いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

今年を振り返る

世の中的には色々あっただろうと思いますが、

自分の周囲に起きたことだけをひたすらに振り返りたい。

世の中のことをもった見た方が良いと言われそうな気もするけど、

まあそれはそれ、これはこれってことで自分の周囲だけで十分な気がしている。

 

今年の最初の方はどうしてたかなと振り返ると、

たぶんひたすらに悩み抜いた、キャンプで使う焚き火台の購入。

これはテンションあがりましたね、

たぶん1月ぐらいに買ったと思うのですが、

それまではほんまにちっさいソロ用の焚き火台と

YouTube見て作ったこれもソロ用の焚き火台。

どっちも最初は火の揺らぎをみているだけでテンション上がったけど、

木を細かくする手間と炎の小ささがどうしても気になっていた。

あとそれ以上に重要だったのが、寒さ。

小さい焚き火台だと火力が弱くてあんまり暖かくない。

焚き火で暖を取るのはNGというか初心者キャンパーの失敗あるあるやけど、

そんなこと無視して焚き火台で暖を取っていた我々にとっては、

焚き火台の火力アップは喫緊の課題でした。

そんなこんなで買ったのがこちらの焚き火台 

 キャンパーの中ではベタ中のベタらしい。

野球で言うところのミズノぐらいベタちゃうかなと僕の中では思っている。

そんなベタなことこれまでは避けて来たけど、

散々悩むと人というのはスケールダウンするのか、ベタになってしまうらしい。

これが一周回ってというやつなのかもしれない。

見た目的には何にもカッコよくないのですが、使い勝手は抜群でした。

この焚き火台のおかげでより充実したキャンプライフが送れるようになりました。

まあ最近では焚き火やってませんけどね。

火を燃やすために始めたキャンプですが、

いつの間にかキャンプでの焚き火の優先度は下がってきています。

ちょっと前に行った時なんて寒いからやめとこってなりましたからね。

なんてたってストーブが導入されてしまいましたから。

石油には勝てませんよ。

なので、基本的にはテントの中に籠って、ひたすらダラダラしています。

去年だったら、テント設営したらキャンプ場の誰よりも早く火を熾していたあの僕が、

今では焚き火はやってもやらんでもいいようなおじさんになりました。

別に焚き火したところでってなってます。

なんか目的もなく火を燃やすのってなんかもったいない気がして。

何か焼いたり、湯を沸かしたりする必要があれば火を燃やしてもいいのかなと思うんですけど、炎の揺らぎを見たいがために火を熾すというのはなんかちょっとちゃうかなってある時すごく冷静になったんですよね。

僕の中でのあるあるで、ある瞬間に何の前触れもなく急に冷めるやつ。

焚き火にちょっと冷めたというか、なんかちょっとちゃうかなってなってます。

前なんかストーブで焼き芋できちゃったし、ていうか湯沸かすのもストーブでできるし。

とか言ってたら、人間がどんどん生きる力を失っていった過程とちょっと似ているなと思ったら怖くなってきました。

いつでも火を熾せるだけの力は蓄えておきたいので、ちょっとだけこれからも燃やしていこうかな。

 

一年の振り返りとか言いながらいきなり焚き火台だけで結構分量割いてしまった。

 

いやでも今年は何があったかな。焚き火台を買ったことですら遠い昔のような気がするけど、あれで1月か。

2月辺りは特に何もしてなかったような気がする。

 

