いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

坂口恭平さんがTwitterから居なくなったのは何でなんやろ?

坂口恭平さんがTwitterからいなくなって数日経つ。

恭平さんを知ってから一年ほど経つがこんなこと今までなかった。

何か只事ではないことが起きてるのかな、心配で仕方がない。

こうやって毎日書けてるのは恭平さんのおかげと言っても過言ではない。

かなり影響を受けたと思う。

圧倒的な分量に衝撃を受けた。

内容はもちろんのこと書くスピードが半端じゃない。

あんなに人って書けるのかというぐらいにどんどん書いていく。

そんな勢いで書いたら、読みにくいだろうにと思ってもスラスラと読める。

いくらでも読める。

そんな文章が書けたらいいなと思って今はひたすらにどんな状況でも書くようにしている。

僕の場合は内容なんかは全く気にしてない。

とりあえず吐き出すことだけを意識して書いている。

それは恭平さんがうんこ出さないと行けないって言ってたから。

うんこはあくまでも例えだけど、うんこを溜めているとお腹が痛くなるのは誰でも想像できる。

でも思いや考えを溜めても具合が悪くなるって思ってないって。

だからいつのまにか具合が悪くなるって。

取り込んだもの、それは食べ物だけじゃなくて、情報なんかも含めて全部を身体の中に溜め込んでおくと具合が悪くなるからしっかり出しましょうと言ってたから、それはすごいことだと思って毎日こうやって出している。

そうすると以前よりは実際のうんこ自体も結構出るようになってきた。

書いているだけなのに体調が良い方向に向かっている。

僕の場合は文章を書くのが合っているけど、絵を描いたり、何か作ったりでもいいって言ってた。

創ることが大事だとも言ってた。

 

なるほどと思ってパステル画も書いたけど、それはあんまりハマらなかった。

絵はなんかめんどくさいと思ってしまう。

準備もいるし、手は汚れるし、片付けもいるし。

それが嫌で一回描いたらやめてしまった。

また描いてもいいんだけどらめんどくさを超えるほどのハマり具合ではなかった。

 

恭平さんの作品だけじゃなくて、Twitterでの発言や行動が面白かったので、それも楽しみにしてたから、ここ数日見れてないからちょっと寂しい。

ある意味でちょっとした生きがいになってる部分もあったのかもしれない。

だから早く復活して欲しい。

体が悪くなってるのか、心の方かそれとも何か怪我や事故があったのか、機械の故障等で発信出来ないのか、それとも何かトラブルに巻き込まれたのか。

一体何があったのかは全く分からないけど、願わくば早く復帰して欲しいと個人的には思う。

このままなんの前触れもなく居なくなってしまうのは寂しすぎる。

 

今日はこの辺で。

 

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

この言葉も恭平さんのパクリやもんな。

この言葉めちゃ好きなんよな。

 

連休明けほどダルいものはない。

あっという間に3連休が過ぎ去った。

本当にあっという間。

何で休みってこんなに早いのかと思うぐらいに早い。

嫌になる。

もっと休みたいと思うけれども、そこは社会人であるので、行くしかない。

まあ今週は幸いにも2日行けばまた休みがあるから、まあええかなと思える。

前も書いたけど、就労日は週に4日で充分だと思っている。

それぐらいでないと身体がもたない。

今読んでいる、ストレスについて書いてある本には忙しい人ほどストレスを力に替えていると書いてあった。ほんまかよと思う。

ストレスという言葉の使い方がそもそも違うのだなと思った。

使い方の前提を変えることが大事なのだと。

行きたくない仕事に行く方法は書いてなかった。

それは自分でなんとかしろということか。

本の最初には確かにそんなことは一言も書いてなかった。

ストレスという言葉が曖昧である故、使われ方が様々で、悪い印象だけが一人歩きしている。

その印象を変えることにより、ストレスを力に替えていこうというような書き始めだったように思う。

僕の解釈なので合ってるかどうかはわからないけど。

 

なので僕が今感じているストレスとはまた違うような気がする。

僕は働くこと自体がストレスとなっている。

なぜ労働しないといけないのか、労働が前提にあるのは何故なのかと思っている。

 

でもここで明確にしとかないといけないのが、労働の内容が問題なのかどうなのか。

労働の内容にストレスを感じているとしたら、より具体的にどの部分がストレスと感じているのかを明確にしないといけない。

 

そう言われるとどうだろうか。

今の仕事自体が好きではないのかもしれない。

 

いつからそう感じているのか?

