いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

こんだけ書いてまだ高校時代か自分史書いてみると思ったより長い。

高校は県立高校入学し、今までの流れを踏襲して、野球部に入部しました。

 

 

入部した野球部には歴史がありまして、

「善闘記念碑」という謎の石碑に挨拶してから練習が始まります。

旧制中学時代、選手権に出場し、延長25回まで試合をしたらしいです。

その善闘を称えて建てられた石碑。

こんなこと言うとOBの人に怒られそうやけど、

延長25回まで行ったか知らんけど、だからナニ?って思ってました。

その当時はあんまり意味わかってなかったから、マジで謎儀式やと思ってました。

 

そんなスタートでしたが、

同級生で同じポジションのやつがいないという幸運に恵まれ、

3年が卒業してからの新チームでは試合出てました。

でも夏休み終わるぐらいから肩が痛くなってきて、

痛み止め飲まないと投げられへんぐらいに痛くなって、

病院行ったら手術した方が良いって言われて、

確か冬休みに手術しました。

病院通いで練習休むことが多くなって、

復帰できる時期になったら、

自分のポジション空いてなかったです。

その結果やる気無くなって、腐りまして、

新チームになっても試合に出たり出なかったり。

秋の県大会でくじ運良くて、そのブロック唯一の私学に勝ち、

これは甲子園行けるんちゃうみたいな感じでベスト8まで行きましたが、

この試合でヘタこいて、一回で交代させられるという屈辱味わい。

最後の選手権予選では、

8回表の守備で監督からの配球のサインに疑問を感じ躊躇してピッチャーにサイン出した結果同点に追いつかれ、

ベンチに戻ったら躊躇したことに腹立ったのか監督に「勝手にせい」と言われ、

9回表にこんなごっついの打たれたことないってぐらいの、

会心の3塁打そしてツーランホームラン打たれて終戦

あれはすごかった。

そんな感じで終了した野球人生。

結構後味悪い終わり方でした。

そのせいで結構野球嫌いになったかも。

 

野球漬けの毎日で気づいたら受験。

肩の手術したことで知った理学療法士という仕事、

この仕事に就こうと思って進路選択して、

今考えるとなぜかはわかりませんが、

志望校以外受験しませんでした。

リスク度外視で結果レベル高いとこ一歩釣りで狙って、見事に散りました。

いやマジで、なんで他受験せんかったんやろと思います。

どう考えても無謀な受験でした。

たぶん偏差値とか知らんかったんでしょうね。

その結果浪人生活に突入しましたよ。

この辺、結構暗黒時代かもしれません。

今となってはおもろいけど。