3月はついに畑を始めたんでした。

これがなかったら今年はやばかったんじゃないかな。

コロナウィルスというもののために、世の中が結構ピリついて外出ままならない時にこれは精神的な支えになりました。

元々ジッとしているのが好きじゃなくて、家に籠るというのもあまり好きでない。

まだ自分で選んで家で過ごすというのであればたぶん大丈夫やけど、

今回ばかりは所謂世間がそれを許さなかった。

島から出ることさえ憚られる状態でしたから。

あのまま仕事と家の往復だけを毎日強いられていたらあかんかったと思う。

仕事行くのがほんまに嫌になってたと思うな。

それぐらい仕事が嫌やから。

ちゃいますね。仕事が嫌いってのはここでは別の話ですね。

仕事と家の往復ってゾッとします。

会社まで徒歩2分ぐらいですからね。

生活圏狭すぎでしょ。

そんなことしてたら、僕の場合は確実に病む。

仕事で訪問しているとはいえ、それも仕事で出来ているだけで、

そこには制約がすごくついて回るので、自由にできない。

訪問中でも周囲を気にしながらコンビニを使うことも躊躇うぐらいですからね。

ヤバイでしょ。

でもそんな状態でも僕を楽しませてくれたのは畑でした。

特別開放された場所でもないし、

見晴らしが良いわけでもない、

それでも畑に行くだけでなんか気分違うんですよね。

ある意味囚人が牢屋からだされて運動場で運動する感じちゃいますかね。

それだけでも救いというか、気分転換になるというかそんな感じ。

畑は以前からやりたいなという思いはあったけど、

実際に行動には移せていませんでした。

自粛がなければ家にいることもないし、

たぶん畑と言われてもキャンプの方を優先していたかと思います。

畑やってみて思うことは、

ただ土触ったり、草刈ったり、木切ったりするだけでなんか良い感じなんですよ。

もちろん収穫物があればそれに越したことはないんですけど、

世話をしているというか、大事にしているだけでも良い感じなんですよ。

これはやってみないとわからない感覚ですが。

ほんでプランターとはまた違うというか。

収穫するだけだとプランターでも十分出来ると思うのですが、

それだと僕はダメなんですよね。

ダイナミックに身体を動かしたい訳ですよ。

鍬を使ったり、鎌を使ったり、鋸を使ったり、スコップを使ったりして、

どんどん身体を動かしながら無心で作業すると言うことがすごく大事なんですよね。

むしろ収穫よりも身体を動かすと言うことが僕にとっては大事なぐらい。

そっか、そうなんですよ。

身体を動かしたいんですよね。外で。

屋内でどれだけ身体を動かしてもなんかちゃうんですよね。

天井があるとなんか違う。

太陽の光が窓越しに入ってきてもそれじゃないんですよね。

外で紫外線とか有害な光も全部含めて直に浴びたいんですよ。

たぶん。

それが何よりも重要な体験で。

部屋の中で、マットの上でどれだけ汗をかいてもなんかちょっとちゃうんですよ。

それだけでは充実感を得ることが僕にはできない。

子どもの時みたいにただひたすら外で遊ぶような感じで、

畑をしている時がすごく良い時間だったなと思います。

畑をするっていう言葉意味わかりませんけどね。

でも畑をするんですよ。

あ、一つ発見しました。

畑って文字の中に火が入ってる。

田で火燃やせってことかな。

そう言えば、キャンプ行けなかったから畑でバーベキューも何回かしたような気がします。

畑の横が墓なので、夜はちょっと怖いですが、それもまた一興ということで、

これからもたまには畑でBBQしようかなと思います。

 

焚き火台、畑だけでもだいぶ盛り上がってしまいました。

中々の分量になってきたけど、今日は大みそかなので、全部出してしまいましょう。

もっと書いてみたいと思います。

 

畑で精神を保って序盤を乗り切って、

本当はGWに高田に帰る予定にしていたんですけどね。

残念でした。

今回はまた無謀にも車で向かう予定でした。

有給を使って、10連休ぐらいにして途中キャンプ場によってキャンプしてみたいな。

そんな感じで、色々とキャンプ場も調べて準備してたんですけどね。

狙ってたキャンプ場は猪苗代湖周辺のキャンプ場。

結構詳細に調べたんですよ。

どこが静かで、利便性良くて、磐梯山がよく見えるか。

かつ無料であるという我が家のルールの下で。

にも関わらずですよ。

行けませんでしたよ。

これは今年できなかったことで、1番残念なことだったんじゃないかな。

計画性のない僕ですが、予定組んでましたよ。

こういうところなんですよね。

計画立てても予期せぬ事態でできなくなる。

しかもそれが自分の力及ばぬことでできなくなるってことが嫌なんですよ。

それならノリでやってしまって、あーできなかったねの方が納得いくんですよ。

それは自分が悪かったってことで納得がいく。

自分の力及ばぬことでできなくなると気持ちをどこに持って行ってたらいいかわからないんですよね。

だから計画しないということを学びました。

ある意味これも自衛かもしれない。

 

