで楽になれるし、自分を責めることもない。もし仮に上手くいかないことがあれば、やり方を変えるだけで済む。自分と言うハードウェアは変わらないし、変える必要もない。そこはそのままで、やり方と言うソフトウェアをひたすら更新し続けることで上手い方法が見つかると言うことなのかな。まあとりあえず色々やってみる。好きなことをひたすらやってみる。飽きたらやめる。やりたくないことを24時間の中からどんどん減らしていく。それを繰り返していると将来の現実が自分の手元にやってくるということかな。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。