いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

本当は自分を褒めたい

自己否定を良くします。しても仕方がないのによくします。自信がないからということは理由の大きな一つにあるかと。それに周囲と比較しがちなところも大きく影響しているかと思います。

僕が現在人生最大に熱を上げている人、坂口さんは僕とは全く対極にあり、すぐ自分のことを天才と言ってしまいます。でも僕もそんな時期があったような気がしてきました。あれはたしか中学校ぐらいの時じゃないかなと思います。きっとそう。だってその当時スラムダンクが僕の中ではブームが来ておりまして。意外と僕ってその時期時期でブーム到来してたんですね。基本冷めていると思っていました。熱をあげるようなことがないと思ってました。過去を振り返るって偉大ですね。日本や世界の歴史を学ぶことも大事かもしれないけど、自分の歴史を振り返ることはもっと大事かも。これが自分の薬を発見する機会になるかもしれないから。やってみる価値はあるな。坂口さんの文章では良く自分の過去を振り返ってそこからヒントを得ていることが多いもんな。

スラムダンクの話に戻りますが、そうなんですね。僕はスラムダンクが好きだったことがあるんです。いや、現在も大好きです。今は実家に置いてあるので、手元にないから読めないけど。あれほど何回も読んだものは僕史上ないです。なので僕史上最高の読み物として挙げるとするならばきっとそれはスラムダンクになるでしょう。大人になってからそんなこと言えないから言わないけど、僕の中では確実にそうです。他の書籍でスラムダンクほど読んだものなどありません。せいぜい多くて、5回ぐらい。スラムダンクはなんたって軽く100回は読んでいますからね。ストーリーが完ぺきに入っているのにそんなに読めるなんてなんて面白いんだと思います。最高に面白いです。すべての要素が入っているのではないかと僕は思っています。熱いやつ、感動するやつ、面白いやつ、恋するやつ、挫折するやつ、挫折乗り越えるやつ、リーダーシップ的なやつ、チームワークとはってやつ、などなど列挙に暇がありません。それぐらい人生におけるあらゆる要素を含んでいるからこそ面白いんだと思います。だから僕は何度も読んでしまうのです。最高です。毎回同じ場所で泣きます。次のページをめくればどんなシーンか完ぺきにわかっているのに、次のページを開いた瞬間に泣けます。最高です。これはたまりません。わかっているのに泣けるってすごくないですか?そんなやつ他にあるのかな?僕はまだ出会ったことがない。そんなものに出会えるなんて幸せなやつだなと僕は思います。

そんなことよりなぜスラムダンクと褒めが何の関係があるのかというと。スラムダンクの主人公である「桜木花道」がなんの躊躇いもなく、「天才ですから」と言うんですね。しかもバスケ初心者の男がですよ。高校に入学してからバスケを始めた男がです。花道はバスケットボールのルールも知らない、もしかしたらバスケットボールという競技自体しらなかったであろう花道が小学校から必死にバスケをやってきた先輩に対して言っちゃうんです。県内の強豪校の選手に対しても言っちゃうんです。すごいですよね。精神的によほど強いのか、もしくは単純にバカなのかその辺は捉え方によると思いますが、僕は両方だと思います。どちらが欠けても人前で簡単に「天才ですから」なんて発することはできない。このバカというのは本当にバカということではなくて、バカなんです。感覚がバカというのか空気を読まないというのか。頭が悪いということではありません。「若い時はバカやったよな~」の時のような使われ方をするバカだと認識しています。だからこそなせる技ではないでしょうか。

このスラムダンクを読んでいる時は花道の存在がすごくカッコよく見えていました。僕は野球やってて、そのことを悔やんだりしていましたが、憧れの気持ちを抱いていました。なのでこの時はちょっとまねして何か上手いこといった時に友達から褒められたら、「そやろ、天才やろと」軽口叩いていました。

しかしそれを続けることは難しかったです。外部からの圧力を勝手に感じていた僕は、中学校に入り、先輩と言うものが出来て、上下関係と言うものを始めてしり、例え能力があったとしても軽はずみに「俺は天才だ」などと言ってしまうと、一撃喰らうということを学習しまして、社会に適合するにはどのように行動すべきかと言うこと。生存する確率が高いのはどちらかということを行動の基準に置くようになってからは、軽口を叩くという行為をやめることになりました。そうなのか上下関係から今の自分が出来あがってたのか、ここでも過去を振り返った結果。自分の成り立ちを理解することが出来ました。というか無理矢理繋げてみました。今の自分の組成を過去の自分のせいであるという風に作り上げてみました。そうすることで少し気分が落ち着いています。適者生存そうです。そう言えばオリックスマリナーズで活躍した長谷川滋利が書いた本「適者生存」という本を読んだことがあります。格別能力が高くない自分がどうやってメジャーで活躍するまでになったのかという自叙伝的なやつだったのではないかなと思います。全く内容は覚えていないのですが、一つだけ覚えているエピソードは「レストランに入って水をもらうときは氷はなしと頼むのです。」です。どうでも良いことですよね。でもそうなんや!とその当時の僕はなぜか感動したのです。ミネラルウオーターを出していると謳っていたとしても、氷までミネラルウォーターで作っているところはあまりない、だったら氷抜きの方が安全だ的な。感じだったんじゃないかな。スゲー敏感、スゲー気にしいだなと思います。そんなエピソードはいいんですけど、「適者生存」という言葉が僕を苦しめている可能性もあります。したいことを優先するというよりもどうやったら生きやすいか、周りから攻撃を受けないかということを優先して生きてきたのかもしれません。攻撃は受けない代わりに自分を押さえつけるということになり、それも生きづらさの一つになっていたかも。