まあ残念なことをあーだこーだと言っても仕方がないから。

この辺にしておきましょう。

 

GW、夏とイベントシーズンに何もできなかったけど、

そんなシーズンを経過してからの、

今年のハイライトが来ましたね。

いつから始まったか忘れましたが、

僕の中で近年まれにみる空前の大ブームが起こりました。

あの時は散々書きましたが、今は沈静化しています。

それでも僕の中では渇望しているのも事実。

 

今年の僕的ハイライトと言えばもちろんこれ、

空前の坂口恭平ブームです。

これ以外に今年を象徴するものはないと思っております。

僕今年で36歳になりましたが、

人生でこれほどまに一人の人に熱狂することってなかった。

途中途中であーいいなってなることは多少はあった。

キングカズとか。。。。

ぐらいかな。

キングカズも好きやけど、そこまで動向が気になることもないし。

かっこいいなって思うぐらいやし。

あ、すし職人の二郎さんはたしかにかっこいい。

でもかっこいいなと思うだけで、それ以上に何もないし憧れてはいない。

天ぷら職人の方、名前忘れてもた。あの人もカッコよかったけど。それまで。

芸能人とか有名人でもそんなにずっと気になるって人おらんかったんよな。

まあ時代と言うのもあったかもしれないけど。

今はインターネットがあって、SNSがあってって感じで、

発信できるから、その人の行動とか思いとかをダイレクトに感じやすいから、

余計にハマったという可能性はある。

そうなんですね。

僕は所謂前時代的に言うところのミーハーというやつなんですよね。

影響を受けやすいんですよ。

まあそんな僕でもドンピシャにハマったんですよね。

これは今までなかった。

衝撃やったんですよ。

今僕が求めているものを全て持っているような気がしたんですね。

眩しすぎたんですよ。

でもこれは共感してほしいとかそんなんは全く思ってなくて。

というか万人受けするような人ではないような気がする。

でもすごいんですよ。マジで。

それぞれの質から言うとどうなのかはわかりませんよ。

でも、歌うたって、文章かいて、絵描いて、畑してなどなどいろんなことやってて。

かつ自殺願望のある人から毎日電話受けて、わけわからんこと言っている訳ですよ。

歌うたうとかその辺はこれまでも多くの人がやってるし、

もっとすごい人はいくらでもいると思うんですけど、

そのやっている全てを全部ひっくるめるとすごいんですよね。

ていうかやっていることがすごいと言うのじゃなくて、

たぶん「坂口恭平」というその存在がたぶんすごいと感じているんだと思います。

頭のいかれ具合がちょうど僕の求めていたところなんだと思います。

ぶっ飛んでるんですよ。なんせ。

これは実際に見てもらうしかないんですよね。

ぶっ飛んでするというか、たぶん恭平さんそのものが見世物というのかエンターテインメントというのかなんかそんな感じなんですよね。

危うさも感じられながら、かわいさもあって、かっこよさもあるみたいな。

それは病を背負って生きてきたということも少なからずあるのかなと思ったり。

とにかくすごいんとしか言えないんですよ。

僕が一番衝撃的やったのはこれ、 


第4回「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」〜ちょっとぐらい ええやないか 1. 対談 坂口 恭平(建築家・作家・アーティスト)、山極 壽一(京都大学総長)2016年3月21日

 

