いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

これまで自分を褒めた記憶がない

これまでの記憶をたどっているけど、これはたぶん作り話の要素が結構多いような気がする。というか適当に書いています。過去の記憶を遡ったやつと、今思いついたやつを混在させて適当に書いています。そんなに頭抱えて書かなくてもいいかなと思ってきたんです。これはウンチです。坂口恭平さんから学びました。

小説は現実と妄想の組み合わせだと僕は思うので、それができるようになったから、今日から僕も小説家、文筆家なんじゃないかなと思っています。自称文筆家の城尾です。

今日も宜しくお願いします。

 

それでも褒めた記憶はあまりな。印象に残るようなこの時ようやったなと言うのがない。達成感を感じたことがないからでしょうか。満足感がないからなのか。とりあえず自分を褒めた記憶がない。

謙遜を良しとして育てられたのかな。その辺よくわからない。

自己肯定とかそういうのでもないような気がするけど、やったなと思える瞬間がないわけではない。幼稚園の時のことなんてほとんど覚えてはないけど、覚えている限りではしょっちゅう怒られていた。理由は明白で「ちゃんと」しないから。これに関しては何回も言われた。落ち着きがなく、思いついたことをその場でやってしまう癖があったから、場にそぐわないことをやってします。それにじっとしているのが嫌だったのか、静かな空気もあまり好きではなかった。それに言葉が上手く出ないから、思うようにならなかったから腹立ったら殴ったりしていた。とても凶暴だった。手に負えないから親も「ちゃんと」しなさいという言葉でなんとか押さえつけるしかなかったんだと思う。「ちゃんと」という言葉は窮屈で仕方ないけど、親もそうするしかなかったんだと思う。それは仕方ないかなと思う。言葉自体は悪い印象もあるけど、今でいう高齢出産に近い、末っ子の僕に本当に手を焼いていたんだと思う。

凶暴だった幼少期があり、一人で遊ぶことが多かったんで余計に協調性も育たなかったんじゃないかなと思う。上に姉と兄がいたけど、年が離れていたので、あまり一緒に遊ぶこともなかったから、加減がわかっていなかっただろうし、親といることが多かったから僕に配慮した対応を取ってくれていただろうから、癇癪を起したとしても上手に対応されていたんだと思う。でも親以外とコミュニケーションを取るとなると僕優位で進めるばかりでは上手くいかないから、協調するということが求められるけど、それが苦手でイラついていたのかもしれない。だからよく腹が立っていたんだと思う。幼稚園から高校ぐらいまでは周囲の僕に対しての印象としては怖い。というのが主なイメージだと思う。すぐに手を挙げるやばいやつ。

力でなんとかしようとする暴君だったと思う。だから友達少ないんかもしれないな。特に女性からは非常に嫌われていたのではないかと思う。女性は口がたつから僕はどうしようもなかった。何か物事が起きてどうするとなった時に、女性は説明してくるけど、僕は上手く言えない、でも女性の意見には反対。従いたくない、でも攻勢を強めてくるイライラする僕は力でねじ伏せようと力で物を言わせる。泣かれる。先生に怒られるということを繰り返していたように思う。そういうのが続いたから、誰とでも仲良くすると言うことをその時から辞めている。僕のことを分かってくれる、言葉が少ない僕でもなじめるような人としか仲良くしてこなかった。

結果的にはそれが良かったのかもしれない。クラスの人気者になる人はそんなんじゃなくて、誰とでも仲良くできて、何より優しい。それにしょうもないこと言うてんのに皆を笑わせたりしていた。そういう存在に僕もなりたいと思ったこともあったけど、ひねくれている僕はなんじゃあいつしょうもなと心の中でつぶやくだけでした。

そういうこと言ってる僕が一番しょうもなく、小さいのですがそうだったんです。

そういうことを繰り返しているうちにたぶん批判的な性格、斜に構えるという性格が構築されていったのでしょう。

そんなやつが自分を手放しに褒めることができるはずがないなと今思えばわかります。

何かできても、だからなに?みたいな態度を取るに決まっている。素直さがないんだもん。そりゃ素直に喜ぶはずないよな。

素直でいるということにむしろ恥ずかしさを覚えていたんじゃないかな。表現するということは自分を曝け出すと言うことという感じにとらえて、できるだけ感情をひた隠しにする。そして自分の内面から一番遠い怒りという感情だけを表に出して、自分の内面を見せないようにしていたんだと思う。内面を曝け出すと言うことが何よりも自分にとっては難しいことでした。表現するということが難しかった。言葉にするのが元々苦手だったので、内面に起きていることを上手く外に表出できなかった。それが相手に上手く伝わらないので、だんだん嫌になってきて。めんどくさくなって表出するのを辞めて、その結果。怒る。という訳のわからないシステムが構築されていきました。内面から湧き上がる感情を独自のフィルターを通すことによって出てきたものは全て怒りの感情と言う残念な表出の方法しかなかった。

そこが違えばもっと違う人生だったかもしれない。今じゃなくてその当時気づけていればこんな僕でももっとモテ人生を歩むことが出来たんじゃないかなとか後悔しています。バレンタインのチョコなんてもらったことないですからね。ワクワクするイベントなんかじゃなくて怒りの発端になるイベントでしかなかったから。朝からみんななんか湧いているけど、僕には関係なかったのでこいつらうるせいなと思いながら、沸々と怒りの感情が湧いていました。そんなイライラするイベントなんて無くなってしまえと。甘いもん好きやったけど、チョコなんかもらってもしゃあないし。ていうか俺の好みも知らん奴からもらってもしゃあないし。それやったら自分で買うしとか思っていたに違いありません。もらってよっしゃなんて言いません。おう、いらんけどせっかくやしもらっとくわ。ってな感じです。完全にひねくれています。やばいです。ねじねじ具合は中尾明氏の首もよりも激しく捻じれていたと思います。

もはやなんの話かわからなくなってきたけど、要するに褒めたことがないという話でした。

もっと話したいことが会ったような気がするけど、今日はこの辺で。

こんな僕でもこうやって、社会人になって仕事をするまでになっているんだから、どんな状況であっても、大丈夫、きっとうまくいくよと言ってあげるとおちつくかもしれませんね。

 

坂口恭平さんの発信を毎日浴びている訳ですが、熱狂が止まりませんね。

坂口恭平さんに対する想いをどこかで綴りたいと思います。