これを続けているとしたいことがだんだんと自己否定が強くなるんじゃないかなと。適者生存って響きはいいけど、要は今自分が置かれている状況において、どうやったら生き残れる可能性が高いかということを是としている訳で、「お前がどうしたかじゃない」ということですよね。まあ確かに自然界において生き残っていることを考えると自分がどうしたいかとかどうでも良くて、どうやったら生き延びていけるかと言うことの方が大事ですもんね。弱肉強食の世界では自分の得意とする打撃を使って生き延びるんやって、仮にジャッカルの中の一番強いやつが言ってたとしても、足を使って点滴から逃げる方がよほど生きられる可能性は高い。それを今人間は目指しているのかな。そうすると自分がしたいこととかほっておくことになりますよね。ましてや、会社において自分の得意とすることを主張されても、それが会社の方針と全く背くものであれば何の役にも立たない。ましてや効率性・生産性を是とする会社であれば尚の事。個人の能力を生かしてとか言う、奇特な会社があれば別ですけど、表面上はそう言ったところで結局は効率・生産性重視というのが一般的なのではないでしょうか。

また違う話が多くなったけど、僕は「ほんとうは自分を褒めたい。」心の底から思っているはずです。というか思っています。だからこそ自己否定する自分が苦しいんだと思うんです。だって自己否定だけしてればいいんだったら、自分の願い通りだから苦しむ訳ないんですよ。ほんとうはしたくないことをしているからこそ、苦しんでいるんです。自己否定に拮抗する力がどこかで働いているから、スムーズに流れて行かないんだと思います。逆方向の力が心のどこかに潜んでいていて、そいつが自己否定の方向へと向かわせないってどこかで踏ん張っているんです。それが苦しみの源泉だと思うのです。それが本心と言うことになるんじゃないかなと今日の朝お米を炊きながら思ったのです。昨日から坂口さんのまねをして土鍋でご飯を炊き始めました。それだけ生活がひいては人生が充実しているのです。上手くできました。誰に見せる訳でもないので自己満足だけで良いのですごく満足度は高いです。そうです。他人と比較せずにいられたら僕は幸せに生きられるんです。

他人と比較してしまうからこそ自己否定が始まるのが僕のくせというか体質のようです。僕は自分がどれだけできたとしても、隣で僕より良い出来のものを作り上げられてしまうとそのものと比較してしまい、僕のなんてどうせ大したことないって、言ってしまうのです。本心では「どうだ!」って言いたいのに。負けるのが嫌なんです。負けを認めるのが嫌なんです。それを他人から評価される前に自分で言ってしまうんです。一つの防御反応です。負けを認めないとさらに押さえつけられてもっと傷つけられてしまうからです。ましてや自分が負けるはずがないと思っていた相手に追い越されて、まざまざと結果をみせつけられると、そのショックたるや計り知れないものになってしまうと想像するから。先に自己否定をしておいて、比較の対象にならないでしょと。そっと距離を置くのです。最初から戦っていないと言うのです。そのために自己否定という手段をとっているのです。そうかそうっだんかと、今納得しました。ただただ自己否定している訳ではなくて、守ってたんだ。自己評価は決して低くないんだ。低くてそうなっているのではなくて、自分の評価を他人に知られないようにするための仮面として自己否定を繰り返しているのか。みんなもそうなんかな。これって自分だけと思ってたけど、どっかでこんなこと書いているのみたことあるような気がする。自分だけじゃなかったのか。ちょっと安心した。

こうやって書きながらやると結構解決と言うか課題が明るみにでることがあるんだと思うと文章書くの最高やなと思う。

良いこと書いてるなって褒めたい。

褒められると嬉しいですね。素直じゃないから褒められても謙遜してました。

自分でも褒めたくても、自分に対しても謙遜してました。

それってすごくもったいないことだなと気づきました。

これだけ嬉しいことやのに嬉しことを感じる機会を自分で放棄していたなんてもったいない。これからはやっぱり褒め男パシーの時代やな。

坂口さんこれからもまねさせて頂きますね。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

今日もありがとうございました。