これは滅茶苦茶笑いました。

何言ってるかわからんし、でもたまにすごいこと言ってるような感じもするし。

しかも対談相手が京大の総長やのにこの感じとかもめちゃいいですよね。

これはどうしても見てもらいたい。

めちゃくちゃ面白いです。

あとNHKでやってた、私だけかもしれない講座やったかな。

あれもすごかった。めちゃくちゃ。

あれでオッケー出したNHKもすごいと思った。

あの番組も滅茶苦茶笑ったし、

ラジオをも特番みたいなのが熊本のローカル放送局でやってて、

それも成立してないような感じやのに面白かった。

今年1年で恭平さんだけで10冊ぐらい本買った。

1人の著者の作品をまとめて買うというのはしたことなくて、

たぶんスラムダンク以来。あれは漫画やけど。

本の内容に関してはまあめちゃくちゃ。

意味わからんことも結構書いてあって、

小説は未だに読めていない。

あれは僕の読解力のせいなのか、

文章自体が難しすぎるのかよくわからない。

あれを小説というのかも僕はわからない。

小説だけは良い作品とは言い難い。

あれは評価されているのかな?

ちょっとわからんけど、そんなのも含めていいんですよね。

とりあえず奔放です。

歯に衣着せぬとはまさに恭平さんのこと。

下ネタも時々言うし、その下ネタも結構えぐい。

えぐいけど、ライトに感じる。

サラッと言うからでしょうね。

好きというか憧れですね。

ほんまにすごい。

2023年の熊本の美術館で行われる展覧会?は行きたいな。

その年に僕もペンションオープンする予定やし、ちょうどいいかな。

何がちょうど良いのかはわからんけど。

ちょうどいい。

 

やっぱりハイライトだけにいっぱい書いてもた。

この時点で5000字を越えてきた訳ですが、10000字言ってみよかな。

みそかやし。

ていうかさっき動画貼り付けようとしたときに画面が固まった。

バリクソテンパりました。

ここまで書いたのにと、絶望を味わいましたがなんとか回復致しました。

書き始めてから1時間半ほどが経過致しましたが僕はまだ元気です。

 

今年の振り返りにこれだけの情熱を注ぐとは思いもしませんでした。

 

空前の坂口恭平ブームが到来したのも、

このブログを書いていたからこそかもしれない。

前からブログは書いていたと確か今回このブログを始めた時に書いたような気がするけど、自分が書いていると言うことを知っている人に言うのは初めてで。

自分がどんな思想というか、考えを持っているかと言うことを晒した方が良いような気がしてきたので、今回名前出しました。

ブログのタイトルにも自己紹介にも名前は出してないけど、リアルに繋がっている人にも知ってもらっているからまあええかな。

まだ36年しか生きてなくて、人生の折り返しにも来てないような気がするけど、どっかのタイミングで書いた方がいいなとは前から思っていて。

まあそれが何に繋がるかと言われると難しいところではあるけど、

とりあえず自分の店を持つということは自分がどういう人間であるかということを世間に発信することであるという風に僕は思っていて。

となるとその店を始める前に自分の思いを知ってもらう方がいいのではないかという結論に達したと言うことも少なからずはあるかもしれない。

こうやってインターネットが発達していない世の中であれば、自分の思い・考えを世の中に知らしめるためには何か大きなことをしでかさないとたぶん無理。

本書くか革命的なことをするかどっちかが必要やったん違うかな。

手書きで細々と書いていてもどうにもならない。

まあ大した文章であれば広がる可能性もあるけど、それはたぶん万に一つ。

僕みたいなしょうもない大した文章書けない凡人でも、奇跡的にどこかにひっかかって世の中に自分の思い・考えが広まる可能性があるのだからやっぱり書いた方がいいかなって思います。

かと言って僕は世の中を変えたいとかもっと良い世の中になって欲しいとか、有名になりたいとかは全く思っていません。

でも20代の時は本気で思っていました。テレビ出たいって。別に目的はないけど、情熱大陸かプロフェッショナルに出たいって思ってました。

だってかっこいいじゃないですか。

でもそんなん今はどうでも良い感じです。

とりあえず書くということが楽しくて書いています。

今だいぶ今日のテーマから脱線してきているような感じがするけど、

またそれがいいんですよね。

脱線しても誰にも怒られないし、言いたいこと勝手に言えるし。

なんせいいんですよ書くのは。

目的持って始めたブログですが、ただ書くということに喜びを感じることができて良かった。それを発見できたことがすごいなと。

坂口恭平」に続くハイライトかもしれない。

これはすごいことですね。

人生のやることが一つみつかったということですからね。

これから自叙伝が発売されるまで何年かかるかわからないけど。

それもひそかに楽しみです。

自叙伝も自分で発行できる世の中になってますからね。

電子書籍にしていつの日かリリースしたいと思います。

 

