いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

自閉してみて少し楽になった

雨の降る朝はいいです。暗いから。暗いと静かな感じがして心が休まります。雨の音もなんかいいです。昔誰かがそんなこと言ってたような気がします。誰が言うてたか知らんけど。でも実際に早起きして静かな環境だとそういったことも感じることができます。朝の時間に活動することは気持ちいいです。こんなに気持ちいいと思いませんでした。朝起きるのは嫌で仕方なかった。行きたくない学校に行ったり、会社に行ったりしないといけないから。朝起きるのがとにかく嫌やった。でも仕方ないから起きるということをしてたら、2度寝・3度寝は当たり前でめちゃくちゃ身体がだるかった。でも朝に日課を作ったら嫌でなくなった。朝に勉強しようとしてた時もあったけど、続いたためしがなかった。勉強ってしなければならないことで、したいことではなかったからかなと今は思う。

日課が熱い(坂口恭平氏談)らしく、僕もその熱い日課に取り組むことにした。とりあえず朝何をしようかなと思って、考えたらこのブログをちょうど始めたところで、このブログをやってみようと。ブログは例のごとくやらなければいけないようなことではなくて、自分の思いのたけを吐き出す場所にしてたからむしろ、日々の中でどこにこの時間を作るかと言うのを検討していた時期だったのでちょうど良かった。ブログをまず初めて、でも朝早く起きようと思うと早く寝ないといけない。そうなると会社から帰ってきてからテレビ見たり、ネットサーフィンしたり、勉強したりとかっていう時間が中々作れなくなるからどうしようかなと。必要なことしないとちょっと不安な気がした。まあテレビとかネットは別にどうでもいいけど、勉強しといた方がいいかなと思ったりもした。しないといけいない。仕事のためにはした方がいいに決まっている。そういう仕事やし。と思って逡巡しましたが、思い切って全部やめることにしました。

そうなると毎日22時ぐらいには寝れるようになりました。淡路に来てから夜寝るの早くはなってたけど、毎日23時とか24時頃に寝ていたので、22時ってめちゃ早い感じがしたけど、翌朝めちゃすっきり起きれるようになりました。自然に。日課が楽しみと言うこともあるけど、それ以上に身体が楽ということに気づきました。当たり前のことかもしれないけど、実際体験してみると結構気持ち良い。むしろなんで今まで気づかんかったんやろというぐらいに気持ち良い。そうなると自然と早く寝ようと。寝るための準備を優先するようになりました。

結果、自閉することになりました。寝るということを一日のスケジュールの軸において、予定を立てるというのか行動するようになりました。そうすると仕事はなんとしても早く帰る。人と無駄話をしている場合じゃないと言うことになり、定時でどんどん帰れるようになりました。定時厳守です。なので、定時で帰れないとなるとちょっと気分落ちますけど。ほぼ毎日定時です。そして、自宅に帰るとその時間に合わせて妻が晩御飯を作ってくれているので、食し。そして翌日の弁当の準備。

そうです。弁当を作ることも日課の一つですね。これは最近始まったことではなくて、独身時代から続けている日課で。翌日持って行く弁当を前日に用意するというものです。毎日ほぼ内容は同じ。ある意味でこれも自閉かもしれません。必要以上に色々なものを入れすぎると考えないといけません。料理は創造と書いてありましたが、僕にとっては弁当は栄養補給の一つでしかないので、ある意味でエナジーバーと同じ扱いです。

カロリーと空腹を満たすということを主目的においています。なので、内容としては、白米、梅干し、胸肉、たまねぎ、ニンジン、青物(だいたいピーマン)。これで終わりです。調理方法もほぼ同じです。胸肉を鶏ハムにするか、野菜と一緒にコールドスタートで料理するか。あとは微妙に味付けが違うぐらいでほぼ同じです。

飽きません。飽きやすい性格なのに飽きません。それが不思議です。食事においては飽きたことが無いかもしれません。一時親子丼作ってみたり、別のものを入れてみたりしましたが、飽きます。めんどくさいからです。そうです。僕の原動力は楽しいか楽しくないかと、めんどくさいかめんどくさくないかです。文章を書くのは何の練習もいらないし事前に準備をするものもないし、手も汚れることないし、後片付けもいらないから。めんどくさくなくてよいのかもしれません。続いているのかもしれません。手軽に出来ると言うことが僕にとっては何よりも大事なのかもしれません。プロセスを重視してこなかった。僕ですから少しでもプロセスが必要なものは継続性が無いのかもしれません。上手い下手とかそんなことではないようです。他人ともそんなに比較していないのかな。別にいいはと思えるものだったらなんでも続きそうやな。

