なんか聞いたことあるフレーズやなと思ったら、
ポルノグラフィティの歌で「幸せについて本気出して考えてみた」っていうのがあったんですね。ググってみてビビりました。歌のタイトル割には長いな。
内容は盗作してませんからね。
というかついにこんなことまでここで書くことになりました。
僕にとっては究極の問いです。
「幸せ」とは。
数年前ある方に言われました。
「シロオさんは幸せが何かわかってないから、人を幸せにできないよ」と。
その時はショックというよりもすごく納得しました。
それに納得できるやつって、ヤバイやつ認定ですよね?
そんなこと言われて、「こいつ何言うてんねん!」とか、「俺の何がわかんねん!」とか思ってもいいところ、思うだけでなく否定する場面なのに、妙に納得してしまいました。
まあ、尊敬している人だったからその人に言われたら仕方ないかなとか思ってたんかもしれません。
それを言われてからは、結構な頻度で真剣に考えてます。
おそらく病んでたんかもしれません。
幸せってナニ?とか考えたこともなかったし、意識する瞬間もなかったから。
そもそも重要視したこともなかったです。
幸せについて考えなくても生きて行けてたし、殊更に強調することでもないし。
でも、考えてみるとめちゃくちゃ深みにハマりました。
感じたことなかったんかな?とか
幸せについて意識しない俺ってヤバイやつちゃうの?とか
幸せってナニナニナニナニナニナニナニナニナニニナニナニナニナニって感じでした。
どうでもいいけど、ナニが途中でニナに変わってるの気づきました?
今さっき改めて考えてみました。
結論から言うと「幸せ」って考えることちゃうなと。
定義づけすることでもない。
というか「感じる」ものであって、考えて「ワカッタ!」ってなるものでないんだなと。
しみじみ、ジワジワ、ふとした瞬間に全身で感じるものであって、
ない頭をこねくり回して脳ミソだけで、理解するというものではない。
感じ方は変わらない部分もあるかもしれないけど、価値観は変わっていくこともあるから、その時々によって感じ方も変わるやろし。
幸せについて特に意識しなかったというのは、ある意味幸せやったんちゃうかなと。
幸せを強く意識するということは、逆に言うと辛かったり、嫌やったりネガティブな経験がたくさんあるから、コントラストで余計に幸せな瞬間が目立つんちゃうかな。
例えはしょぼいですけど、めちゃくちゃ寒くて身体が芯から冷えてる時にあったかい飲み物飲むだけで「あー」っていう感じあるじゃないですか。そんな感じ。
ネガティブな感情が少ないと、取り立てて意識しないと幸せって気づきにくいと思います。
こう言うと不幸せな時以外は全部幸せな時なのかって言われそうですけど、それでいいんちゃいますかね。
難無く生きられるってすごく有難いことじゃないかなと。
大きな挫折感をこれまでの人生においては感じたことがない僕は、本当はすごく幸せな人間なのかもしれません。
なんか劇的なことが起こった方が人生刺激があって楽そうですけど、そうでなくても十分に幸せは感じることができる。
五感をフルに駆使してみると色々と幸せありそうです。
何気ない日常の中に幸せは溢れていると思います。
でもでもでもでもー
今のところは刺激の多い方を選んでしんどい思いもしながらでも、生きて行きたい派です。何気ない日常の中に幸せがあるとしても。
良い加減、足るを知りなさいって話ですが。
その時々によって感じ方が変わるから、明日には違うこと言ってるかもしれません。
それでいいんちゃいますかね。
ずっと一緒なんてあり得ない訳ですし、絶対はないし。
この言葉好きなんですよ。「絶対はない。」
あんま関係ないけど、「ゆく河の流れは絶えずして...」というやつも好き。