今年は後半に入って結構怒涛に色々とあったような気がしてきたな。

そしてこれも今年ハマりましたね。

コーヒー沼です。

これは沼だけにほんまにハマってます。

コーヒーってこれまで結構な量飲んできました。

外に出たら必ず一杯は飲んでました。

あー美味しいなと。香りがいいなと。

そんな感じでした。

特に何も詳しくなく、あの香り、苦みがいいなとか。

酸味はちょっとなとかね。

今も特別詳しくなった訳ではないのですが、

以前よりちょっとこだわりを持つようになってきました。

まずはかならず豆を挽くようになりました。

そうなんです。豆で買うようになりましたね。

粉だと味の変化が早いということを聞いて粉は辞めました。

味の変化どれだけわかってんねんって感じですが。

そこは気持ちが大事ですから。

豆しか買わなくなりました。

豆で買うとひと手間かかりますが、店で買ったり、店で飲むより圧倒的に安い。

たぶん同じ豆でも一杯で見ると半分以下で飲めるんじゃないかなと。

そして一番の発見はそんなに味は店と変わらないということ。

コーヒーの味を決める上で一番大事なことは豆であるということ。

これはラジオでなんとなく聞いた情報やから怪しくもあるけど、

「コーヒーの味は豆が8割、焙煎1割、淹れ方1割」らしい。

どこのだれが言ったかは全く覚えてないけど、そうらしい。

でも実際のところそんな気もする。

料理でも食材ありきでしょ。

食材悪いのに料理人の腕でそこまで美味しくはならない。

くそ安い食材で1流の料理は出せない。

料理人は目利きも必要ですから。

逆に言うと食材さえ良ければ、素人でもそれなりの味が出せる。

それはコーヒーとて同じで、良い豆があって、焙煎もちゃんとしてもらったら、家でも美味しいコーヒーは飲める。

しかも自分の飲みたいタイミングで飲める。

という大発見を今更しまして、沼にハマりました。

今までカフェや喫茶店で何にお金を払っていたのかなと思ったら、たぶんそれは空間に金を払っていたんだなということに気づきました。

でもそれも十分に意味のあることで、それには満足していました。

店の人と話をしながら飲むのはとても美味しい。それも大事。

と思いつつも最近は外で飲むことはほぼ無くなりました。

家で飲む方がなんかいいってなりました。

そして、豆を挽いて、淹れるだけに留まらず、

ついに焙煎をしてみました。

これはすごくいいです。

まだ一回しかやってないけど。

自分でやった感がすごい。

よりおいしく感じる。

日が経つと味が変化してくるのも楽しめる。と思う。

コーヒー沼にハマれたのも今年の一大ニュースかもしれない。

 

いや、書きましたね。

これでもかというぐらい書いていますけど、

まだこれでも8000字言ってませんからね。

文筆家の人はすごいですよね。

めちゃ書くもんな。

一冊の本にしようとしたら何万字と書くんだからすごいですよね。

そんなこと僕にはできない。

と思うから今日は1万字にチャレンジしております。

 

こんな無駄なチャレンジしている人おらんやろお思います。

というかここまで読んだ人も既にいないと思います。

もし読んだという人がおったら僕に連絡してほしい。

すぐにでもコーヒーセットを持参して、

特別に無料で僕がコーヒー淹れますので是非とも連絡してください。

世界中どこでも行きます。これはマジです。

ただ期限は長めにお願いします。

2021年中に行くということであれば、地球の中であればどこでも行きます。

さすがに宇宙空間だと僕の予算に収まらないので、すいません。

事前に断っておきます。

あ、でも冷やかしはやめてくださいね。

マジで腕ブンブン振り回して、鼻息荒くしていきますので、僕が焼いて、入れたコーヒーが飲みたい人だけ連絡ください。

あて先はk.shiroo@gmail.comですから。

誰か連絡くれへんかな。

もし、上記のメールアドレスに送っても連絡がつかない場合は、

このブログにコメントを頂く形でも大丈夫です。

楽しみやな。ほんまに誰か連絡くれへんかな。

海外でも全然気にせずいくしな。

 

