7月から書き始めてもうすぐ今年も終わる。
内容的には揺れに揺れて結局最終的には僕の憂さ晴らしということで着地。
なんのためのブログかということを無視して書き続けた。
結果ほとんど誰も読んでいないまま今に至る。
まあ結果というか数字はもうこの際どうでも良いことにします。
だってあれだけテキトーに書いてるんだから読むほうも疲れる。
疲れないようにするためにはもっと構成なり、言葉遣いなり丁寧に考える必要があると思うし。
もっとグッとくる内容の文章も必要じゃないかなと言い訳を言っておきます。
思いを伝える方法と言うのはどんなものなのか。
ということを考えてみると、いろんな伝え方がある。
理路整然と徹頭徹尾丁寧にやる。
相手のことを想像して、どうやって伝えたら思いが伝わるかと言うのをひたすらに考え続けることが良いのかもしれない。
そうやってこそ初めて人に思いというのは伝わるような気がする。
でもそれはちょっとなと。
しんどいから。
しんどいこと避けて上手いこといくなんてそんな世の中甘ないで。とよく言われたな。そうしんどいこと避けがちなんです。
楽と楽しいは違うでとか。
よく説教されてきました。
そんなん言われても気質としてそうなんだから仕方ないと思っています。
気質は変わらんと。変えられるのは行動だけ。
そう思って取り組んではみたものの行動すらも変えられているか怪しい。
思いを伝えると言うことに関しては誠実さと言うのが何よりも大事だと言うことはわかっている。
上手い・下手ではないのだと思う。
商売として成立させるためには誠実さだけではどうにもならないから、上手さはきっと必要。
ここまでが僕が至った結論です。
ただし、僕にはその誠実さと言うものがない。
というか誠実とはどういうことなのか。
生活においてどういうところに誠実さが滲み出ているのかわからない。
でも実は、僕仕事では結構誠実だと思われているそうです。
仕事の僕がどんな風かと言いますと、
言葉数が少ない、ほどよくニコニコしている、嫌なこと言わない、ほどよく敬語で威圧的でない、一応丁寧な言葉遣い、、、
たぶんそんな感じの事を意識ているので、
これが外から見た誠実な人の要素のうちのいくつからしい。
言動としては特に意識はしてしていない、なので会話の内容はたぶんそんなに重要ではないと言うことなんだと思います。
誠実さがわからないと言いつつ、上記のような内容が誠実だと言うことが見えてきました。
ではそれを文章でどのように伝えるのかと考えると難しいですね。
文章ではその文字でしか伝えることができないので、雰囲気とか所作とか全くわかりませんもんね。
言葉数少なかったらなんもわからんし、
ニコニコして書いてたとしても文字しかないからわからんし、
嫌なことかどうかはその読んでいる人がどういう状態かわからんと書けんし、
出来るとしたら、程よく敬語で威圧的でなく、一応丁寧な言葉遣いぐらい。
とりあえずここだけ意識しておきましょう。
これからは丁寧な言葉遣いで、威圧的でなく、程よく敬語を使っていき、
僕が誠実であるということを伝えて行きたいと思います。
話めちゃくちゃ脱線しました。
そんなことを今日書くつもりはなくて、
どうやったら人に思いが伝わるかでした。
果たしてこれが今日のテーマにしたかどうかも定かではないですが。
今思いました。
人に思いを伝えるのは、伝えたい思いが心の中に明確にあるかどうか。
きっとこれが一番大事。
伝え方の上手い・下手は確かにすごく大事だと思う。
分かりやすい言葉で話したり、相手がどんなかを把握しておくことも大事。
でもその前に自分の中にどれだけの思いがあるかどうかですよね。
そこ間違えてました。
結構そこ蔑ろにしていました。
だから揺れに揺れているんだなと。
前も同じようなこと言うてたな。
デジャヴですかこれ?
迷宮に入っているようです。
ずっと同じ道歩いています。
まずいですね。
続けることはすごく大事やけども、
同じ道をずっと歩いてても何もならんよな。
僕は壮大に間違っているかもしれません。
すごく歩いたけど、家の中をただひたすらに歩いていただけで、どこにも向かっていなかったのかもしれない。
家の中で迷子になっていた可能性があります。
恐ろしいですね。そんなことに気づけないぐらい周りが見えていないのかもしれない。
というかずっと目を閉じたまま延々と歩いている。
そんな状態。暗中模索どころか閉眼迷歩です。
閉眼迷歩。これ新しい言葉ですね。
今の僕を表しているかもしれません。
良い言葉できたな。面白い。
こんなことしてるから、いつまで経っても同じですね。
そろそろこんな状態から卒業したい。
大丈夫、きっと上手くいくよ。
なんのこっちゃわからんでも、この言葉があれば救われますね。