というか今日は「自閉」することについて書きたかったのにまたもや関係のないことを書いてしまっているな。どうしてもその時に思いつくことを思いつくままの順番で書いてしまう。悪いくせとは思ってないけど、読む側からしたら読みにくやろなと思う。タイトルと関係あることが中々出てこない訳だから。

気を取り直して「自閉」ですが、何を自閉したかというと人との関わりが一番大きいかもしれない。今年に入ってコロナウィルスの蔓延に伴い、会社の事務所の利用が制限されるようになった。そのため朝礼がなくなり、事務所での事務作業と言うのがほぼなくなった。そうなると会社の人と顔を会わせる機会が少なくなった。これは自ら行動した訳ではなく、たまたまそうなっただけだけどこれが僕にはすごくぴったりで最高の労働環境になったという訳。ここにそんなにストレスを感じていたとは思わなかった。人と関わることはあまり好きではないけど、嫌だったんだなと改めて認識できた。これからもずっとこの働き方が続くのであれば僕は今の仕事を継続できるかもしれない。仕事が嫌だった部分は会社の人と関わることが一番大きかったんだと認識できて気持ちが結構楽になった。

事務所に行く機会が減ったために、定時で退勤することが全く気にならなくなった。あと朝礼にはいつもギリギリに行っていたのだけど、理由としては朝礼までの時間が手持ち無沙汰だから。人と話をするのもめんどくさいし。かと言ってじっとどこかを見てその時間を待つのも嫌やし。携帯をずっといじって待っているのも嫌やし。みたいな感じでとにかく苦痛やったので。会が始まる直前に行っていた。そうなると中々準備をする時間が無くて、結局あんまり準備が出来ず仕事に向かうことになっていた。でも今は朝礼がないので、訪問車に直接向かい。その中で出発の時間までその日の準備が出来るようになったから、結構楽で。仕事でのミスも減った。ように思う。余裕が生まれている。

自閉することで人との接触を必要以上にしなくても良くなったのは大きい。

それに定時で帰り、夕食、入浴、日記、ちょっと筋トレっていう風に日課というのかルーティンをこなすだけにすると家でも情報に触れる機会が少なるからそれもまた最高。

テレビとかインターネットに接続しているといらん情報が溢れすぎている。面白いこともあれば面白くないこともあるし、イライラしたり、気持ちが悪くなることだった勝手に情報を投げつけてくる。見ようと思ってなくても、不意にそういう情報が飛んでくる。んで、それに興味が湧いてみてしまうことがあって、別に見たい訳でもないのに無駄に時間を使ってしまうことがあって、すごくがっかりする時がある。そういうのがすごくもったいなく感じてしまっていたので、自閉して良かった。何もすることが無くて、テレビやネットを見てしまうということをよく聞くけど。何もしない時間があることのありがたさというか、贅沢さを最近感じられるようになってきた。何もしない時間には僕は身体をなんとなく動かしたりしている。別にヨガとかそんなたいそうなことではなく、それこそ無駄に身体を動かしている。この時間の方が僕の健やかな生活を作る上ではよっぽど良いことだなと思えるようになった。

あて自閉したこととしては仕事の勉強というか、勉強全般を辞めたということ。人生において勉強することは何よりも大事なように言われている。それは成長ありきだということ。成長するためには必ず勉強が大事であると言われるし。別にそれは成果を上げるためではなくても人間的成長を促すために大事だと言われている。いや、実際にはよくわからないけど。そんな気がする。成長しない人間は非人間であると。だから、勉強は死ぬまでしなければならないという気持ちがすごくあった。勉強している人間は素晴らしい。していない人間はだめなやつだと。そういう風に他人を見ている僕もいたように思う。この考えにとらわれ過ぎて、勉強してない日が続くと「また勉強できてない、あかんわ」って心の中で思っていました。ダラダラ過ごす休日があってあっという間に一日が過ぎた日にはほんまに後悔していました。

でも今はそんな辞めました。しなければならない勉強などないと言い切りました。したい勉強はあるかもしれないけど。しなければならないものなどないと。そうするとすごく楽で興味のあるものだけ調べたりするようになりました。そうするとすごく楽しいです。

その結果今興味あることとしては、朝の土鍋で米を炊く、鉄瓶で湯をわかす、ブログをかく、日記をかく、コーヒーを淹れる、キャンプする。です。今のところトピックとしてはこんなもんです。あと畑もあった。こんなもん。これ以外はあんまり目が向いていないです。辞めるとしたいことが少しずつわかってきた。あと身体動かすこともいいと思える。

まあこんな感じで辞めると出るということで。適当なインプットを減らして、アウトップトつまりウンチをする機会を増やすとスッキリして気持ち良いと言うことですね。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

ほんまにそうです。自閉しても大丈夫ということが良く分かりました。自閉したことで時間的余裕が生まれ、精神的にも余裕が生まれています。

自閉をもうしばらく楽しみます。