まあまた脱線しましたが。書き始めて2時間。

結構、首、肩、腰あたりがしんどくなってきましたね。

でも2時間もあればこれぐらいの文字数は書けるということがわかりました。

僕もなかなかやりますね。ほぼノンストップで書いております。

特に意味のない文章をひたすらに打ち続けています。

こんな超大作を書くことはそうそうないと思いますが、楽しいです。

 

最後の振り返りとしては、

結婚して2年経ったということでしょうか。

これは以前にも書きましたが、なかなか僕の中ではすごいことでして、

偉業と言っても過言ではないと自負しております。

なので、12月22日は結婚記念日なんて生易しい記念日ではなくて、

毎年偉業を達成している日にした方がイイと思うんですよね。

なので、どんな名前がいいのかな。

「偉業樹立の日」とかですかね。

でもこれだとなんの偉業かわからんし、硬いよな。

難しいですね。ネーミングセンスが問われるし、これはまた次の課題ということにしておこうかな。

なんせまあ、偉業なんですよ。

別に我慢しているとかそういうのではないですよ。

だからすごいと言いたい訳ではない。

結婚するっていうことを結婚するまで全くイメージしたことが無かったのですが、

あー結婚ってこういうものなのかなと徐々に理解できてきました。

色んなスタイルの結婚があると思いますので、僕の結婚生活が一般的だとは思いませんが、生活を共にすると言うことが結婚なのだなと。

生活を共にすると言うことがいまいち説明しづらいのですが、

一番はこれだと思います。

好きで結婚すると言うのはもちろんあると思うのですが、

それだけでは続かないと言うことがよくわかります。

好きだけでは生活できないですから。

好きの延長に結婚はないということですね。

まあどんなことが起ころうと相手に対しての好きという気持ちは変わらないと言うほどの、異次元の好きと言うものがあればそれだけでもなんとくか上手くいくかもしれませんが、そんなものはないと思っていますので、好きの最大級が結婚にはならないと思います。

好きだけなら結婚しなくてもいいんじゃないかな。むしろ結婚せずにずっと好きでいられる方が素敵じゃないかな。

結婚と言う名前そのものがあんまり良くないとは思うけど、生活を共にするということをどう捉えるかというのかな。

いや、結婚について語るの難しいですね。実態が全くないわけで、結婚と言う契約を結んだだけのことでそこには何の意味もないですからね。

実態がないものを語るほど難しいものはない、変な誤解を生まないように結婚についてはここまでにしておきます。

ただ最後に言いたい、結婚とは悪いものではないということ。

いろんな感情を経験することにはなりますが、良い・悪いということだけで判断できないことが色々と起こります。また感情を優先できないこともあります。それは別にすごい大きなことだけではなくて、些末なことでさえ色々と考えを巡らせないといけないということも出てくる。

でもそれを経験すると人間的な成長があると信じたい。

まあそんな感じです。

 

10000字がもうそこまで見えてきました。

ついにフィナーレがそこまで来ていますね。

来年のことについても少し書いておきましょう。

2020年12月22日にグレートコンジャクションがおきまして、

これから時代が変わっていくそうな。

地の時代から風の時代に変わるそうです。

大きな時代の変換点だそうです。

風の時代ってというのがどういうものなのか忘れましたが、

颯爽と吹き抜けて行くように軽やかに生きていける時代になればいいなと思います。

そして、そのような時代がやってくるのかなと期待し、

ついの僕の時代がやってきたと自負しております。

あと人生どれだけあるかわかりませんが、

軽やかにテキトーに生きていくことができれば本望です。

大丈夫、きっと上手くいくよ。

 

 

ここでちょうど10000字を迎えたかったところですが、字余りでした。

それでは来年も宜しくお願いします!