いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

ブログを書く理由が変わってきたし、わかってきた。

設定したアラームより思いの外早く目覚めてしまったので今日は時間がいつもよりある。

かと言ってそんなにたくさん書くことはなさそうに思う。

特に今日は何も思いつかない。

昨日眠る前に何か思いついたような気がするけど忘れてしまった。

結構根源的な内容の良さそうなテーマだったような気がする。

でもあれは夢だったんだろうか。

 

ちなみに今日見た夢はたぶん何かの試験会場だったのだろう。

試験の日を2回見た。

一回目は間に合って、余裕を持って到着をして、試験が始まる前にトイレに行く夢。

でもトイレが変な場所にあっておかしいなと感じた。

二回目は寝坊かつ用意していた服が見つからず焦り、会場まで車でいく羽目に。

そしてなぜか同居している外国人と一緒に自家用車を運転していく。

会場についたと思ったら会場の目の前に車を横付けし、係の人に車を預けてダッシュ

会場についたらオシッコがしたくなって、トイレにダッシュ

トイレに着いたと思ったら自分が受ける部屋とは別の部屋に行き、変な言葉を言いながら、その部屋の奥の方にあるトイレへ。

そのトイレには運動器具しかない。でも扉の前にはトイレマーク。

運動器具を見ると座る部分に小さな穴が開いており、そこからするみたい。

僕はバイク型の機械だと座りやすいと思い選ぶと、通常の乗り方とは逆方向に乗り、

且つ近くで見ると穴が思いの外小さいため、まさにその穴にインサートするような形で排泄しないといけいないと思い、すぐ横にある機械にだれか座ろうしているのを見ると江口のりこ氏がおられ、すごい態勢になっているにもかかわらず素知らぬ顔で排泄しようとされているので、慌ててて出ようとするとパンツが見えており、それを伝えると見てんじゃねーよと言われそそくさと退出したと事で目が覚めた。

 

まあそんなどうしようもない夢を見た。

ここ最近夢を見る。

基本的にはよくわからない夢が多い。

でもだいたい決まっているのは全く何も整理されていないというか、

ストーリーがストーリーになってないもの。ぐちゃぐちゃなんです。

これは今現在の僕の頭の中を表しているのだろうと思う。

ほんとうに頭の中がぐちゃぐちゃで整理されていない。

むしろ働き始めてから頭が整理されていたことなどあったのかなと思う。

入力される情報が多すぎる。

毎日多くの人と会話を交わし、どのような内容のことを言いたいんだろうと考える。

そして人の身体をみながら、この人の身体は今どのような状態にあるのだろうと考える。そして身体に触れながら感じる。

その間に結論を考え出し、どのような対処が必要であるのかをさらに導き出す。

結果を確認し、なぜ上手くいったのか行かなかったのかを考え直す。

とりあえず考えることが多く覚えることが多い。

そして自宅に帰り一日を振り返り、わからなかったことを調べる。

僕にとっては入力しすぎなのである。

そりゃ頭の中がいっぱいになるわと改めて思う。

これを10年以上もやれば毎日変な夢を見ても当然ではないか。

脳にしてみたら寝てる間に一生懸命整理を行う結果、変な夢になっているのかも。

溜まっている情報を吐き出して空き容量を確保しないといけない。

そうか夢は捨て情報か。

もっともっと多くのことを捨てないと、日中に脳が上手く機能しないのだと思う。

だから僕も起きている間に捨て情報をどうにかして外部に吐き出さないと。

それをいかいにしてやればいいのだろうか。

まず何かを覚えようとする行為をまず辞めよう。

覚えるのではなく、書く。

皆がやっているメモだな。なにかあればメモしよう。

そんな習慣今までなかった。

ないこともないかもしれないけど、少なかった。

しかもメモった情報をどこに置いたかがわからなくなっていた。

置いた場所を覚えないといけなかった。大体捨てるような紙に書いていた。

それ辞めよう。

同じ場所にどんどんメモっていこう。

そうかこれが情報の一元化か。

なるほど社会人の最初にやっておくべきようなことを全くやってない。

だから疲れていたのかもしれない。

なんでも頭の中で解決しよとしていた。

そのせいでどんどんと脳に負担をかけていたのか。

それはしんどいに決まっている。

道理で年々頭の働きが悪くなっているなと感じていた。

理由がわかってすっきりした。

多少面倒ではあるけれどもメモを取ると言うことをまずは習慣にしてみよう。

そうするだけで、頭がすっきりするかも。

本読んでいる時もメモしたりせず、気になるところに線だけ引いていた。

だから頭に入ってなかったんやな。

これからは本を読みつつ、メモしよう。

とりあえずメモをすることから始めよう。

だいぶやることのレベルを下げてから始めることが必要なようだ。

めんどくさがりで新しいことをするのを避けていた。

それがそもそもの始まりかな。

一瞬めんどいと思ってやらないと、後になって大変になるというのを聞いたことがある。

まさにそれである。

小さな問題が今はゴジラ球のやばさになって帰ってきている。

やれることは後回しにせずにやる。これも基本的なこと。

 

そう僕は基本的なことが嫌いだ。

めんどいし、地味だから。

そうやってこれまで基礎的な練習はやってこなかった。

幹になる部分を放置して、枝葉の部分というか目立つ部分ばかりをみてそれに集中してきた。

そこじゃないんだということですね。

ようやくわかりました。

スラムダンクでもゴリが基本が大事とひたすら口酸っぱく花道に言っていますもんね。

そういうことだ。

この年になって、ようやく気づきました。

スラムダンクのすごさが。ストーリーが良いのはもちろんながら色々と伝えたいメッセージが随所にちりばめられているということなんですね。

心の持ちようであったり、目標設定など。たぶんもっといろいろあるんだろうなと思う。

本の読み方や映画の見方が基本的には表面上を撫でるような見方しかしてこなかった。

深く読むというのか、著者のメッセージをくみ取るという見方をあまりしてない。

ただ情報を入力するだけで解釈をしていない。

振り返るとなるほどと思うことが結構ある。

 

今日はたくさん書いた。

僕の文章が言ったり来たりするのも書く基本がわかってないと言うところが多分にある。

だって書く勉強したことないし、人の文章を読んでもどのように書いているのかというところに焦点を当てて読んだことがない。

基本を無視して書いている。

僕の文章は本当に思いつくままに書いている。

理路整然とした文章を書きたいとは思っている。

でも理路整然の意味がなんとなくわかっていない。

どこかの文章中にか、誰かの会話の中で使われているのを覚えていて、なんとなく今の文脈で使うと良いのかと思って使っているだけ。

そうか僕の言葉の選び方というのは適切な意味を捉えて、相応しい場所に置いていると言うよりは誰かが使っている用例をなんとなく覚えていて、行けそうだと思うから使っているという感じらしい。

そりゃ綺麗にならないのも当然か。

面白い。

書くとたくさんの発見がある。

そして脳からたくさんの情報を排出できる。

だから僕は書いている。

そのために書く。

うんこ、おしっこと同じ排泄行為だから毎日書くことがやはり大事だ。

健康を作るために書いている。

ようやくこの文章を書く本当の理由が出てきた。

良かった。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。