いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

「僕に残された時間は限られている」

当たり前のこと書いてしまいました。誰でもそうですよね。分かってます。でも、一瞬えっ?ってなりませんでしたか?もう死ぬん?みたいな。残された時間は限られていると文字にすると余命幾ばくも無いみたいな印象ありますよね。全くそんなことはないんですが、まあいつ死ぬかはわからんってことですよね。20代はこの「いつ死ぬかわからんやん」って言葉がめちゃくちゃ口癖でした。ほんまにしょっちゅう放ってました。だってほんまにそのように思っていたからですね。何かを見てから思ったのか、何か本を読んだのかは忘れましたが、ずっと気にかけてました。なんでそんなことすんの?って友達に言われたら、だっていつ死ぬかわからんやんって説明してました。説明のようであって説明でない。今考えると行為に対しての理由がわからなかったので、思いついた最適解というか端的で相手にこれ以上質問させないようにするための対処法であったのかもしれないと今は思います。ただめんどかっただけの言葉です。

まあタイトルに触れる訳ですが、時間は確かに限られていますよね。毎日こうやってブログを書く時間だって限られている訳なんですよ。どうにか捻出している訳ではないのですが、あえて時間を作ってこうやって文章を書いています。夜書くのはダラダラして中々書けないし、テレビやったりなんだりで集中削がれるんですよね。そんなに集中して書いている文章ではないけど、気が散ると何を書くのか忘れたり、流れがそもそもないんで楽しくないというか。

んで今は、朝5時もしくは5時前ぐらいに起きて、土鍋でご飯を炊き、南部鉄器の鉄瓶で湯を沸かすということをやってからブログを書くようにしています。土鍋とか南部鉄器とか書いているとすごくこだわりがあるように思いますが、これどっちも結婚祝いにもらったやつです。

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土鍋での米炊き始めました。昨日から。これは今日の写真。新しい日課になりました。#土鍋 #土鍋ごはん #白米#頂き物 #南部鉄器 #鉄瓶 #日課 #cook #坂口恭平

 

めちゃいいんですよね。炊飯器とか電気ポットの電気かつ自動でやるんじゃなくて、ガスを使って湯気の感じとか見ながら、時間はかってやるみたいなのが。すごく贅沢です。人生における一番の時間は敢えて時間をかけてする行為ってことだと思います。というかこれ誰かがたぶん言ってたやつただパクってるだけだと思うんですけど。最近そう思うんですよね。自分の時間を削ってやる行為ですから一番贅沢ですよね。だって自分の時間=命でしょ?確かに時間=お金ということは昔から言われてます。でも命は限りがあるもの。そして時間も限りがあるもの。なので命=時間。まあこれもたしか本に書いてやつをパクってます。だいたいパクってます。だってパクったやつからしか自分の言葉出てこないから。全くオリジナルなんてありえないですからね。でもパクったって堂々と言っておかないと、これパクったやつやんってあとから言われるのも嫌やしね。

そう僕は毎日贅沢をしているんです。それは浪費ということじゃないですよ。お金はそんなに潤沢にあるわけではないですから。普通の給料しかもらってませんから。それに土鍋でやってるからってそんなにお金かかってるわけでもないし。しかも自分で買った土鍋でも鉄瓶でもないですから。貰いものってほんとうにありがたいですよね。僕の人生貰い物で成り立っている人生だと言っても過言ではないぐらいに貰ってます。ほんとうにありがたいですよね。たぶん心の中でずっと思っているんでしょうね。誰か何かくれへんかなって。根っからの物乞いやろうかもしれません。みんなほんとうに色々とくれるんですよね。特に食料を頂くことが多いです。たぶん物欲しそうにしているんですよね。この乞食が!って言われても仕方ないぐらいに物貰っています。それで生きています。あと自分の命ももらったものですよね。当たり前ですけど。自分の意志で生まれてきたとは思ってないですから。そんな大それたこと言えません。貰ったというか頂いたですね。

そうなんですよ。頂いたんですよ。命を。その限られた命=時間をどうやって使うかってことで。朝の時間はご飯炊きと湯沸しとブログに使っているわけなんです。だから朝の時間は僕にとっては非常に貴重な時間で、贅沢な時間なんですね。5時から7時前までの2時間です。それが終わったら食事をして仕事に行く支度をして、家を出る訳です。ここからの8~9時間は僕にとっては苦痛の時間です。苦痛でもないけど、自由に使えない時間ですね。自分の時間を会社に売って生計を立てております。この時間を僕の意思によって使える時間にできれば一日の内ほとんど贅沢な時間と言えるのになとずっと思って10年ぐらい。まだこの生活を続けるかと言うことですよね。ええ加減にせんと。時間が尽きる。

朝の時間から引き続いて出来たらよいなと思うことなんですが、今のところ他に贅沢時間はないかいなと考えてみると、コーヒータイム、畑部ですね。あと読書か。

コーヒータイムも自分で作っています。手動見るで豆を挽き、ガスで湯を沸かし、ハンドドリップする。という一連の流れ。これも全部自動で機械でやれば時短できますが、敢えてしません。自分の時間を使うことが一番の贅沢だとしっているから。いつも味が違うのが良いのかな。やっぱり車の運転と一緒でオートマよりもマニュアルで運転する方がやってる感があって楽しいからですね。

どれも手動で、完ぺきにではないけど手動でやるとやった感があって充実感があるのだなと最近思って来たんですよ。

20代の頃なら考えられません。いつ死ぬかわからんやって思ってたのでとにかく時間のかからないようにやってました。そして時間ではなくてお金をかけることを最優先にしてました。お金で時間を買っていたのですね。だから料理したりとかも時間もったいないから、買うとか外食とか。やっても時短するために便利な道具を買ったり。長距離移動は時間がもったいないから飛行機を優先的に使うとか。そんなことを中心に考えていました。

でも今思うのは時間をできるだけ浪費しないように大事に扱うことではなくて、どんなことに貴重な時間を使いたいかという考え方に変わってきました。これは変わったと言えるのかわかりませんが。限られた時間の中で自分の自由に使える時間を捻出するためにどれだけ無駄な時間を削るかと言うよりも、具体的にやりたいことがあったらそれを実現するためにはどうしたら良いかと言うことを考えるようになりました。あれ、これって計画性ですか?計画性っぽくないですか?なんかそんな感じがします。

計画性がこんなところで出てくるとは思いもしませんでした。計画というかイメージをすることって大事なんですね。最近は毎日やってますね。イメージというか明日の朝も米炊いて、湯沸かして、ブログ書くと寝る前に考えています。

そうなんですね。やっぱり思ったことは実現できますね。思ってみるもんですね。

コーヒーショップ始めたいですよね。テイクアウト専門の。というか移動式のやつ。

コーヒーショップって店舗構えなかったら、初期費用すげえ少ないですよね。てかもう必要なものは全部持っているので、あとはやるだけぐらいのレベルなんですが、行動できてませんね。どうやったらできるか調べてみますわ。時間限られてるし。

大丈夫、きっとうまくいくよ。でやったらコーヒーショップも上手くいきそうですね。淡路島中をウロウロしたらいいですよね。まあ島外出てもいいですしね。

やり方は色々ありますね。

「僕に残された時間は限られている」の言葉を合言葉にやりたいことやっていこう。