いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

またまた恥ずかしい思いを綴ります。

「本当の自分ってなんですか?」

という青さ満点の悩みに長年苦しめられてきました。

 

そもそもそんなものはないということに早くに気づいていれば、

そんなに苦しむこともなかったのになと今更後悔しております。

 

結局のところ自分って自分ですもんね。

そこにいるもの、そのものですからね。

本当もくそもないです。

それ以上でもそれ以下でもないです。

 

にも関わらず、いつしか本当の自分とかいう幻想に惑わされます。

 

でも最近、

悲しいかな最近になってようやく気づきました。

どのような状況にいる自分も自分であるということが。

 

その状況に合わせてキャラが変わるだけで、

演じているというか行動している、その行動を選択しているのは

根源は自分であるということ、

だからウジウジ考える必要ないなって。

 

いついかなる時もずっと同じっていう方が逆におかしような気がして来て。

 

毎日毎日寸分狂いもなく、同じ人と同じ時間に同じ状況で出会うことしかない、

というのであればずっと同じということもあり得るのかもしれない。

でもそんなことってないですよね。

同じ毎日というのは一日たりとないわけですから、

違う自分がそこにいて当然なわけで。

 

愛想笑いしてようが、腹の底から笑ってようが、

よいしょしてようが、腹の中とは違うこと言ってようが、

その行動を起こしているのは自分やから。

 

というような自分をひたすら追求していくとそんな感じなのかなと、

干支を3回巡ってきてようやくわかりました。

 

しょうもないこと考えんとただ生きてたらよいと。

俺ってこんなんやったんかなって。とか考えんで良い。

その時その時思うように生きたらええんとちゃうかなと。

 

素のままで生きているように思われがち、

結構奔放に生きてるように思われがち、

自由やなって言われがちですが、

結局それもその時のキャラであって、

ずっとそんなことしてるわけでもないし、

使い分けてるというとこすいやつやなと思われそうやけど、

自然と会う人それぞれに合わせてるだけで、

なんでか自然とそうなる。

その人が好きとか嫌いとか別にして。

 

複数の顔を持っているようです。

それが変やと感じていましたが、

それもキャラやなと。

そんな感じで捉えるようにしたらちょっと生きやすくなったような感じがします。

 

なんか恥ずかしいけどそんな感じですよ。

僕って。