ストレスの本を読んでいるのだけど、その中でエクササイズがあり少しずつやっている。
その中で自分にとって大切な価値観をリストの中から3つ選び、その中の一つについて10分間で理由を書きましょう。というものがある。
非常に困った。
聞かれると途端に固まる。
好き勝手にテキトーに書くときは何とも思わないけど、聞かれると緊張する。
何も考えてない時は出てきそうな気がするけど、聞かれると何だったかと考え込んでしまう。
まず、リストに挙げられているものから3つを絞ることが自体ができない。
これも大事にしてそうだし、これも大事だと思うと。
選択肢を絞るのが苦手なのかもしれない。
50個ぐらいあるけど、ちょっと多すぎる。
もうちょっと減らしてほしい。
どれも大事な気がして決めきれない。
ここで優柔不断さが出てくる。
基本的には優柔不断。
だから出来るだけ選択肢を少なくして、勢いだけで乗り越えてきた過去がある。
この選択肢を少なくしてというのも、勝手に頭の中でやっているだけで、というか視野が狭いから勝手に選択肢を減らしている可能性もあるけど、とりあえず減らしている。
そうしないと行動が出来ないから。
選択肢を増やすことを良しとしてない。
迷う要素が増えるだけだと思っているから。
色々と経験はしてきたけど、選択肢を増やすためにやってきたのではなくて、その都度興味のあることが違ってたから色々と経験してきただけで、将来のためにやってきたことなどない。
言い訳が過ぎるけど、とりあえず本題に。
そんな考え方なので、リストの中に「自由」があったけど選ばなかった。
20代だったら何よりも先に選んでいたと思う。
圧倒的に「自由」を求めていた。
たぶん親からの干渉などがあったからだと思う。
でも今はそういうのないし、別に自由であろうがなかろうがそんなに人生変わらないような気がするから自由を重んじることは無くなってきた。
結局は自分がどう選択するかだけだから、自由でなくても選択はできる。
これまでは可能性のある限りなんでもやりたいみたいなところもなくはなかったから、「独立」とか「冒険」とか「発見」とかも大事にしただろうなと思うけど、それもあんまりピンとこない。どれも大事でいて大事でない。
年齢によって大事にすることって変わるんだなと思う。
この3つも20代から30代前半だったら確実に選んでいたと思う。
でも今はそんなんじゃない。
そんな感じで消去法的に選んでまだ迷っているのが、
「好奇心」「感謝」「思いやり」「情熱」「愛」「強さ」
これらは最近圧倒的に欠如しているのではないかと感じている。
できればこれ全部を大事にしたいし、これらを持っている人間になりたいとめちゃくちゃ思う。
むしろこれさえあればあと何もいらない感じ。
これらを持ち続けることができれば残りの人生は無敵だと思う。
並べてみると改めて感じる。
その中でも「好奇心」に関しては未だに失っておらず、常に持ち続けることが出来ていると思う。
好奇心が尽きることはないし、好奇心が無くなった時は自分が死ぬときかなと思うぐらいに大事なことだとは思っている。
好奇心こそが行動の原点であり、活力の源泉であると思う。
これは何よりも大事にしたいし、それこそ死守したいもの。
これさえあれば生きていける。
なんでもできると思っている。
以前と比べれば少し減少傾向にあるような気がしているのも事実で、ちょっと心配だからこれは大事にしたい。
何よりも優先される事項。
具体的な理由はないけど、大事にしたい。価値観の一つ。
「感謝」できない人間はクソだと思っているから、常にこの気持ちを忘れずにいたい。
というかどちらかというとクソ側の人間で、結構してもらったことを忘れる。
恩を仇で返すと言うようなことはしないにしろ、貰った恩をを返すと言うところまでは行かないし、恩がある人とのつながりを大事にしているかと言われるとそうでもない。
過去の事だと思って、振り返ってまた恩返しをしようということには中々ならない。
感謝の気持ちを忘れない人って憧れる。
そんな人になりたい。
何か上手くいっても、周囲の支えがあったからこそだと言える人間になりたい。
憧れると言う意味で「感謝」という気持ちは大事だと思う。
「思いやり」これは全く持ってない。
大事にしてないからなのか、それとも表立ってだせないのか、どちらかわからない。
感謝と同じで思いやりは他者に対して向ける感情であって、自分に向いていない。
だから大事に出来ていないのかも。
常に自分中心で行動をしているものだから、こういった他者に向ける気持ちが圧倒的に欠如している。
「感謝」「思いやり」のある人間になったら、深みのある人間になれるような気がするから、大事にしたい。
というかこうなりたい。憧れる。
「情熱」よどこへ行った。
そう今の僕には情熱がない。
熱い気持ちが全くない。
何としてもこれをやりたいというものがない。
やりたいことはなくても熱さが欲しい。
熱闘甲子園、情熱大陸って聞くだけでもかっこいい。
そんな感じ。
これもなりたい自分の一つかもしれない。
情熱を持った人間。
でも実世界においては熱い人からはめちゃくちゃ離れる。
ウザイと思ってしまう。
あなたの持っている熱と私の持っている熱の差を理解したうえで、熱を持って話をしてほしいと思ってしまう。
誰しもその温度で来てほしいと思っている訳ではないですよと。
それでもその拒否反応は強い憧れを隠すがための感情ではないかなと思ったり。
遠くの熱い人への憧れはあるけど、近くにそういう人がいると途端にやる気を失くす。
たぶんそれは嫉妬などから来る相手へのやっかみに他ならないと推察する。
だから本当は熱くなりたいんだと思う。
熱い人って感謝もあるし、おもいやりもあると思っている。
というか全て兼ね備えているのではないかとさえ思える。
熱さは万能だと思う。
その気持ちの昂ぶりがあればなんでもできるような気がしている。
そんな人間になりたい。
あと熱い人は語れるから羨ましい。
僕も何か語れる人間になりたい。
熱いって表面的な松岡修造的な熱さもあるけど、訥々と語る熱さもあると思っている。
どちらかというとそういう表面にわかりやすく出す訳ではないけど、内側から燃え滾るような熱さを持っているような人間になりたい。
「愛」があれば何でもできる。
これさえあればどんな行動をも起こすことができる。
全ての根源。
慈愛に満ちた人間になりたい。
「強さ」は豆腐メンタルの僕からすれば憧れ以外の何ものでもない。
強さがあれば怖いものなんてない。
ストレスから逃げることもない。
いつもびくびくしながら生きる必要もないから、欲しいものの一つ。
ここまで書いて見たけど、書いた分量からすると。
上位の「情熱」「好奇心」「感謝」「思いやり」の4つに絞られる。
ここから3つに絞るとすると、「思いやり」のある人間は「感謝」もあるからこそだと思うから、「思いやり」を残そう。
なので、「情熱」「好奇心」「思いやり」が僕にとって大切な価値観になる。
現時点では持ち合わせてないけど、欲しいという願望も含まれている。
特に「情熱」は僕とは真逆のものだけど、それでも憧れは強い。
全く持ってないからこそ、「情熱」に対しては卑屈になる。
これらの大事だと思う価値観について、ストレスを感じて辛い時に思い出すとストレスと向き合う態度が変わるそうな。
そう思って日々を過ごしてみよう。
今日はこの辺で。
大丈夫、きっと上手くいくよ。