いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

自分にはどんな薬をつくろうかな②

 

自分の薬をつくる

自分の薬をつくる

 

 

 昨日引き続き自分の薬をつくるの感想文です。

読書感想文って小・中学校の時にありましたが、まともな感想書いたことってないですね。というか本を最後まで読んで感想文を書いたことがありません。

年上の人に聞いた方法をずっと使っていました。「あとがき」をほぼ丸写しにするという方法。この方法でほとんどやってました。なので本の選び方としてはこの「あとがき」がしっかりと書いてあるかどうか。題名の事について触れて、「僕は○○という本を読んで、最初は○○ということが書いてあるのかと思ったけど。。。」以下あとがき丸写しみたいな書き方でしたね。まともに本の読み方をしりませんでした。いや、本当に誰も本の読み方を教えてくれたことがないです。そんな授業があったのかどうかも定かではありません。国語の授業で本の読み方など教えてもらった記憶がないです。もしかしたら先生も知らなかったのかもしれませんね。

そのせいかどうかはわかりませんが、僕は本を読むと大抵眠たくなるのです。特に難解な書き方と言うのか、硬い書き方だとあっという間に眠ってしまいます。頭が停止してしまうのですね。どうしてそうなるのかメカニズムはわかりませんが、眠たくなるかどうかで面白さがわかるということです。便利な頭です。自動で判別してくれます。しっかり目が冴えている時でさえ、難解な文章はすぐに眠りを誘います。そうするとその本は現時点での自分には読むに値しない。というかその本のレベルに達していない可能性もありますが、どちらにしろ無理に読むことをしないというのが、僕の読書の仕方です。本棚で一旦熟成させるということですね。時がたち本棚を眺めているとなんだこれと、久しぶりに再会してペラペラとページをめくると面白くなっている場合もあるので、その時に読むようにしています。

何事も無理をしない。ということを既に読書から学んでいたんですね。知りませんでした。色々なところから学びと言うものはあるものですね。そうやって日々の小さいことから僕は学びを得ているのだと今気づきました。なので、日々をつぶさに観察しながら生活をするということは人生の質を高めてくれるのではないかとさえ思います。そういえば近所にある葬儀屋の看板にかつて書いてありました。

「何もない日々の中に幸福は詰まっている」とたしかそんな文言だったと思います。なんて良いこと言うんやと思ったんですけど、それが葬儀屋の看板だと知ってからはなんやろなと少しがっかりしました。その看板もいつの間にかそんな言葉すらなくなり、会社の名前と葬儀屋であるというアピールだけになってしまいました。ここでも効率化というか生産性というのか情緒というものを後回しにしてしまっているのですね。なんと残念なことでしょう。余計にインパクト少なくなるけどなと。そう思うのは僕だけでしょうか。なんかさみししですよねそういうの。

と言うことで本の感想文を書いていくのですが、昨日は印象に残ったことベスト3を挙げました。まず一つ目は「企画書を書くという薬」でした。

次に印象に残っているのは「将来の夢はすぐに叶えてみる」です。

これは色々もやもやしてあーやっぱり僕には無理かなと思うのではなく、「現実を一切変えずに」夢を叶えてみるということ。妄想を現実にしてみるということ。そんな感じですかね。例えば僕はペンションをやるという夢があります。これを夢と言うのが正しいのかはよくわかりませんが、この辺は適当で良いと本書に書いてあったので厳密さは無視してとりあえず、ペンションが夢という設定でやってみる。

で実際にはどうするかというと「現実を一切変えずに」ということを先ほど言いましたが、僕の場合で言うとペンションで働いているように仕事をしたり、家で生活をしてみるということです。ということですと言われてもまだ具体的ではないですね。もっと具体的に言うと、僕は毎日弁当を作っているのですが、それは実はペンションに泊まっているお客さんのお昼ごはんとして作っているような気持になる。というかお客さんのために作っているんです。この真剣さが大事なようです。そうすることでワクワクを発生させるということが大事。そこから何かが生まれるかもしれないから。

頭の中だけで考えると僕みたいなネガティブ人間はどうしても、やっぱり難しいかなとかまだやってもないのにブレーキ掛けてやらない方向へと意識が向いてしまいます。そうなると意識がそっちに傾いている訳だから上手くいくわけがない。ただただ自己否定がまた始まるだけ。現実世界で出来るかどうかは別にして、妄想世界で自分一人だけでやってみる。誰にも迷惑を掛けずに出来る訳だから、上手く行くとか行かないとか関係ないということですよね。そこが良いみたいで。緊張しないし、それを考えながら動くことでまたワクワクする。失敗もしない。そういうところが良いみたいです。これは僕の場合なんでもできるなと。洗濯物を畳むとか、ご飯をテーブルに配膳するとか、食器を片付けるとか、部屋の掃除をするとか、布団を敷くとか。実際にペンションでありそうなことを日々やっているので、真剣に妄想するとワクワクする。それに今書いているこの文章だって、お客さんに見てもらうつもりで書くとより一層ワクワクしますよね。

あともう一つの印象に残ったやつは、「自閉という方法」

これは僕も既に同じようなことを実践しているのですが、人と関わることを出来るだけ避ける。これは人に関わると疲れるからです。単純に疲れる。どう思われているかとか気にするとすごく疲れる。でもどうしても職場の人と関わるとその辺がすごく気になるので、関わる時間を物理的に減らしています。もちろん連携を取るために関わらなければいけないのですが、今は極力避けています。それでも何とか仕事は出来ているから。だから今はそれでいいのだと。大丈夫、きっと上手くいくよと優しく自分に語りかけながら、自閉しています。無理に積極的に人と関わる必要はあまりないんじゃないかと僕は思っています。だから無理しない。ただでさえ今の仕事を好き好んでしている訳ではないから、それ以上は無理をしないということに決めているのですが。そうすることで自分を守っています。それぐらい今の僕は繊細になっているようです。そうやって「自閉」する代わりと言うのか、「多様な刺激を脳に送り込む」ということが大事なようで。まあでもこれは坂口さんの場合上手くいっていることで僕に当てはまるかはわからないので、あまり多くの刺激を入れるようには意識していません。それよりも楽しく、自分が進んでやってみたいと言うことを多くするようにしています。楽しく、やりたいことで日々の生活を埋めていくという感じですかね。そうすることで豊かなというか、窮屈でないというような空気感で生きていられるような気がします。

今は自分を追い込まないことが大事です。

そうやって生活するようにしています。

悩みそうになったらこうやって文章に残しています。

どんなものでもインプットしたまま置いておくと糞詰まりになって苦しくなりますから、しっかりとウンチ出して行くようにしています。

自由にウンチしましょう。

そうすることで脱力できるようになるんじゃないかなと思ってます。

大丈夫、きっとうまくいくよ。と今日も自分を後押ししていきましょう。