いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

あれがなければ僕の小学校時代は確実に闇でした。

 久しぶりに自分史シリーズです。

来るべき時のために準備しておきましょう。

 

幼稚園児にして親の呼び出しくらうという、幼稚園ですでにモンスターぶりを発揮しており、小学生に上がってさらに悪ぶっていくのだろうと思われるかもしれませんが、それは全くもって間違いです。

 

身長は小さく、特技も特になかったし。さして目立つこともありませんでした。

ただ癇癪持ちの扱いづらい子供だということぐらい。

先生からはおそらく嫌われていたと思います。

明るく楽しい悪ガキであれば、先生もやりやすいけど、

僕の場合はそんなんじゃなかった。

ひねた、やる気のない、天邪鬼な、空気を壊す系のやつでした。

なので周囲から気を使われていたと思います。

「シロオ君ってなんか怖いよな。。。」みたいな。

女子からは特に怖がられていたと思います。

女の子と話すのはなんとなく恥ずかしいし、上手に話が出来ず、キャッキャ言うし、うるさいし、なんかあったら「先生に言うたろ」とか言うてくるし、やたらとムカつくから切れる・殴るという感じのマジヤバイやつでした。

思いやりのかけらもなかったです。

野人の子でした。

 

それでも、子供会のソフトボールを始めてからは少しずつ変わっていったかな。

確か3年2学期ぐらいからやったと思います。

 

たぶん友達の影響もあるし、父親から勧められたというのもあったと思います。

それからは毎週末に練習があるもんやから、どんどん熱中していきました。

 

入った当初はチームも弱く、小学校区の大会でも勝ったことあんまりないぐらいの弱小チームでした。

人も少なくて、6年生が主体で5年生おらず、あとは4年生以下が主体でした。

さらに、6年生が引退した時は4年生以下しかいないからもっと弱体化していきました。

 

でもそのおかげで、入りたての僕でも試合に出る機会が増えて行き、

4年生になった時には既にレギュラーでした。というか人がいなかったからポジションが空いてました。と謙遜したいところですが、実際のところセンスありまして、実力でポジション獲得してました。

始めたばっかりやのにすごいなって言われてました。

結構なんでも卒なくこなす感じの少年でした。

特に守備にはその当時自信ありまして、校区の中では6年生も含めて一番上手いんじゃないかと自負しておりました。

チームはまだ力はなかったけど、6年生のいない1年間で着実に実力をつけていきました。

 

僕が5年生になった時が一番強くて、良い思いができました。

新学年になってすぐの春の校区大会の優勝を皮切りに、夏の校区大会も優勝し、

チーム初の明石市の大会に出場することができました。

その当時はその大会の規模がデカ過ぎてびっくりしてました。

だって明石市の全部の小学校の優勝したチームが一堂に会する訳ですから、

チーム数は20は軽く超えてたと思います。

二日続けて開催される大会に出たことなかったし、

小学生にとってはすごいことですよ。ましてや元弱小チームですから。

 

そんな新参者のチームではありましたが、くじ運も良かったとこともあって、

とんとん拍子に勝ち進んでいきました。

あれはほんまにすごかった。勢いってあるんやなって思いましたね。

そんで二日目の準決勝で優勝経験のある当時優勝候補のチームと当たりました。

練習試合を一回だけ前の年の秋にやってて、ぼろくそにやられてたので、

めちゃくそ舐められてたと思います。

それでも奇跡に勝っちゃうですよね。勝った時僕泣きましたからね。

あんな嬉しかったこと野球やっててなかったんちゃうかなぐらい。

ほんで決勝は余裕で勝ちました。

初出場・初優勝っていうカッコイイやつです。

後から聞いたんですけど、週末しか練習してないの僕のチームだけらしくて、

他のチームは平日も毎日ぐらい練習してたらしくて今考えたらよう勝ったなと思いました。

優勝チームはおまけみたいな感じで、東播地区の大会に出れるのですが、そこも余裕で優勝しました。

あの時のチームマジで強かったです。

この優勝のおかげで翌年明石の選抜チームに僕のチームから3人選ばれて、県大会に出場して、全国大会まで経験させてもらうことができました。

そのおかげで全校集会の時に皆の前で全国大会に出たことを紹介してもらったり。

野球人生の中で小学校時代が一番輝いていたなと振り返ると思います。

ソフトボールやってて良かったなと思います。

これがなかったら闇の小学校時代を送っていたことでしょう。

きっかけをくれた友達や親にほんまに感謝です。

この当時から少しずつ人間らしさを備え始めてきました。