いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

応募動機3

拝啓 坂口恭平

3日目になると正直本が欲しいとかどうでも良くなってきました。

そうなんです。僕は諦めが早いのです。しつこくない。飽きやすい。めんどくさくない。いや、そんなはずはない。本が欲しいです。欲しいからこうやって僕はパソコンを開き、文字を入力しているのです。

この時間だけが僕にとっての至高の時間です。昨日は昼ぐらいからなぜかすごく窮屈になってきました。

午前中はすごく調子がよく、朝ごはんの準備をしたり、畑へ行って草刈りをしたり、疲れて休んで、ご飯を食べに行ったり。

その後からです。急になんか胸が苦しくなってきました。明日には休みが終わると思ったからでしょうか?そんなことはない。最近は日曜日になろうともそんなに辛いと思うことはなくなっています。むしろ平日の方が時間が決まっているので、過ごしやすいとさえ思っています。そんなことではないのです。

昨日は仕事の情報共有のツールを見た瞬間から急に苦しくなってきました。なんというか焦燥感というのか、僕はこの仕事を続けることができるのだろうかとか、また上手くいかないのではないかとか、そんなことがなぜか急に頭をグルグル回り始めたのです。急にです。前はこういうことすごくあって、こうなると休日だろうとずっとそのことが頭をもたげて、何をやっていても集中できない。やっているつもりでもその場にいないような感覚で、しんどくなってくるんです。地に足ついていない感覚とはまさにそのことで結構なんでも嫌になります。

昨日そうなったのは思いの外草刈りがしんどかったのだと思います。誰でもそうかもしれないけど、疲れていると悪い方に考えがちです。最近は夜なぜか良く目が覚めることが多くて、疲れが蓄積したのもあったかもしれません。

これも誰でもそうかもしれないけど、肉体疲労より脳疲労の方が身体にこたえます。最近肉体疲労する時間がないので、脳疲労の方が多くなっているかもしれません。

こんな悪条件のもと昨日は肉体疲労が重なりちょっと気持ちが重くなっていたのかもしれません。

そんなに気にすることでもないし、なぜそこまで焦燥感を感じているのかはよくわかりませんが、とにかく感じた。子供の時もそういうことが結構あって、急にみぞおちのあたりがくーっと熱くなるというか、圧迫感を感じると言うか。みぞおちのあたりの中の方から引っ張られているような、縮んでいくような感覚があるのです。

僕にとってはそういう身体感覚が生じる時が一番調子が悪いです。特に肉体的に悪くなさそうでも、そうなった途端に急速に何もすることが無くなり、あーだるいという言葉を発するようになります。何もかもがどうでも良くなります。そうなると大抵するのが受動的に何かをするということです。言葉の意味おかしいけど、僕が何もしなくても時間がすぎるようなことをする。良くあるのが、動画を見る。動画を見ていると気づいたら時間が結構過ぎていることがよくあります。そうなるようにするためにそうしているのですが、そんなことをしてしまうと、さらに後悔の念から余計にだるくなります。

この時間を辞めることが僕にとっては何よりも大事なんだと今気づきました。

こうやって文章を書いている時ってさっき言った身体感覚はだいぶ薄れてきます。そうですね。いや確かにそうなんです。薄れてきているように感じます。良い方向に向かっている感じがする。

やっぱり僕にとってはこの文字を入力すると言う時間は非常に重要であると言うことが認識できました。

去年からこうやって文字を入力することを続けていますが、ここまで効果を感じることはなかったです。というか最近このような精神状態になることがあんまりなかったかもしれません。久しぶりの感覚です。結構身体が参っていたのかもしれません。ようやく気づいたかと言う感じです。悪くなる前に気づけて良かったです。このまま行ったらマジで仕事嫌になる感じで、脳内で勝手にあと1年かな。ってなるやつです。

これは過去に3回経験しています。

仕事嫌になってどんどん仕事に集中できなくなるやつ。何のために今ここにいるんだ思考が頭を埋め尽くして、何も考えられなくなります。そして将来への不安がやってきます。このまま俺は死ぬまでこの仕事を続けるのか?否、辞めて違うことを始めるに決まっている。違うことってなに?俺に出来ることは何かあるか?否、そんなものはないに決まっている。今の仕事を嫌でも続けないといけないに決まっている。

そうやってどんどんグルグル同じ場所を回り続けます。しっぽを追いかけ続けるいぬのっ様にその場をずっと回り続けます。

その時と違う点が一つこうやって文字を入力すると言う技を身に付けることができました。それだけでも大きな違いです。僕は武器を一つ手に入れました。この武器は困難を切り抜けるためにはそんなに大きな役割を果たす武器ではないかもしれないけど、使い続けるとちょっとは良くなるような可能性を秘めているかもしれない。

書いているとどんどん楽しくなって、身体がどんどん動いてくる。ゆらゆら出来るようになる。身体が何かから解放されるような気がする。これだけ身体を解放してくれる方法あ今のところこれしかない。もっと解放してくれる方法を学びたい。何をすれば身体は解放されるのか。

世の中から解放されたいとかそういうは全くないし、自由人になりたいとか20代の時は言ったりしてたけど、自分がなりたかったのは世の中からの自由ではなくて、自分の心から身体を自由にしたかったと言うことかもしれない。こうやって書いている時も書いている間は身体はすごく自由な感じがする。何か思考が挟まると急に身体が硬くなり、重たくなる。

