いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

自分の持ってないものを持っている人を見るとなぜか悔しい。

SNSが隆盛している結果、

人の才能とか成功なんかを目にする機会が無駄に増えています。

そんなものを目にすると、

なぜか「あーやられた」みたいな感情になるのです。

 

元々ライバル的な存在の人ならまだしも、

見ず知らずの人の才能や成功などにも過敏に反応します。

 

なんか悔しい。

 

ちょっと前だったら、意味もわからず成功したいとか、

夢叶えたいみたいな感情があったから、

わからないでもないんですけど。

 

この年になっても、未だになんか悔しいって気持ちが抜けない。

 

羨ましいとかじゃなくて、

なんか悔しいんですよ。

 

憧れるとかでもなくて、

なんか悔しい。

 

最近で言うと、

やっぱり坂口恭平さん。

面白いし、

ぶっ飛んでるし、

なんでも簡単にやってるように見えるし、

なんせ多才なんですよ。

でも、適当な雰囲気出すんですよ。

絶対賢いんですよ、それなのに適当にできるんですよ。

それずるいんですよ。

 

他人と比較しても仕方ない、

自分は自分とか簡単に言う人いますけど、

そんなに簡単でもない。

僕みたいな劣等感の塊人間にとっては、

ちょっとでも自分の持ってない部分を見せられると、

悔しくって、萎縮しちゃいます。

 

自分は何も持ってないって。

殻にこもってしまいます。

 

なんで自分は何も持ってないんやろって、

落ち込みます。

 

ここでナニクソなんて根性出てきません。

とりあえず腐るというのが僕のパターンです。

ある程度腐ると忘れるというのが定番です。

そして別のことに興味が移っています。

でも、それっていいことじゃない?

元あったものから、別のものに変化してる。

腐って発酵して醸造されてるんかも。

 

でもこれ坂口恭平さんが今日言うてたことのパクリなんよな。

言葉に著作権はないからまあえっか。

 

とは言え、

腐って終わるということは振り返ればなかったな。

落ちるとこまで落ちたら、勝手に浮上してました。

というか忘れると言うことの方が正しいかも。

 

僕はすごく忘れっぽい。

最近は特に忘れっぽい。

悔しい気持ちを忘れる。

人としてどうなのかと言うところはあれど、

それば僕の生存戦略の主たる部分ではあるかもしれない。

そのおかげで、腐敗して死を選ぶということをしてこなかったのかもしれない。

 

忘れっぽいのは文章を書いていても同じで、

基本的に見直しをほとんどしないので、

構成とか良く分かってないし、

書いている途中で書き出しの思いも忘れて、

自由に書いてしまう癖があります。

 

なので、見ている人からは、

たぶん「で、何が言いたかったの?」となっている人が多いように思う。

まあこれ僕のウンチやから気にしないで。

 

おしまい。