このまま文字を入力し続けたら身体はどんどん解放されるような気がしてきた。

ということはもっと文字を入力した方が良いと言うことかな。

いつもは原稿用紙5枚分で終わるけど既に6枚分を超えている。

久しぶりにこれだけの文字入力をした。

文字数が多い時は重たい時かもしれない。身体が硬く縛られてくるとたくさん入力したくなる。

入力することでない面が出力されてくる。このパソコンは僕の内面がどんどん入力されているので、大丈夫かとしんぱいになるけど、パソコンはそんなこと関係ないもんな。感情がないから、別になんともないもんな。

ちょっとまずい感じになってきたので、ここから恭平さんの本がなぜ欲しいのかを改めて書いていこう。

 

応募動機はやっぱり応募される人が喜ぶような内容がいいと思う。

以前にあなたの本を読んだことがきっかけで、心が軽くなりました。またあなたの本を読んで、もっと元気になりたいとかなんかそんな感じかな。

でもこんな当たり前のこと言っても別になんとも嬉しくもならないような気がする。それに心も籠ってないような感じで、辺り一辺倒な感じが強烈にする。

これはつまらないと言われても仕方がない。

思い出を語る方がイイのかな。「恭平さんと私」みたいなタイトルをつけて、以下に恭平さんも思って来たのか、この1年恭平さんと出会ってから僕の心はあなたにくぎ付けです。これは広がらんなだって、恭平さんと共有している思い出など何もないから。一方的に僕が恭平さんのことをウォッチしてるだけで、ストーカー的に見ているだけで、それなのに「恭平さんと私」なんてタイトルで急に語りだしたら、それこそマジでストーカーと思われて避けられるに違いない。

本をもらえるなら、こんなことをしてみたい。みたいなことなのかな。でも本の内容あんまり理解してないのに、読む前からそんな宣言して大丈夫かな。期待通りの内容が来たとしたら、可能かもしれないけど。僕のような凡人が想像できるような内容を恭平さんが書くはずがないと思うんよな。むしろ想像できるような内容なら、別に欲しくもないし。読みたくもない。想像をはるかに超えるような内容が書いてあるだろうと思えるから、僕は読みたい訳で、どんなことが書いてあるかわからないから気になる。本を読むと言うのは僕の中ではそんな感じで、どんな本なのだろうと思うからこそ読みたい。しかもハウツーの本ではなくて、小説なんだからなおさらそうだと思う。

いや、応募動機は考えれば考えるほど難しい。ここらで終わりたいなと思うのだけど、やっぱりそれはできない。

まだ僕の中にある何かが中へ中へと縮もうとしてくる。これでは今日一日このまま過ごすことになるから、なんとしてもそれを辞めさせるように僕は説得する必要がある。

そのためにはこうやって文章を書く方法しか今のところ僕にはできない。

もっと他にも没頭することがあればいいなと思うけど、今のところそれがない。

制作をするということに関しては今まで何もしてこなかった。消費することはできても制作してこなかった。制作するというのはなんかめんどくさい。形に残ると言うのがあまり好きではないのかもしれない。でも文章もこうやってパソコンに書く前はノートに書いてて、ノートは誰にも見せてないけど、そのままになっているから、形として存在している。じゃあこれが理由ではないかな。

制作するということは何か道具が必要なるからそれを準備するのがめんどくさい。そうこれはマジでそう。書くことにおいてはパソコンでもできるし、紙とペンがあるからそれで十分。物をどうしたらいいのかということ問題が僕の行動を制限する。そう、もし物を揃えても続けなかったらどうしようというところがある。

これまでも何度もそれを繰り返している。カメラ、サーフィン関連の道具、スノーボード関連の道具、自転車関連の道具、登山関連の道具かな。どれもあると場所を取るし、捨てるに捨てられないものばかり。かさばるとにかく邪魔になる。

そういったものを増やしたくないなと思って極力始めないようにしている。

だからやりたいなと思っても始めることが少ない。パステルだって一枚書いてもういいやってなった。最初は週に1枚ぐらいやれるといいなと思ってやってみたけど、なんか続けようと思わなかった。思ったように書けなかったから?それもあるし、片づけたパステルをまた出してきたり、片づけたり、書いたあとに掃除をしたりするのが結構めんどくさかった。それが嫌でやらなかったのかもしれない。

何をするにも環境が大事なのかもしれない。自分の心持はもちろんないと出来ないけど、環境が整えられたらあとはやるだけだから簡単かも。

書けるようにいつも準備をしておくといいのかな。書きやすい環境を作る。

何かしたいなと思ったら、すぐにできる環境を先に用意しておく。

今のところやりたいなと思っているのは音を鳴らすこともしくは踊ること。それをしようと思うと隣や下の階の人に迷惑がかかるのではと思って、気が引ける。

今のところ僕にとって必要な環境というのはやりたいことがすぐにできるような物理的な環境であるということだ。

それにおいては引っ越しがとにかく必要になる。

去年からずっとそれは思っていて、どうしようかと逡巡している。というのも全ての占いにおいて今年は引っ越しをしてはいけないと出ているから。

結構占いが気になる方で、一度目にするとどうしてもそれが頭にあって行動しにくくなる。というか結構占いで行動している部分が最近は多いのかもしれない。

そこから外れるようなことは極力しないようにしている。

引っ越しできないなら、今の僕に何ができるのかというと、どういう場所がいいのかということを考えることしかない。

それを最近はやってなかったので、引っ越した先の環境について考える時間といか書く時間を設ければよいと言うことになるな。

こうやっていると気分が落ち着いて冷静になれます。

以前からそうで、苦しい時はノートに書くようにしていました。

それが一番の薬でした。

今日はだいぶかけたので、もうこの辺にしたいと思います。

中に引き込まれるような縮んでいくような感覚が半減しました。

あとは行動するだけぐらいになってきたので今日はこの辺で失礼します。

 

今日もまともに応募動機書けなかった。明日は掛けるかな。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。