学生時代からだと思う。卒業を間近に控え、今の職業に就くのか、それとも違う職業に就くのかというのを迷ったことがある。

結局変えること自体が大きなことのように思えて、あんまりやりたくはない今の職業を選んだ。

そこからがそもそもの始まりだ。

 

そうなるともっと遡る必要がある。

僕は養成校の専門学校に入学した。

この学校に入ること自体は自らが希望し、今の職業に就きたいと思って受験し、入学した。

入学してしばらくは良かった。

ただ勉強するだけで良かったから。

2年目でちょっとずつ雲行きの怪しさを感じだした。

思考をしないと行けなくなったから。

勉強はそれなりに出来たけど、自分の考えを出すということが苦手だと今まで知らなかった。

そこからがしんどかった。

ある事象に対して、必要な情報を収集して、得られた情報から自分なりに仮説を立て、その仮説が相応しいかを検証し、検証結果に沿って結論を導き出し、出た結論を再度検証するというサイクルをひたすらやり続けるというもの。

情報収集からしてはっきり言って意味が分かってなかった。

こんなにも分からないものかというぐらいにわかってなかった。

それが全ての始まりになったと思う。

その分からないというストレスに僕は耐えられなかった。

なぜ分からないのか?

分かるようになるための道筋が全く見えなかった。

そうかそこからか。

分からなかったら聞けばいいと思って聞こうと思っても何が分からないのかが分からないとなった。

それはまたまた困った。

この暗黒のループをひたすらに繰り返した結果この職業に向いてないという結論を学生時代に出してしまった。

分からない状態に耐えられなかっただけ。

多分それだけ。

そこを受け入れることが出来なかった。

出来の悪さを受け入れることが出来なかったために今があるのだと思う。

 

なるほどわかりました。

そういうことか、出来ないという状態を受け入れない様にした結果か。

それなら自分が出来が悪いことを受け入れた上で何をするのかを考え直せばいいということか。

ちょっとやる気出るかもしれない。

誰かが問題に遭遇したら因数分解したらいいと言ってた意味がなんとなく分かってきた。

問題を分けて行くことが、分かる過程の一つなのかもしれない。

こんな基本的なことが分かってないことに驚くけど、出来が悪いから当たり前。

 

ちょっと気持ちが変わるかも。

 

なので今日はこの辺で。

大丈夫、きっと上手くいくよ。

 

自分が大事にしているものを言ってみてと言われると途端に固まる

ストレスの本を読んでいるのだけど、その中でエクササイズがあり少しずつやっている。

その中で自分にとって大切な価値観をリストの中から3つ選び、その中の一つについて10分間で理由を書きましょう。というものがある。

非常に困った。

聞かれると途端に固まる。

好き勝手にテキトーに書くときは何とも思わないけど、聞かれると緊張する。

何も考えてない時は出てきそうな気がするけど、聞かれると何だったかと考え込んでしまう。

まず、リストに挙げられているものから3つを絞ることが自体ができない。

これも大事にしてそうだし、これも大事だと思うと。

選択肢を絞るのが苦手なのかもしれない。

50個ぐらいあるけど、ちょっと多すぎる。

もうちょっと減らしてほしい。

どれも大事な気がして決めきれない。

ここで優柔不断さが出てくる。

基本的には優柔不断。

だから出来るだけ選択肢を少なくして、勢いだけで乗り越えてきた過去がある。

この選択肢を少なくしてというのも、勝手に頭の中でやっているだけで、というか視野が狭いから勝手に選択肢を減らしている可能性もあるけど、とりあえず減らしている。

そうしないと行動が出来ないから。

選択肢を増やすことを良しとしてない。

迷う要素が増えるだけだと思っているから。

色々と経験はしてきたけど、選択肢を増やすためにやってきたのではなくて、その都度興味のあることが違ってたから色々と経験してきただけで、将来のためにやってきたことなどない。

 

言い訳が過ぎるけど、とりあえず本題に。

そんな考え方なので、リストの中に「自由」があったけど選ばなかった。

20代だったら何よりも先に選んでいたと思う。

圧倒的に「自由」を求めていた。

たぶん親からの干渉などがあったからだと思う。

でも今はそういうのないし、別に自由であろうがなかろうがそんなに人生変わらないような気がするから自由を重んじることは無くなってきた。

結局は自分がどう選択するかだけだから、自由でなくても選択はできる。

 

これまでは可能性のある限りなんでもやりたいみたいなところもなくはなかったから、「独立」とか「冒険」とか「発見」とかも大事にしただろうなと思うけど、それもあんまりピンとこない。どれも大事でいて大事でない。

年齢によって大事にすることって変わるんだなと思う。

この3つも20代から30代前半だったら確実に選んでいたと思う。

でも今はそんなんじゃない。

 

そんな感じで消去法的に選んでまだ迷っているのが、

「好奇心」「感謝」「思いやり」「情熱」「愛」「強さ」

これらは最近圧倒的に欠如しているのではないかと感じている。

できればこれ全部を大事にしたいし、これらを持っている人間になりたいとめちゃくちゃ思う。

むしろこれさえあればあと何もいらない感じ。

これらを持ち続けることができれば残りの人生は無敵だと思う。

並べてみると改めて感じる。

 

その中でも「好奇心」に関しては未だに失っておらず、常に持ち続けることが出来ていると思う。

好奇心が尽きることはないし、好奇心が無くなった時は自分が死ぬときかなと思うぐらいに大事なことだとは思っている。

好奇心こそが行動の原点であり、活力の源泉であると思う。

これは何よりも大事にしたいし、それこそ死守したいもの。

これさえあれば生きていける。

なんでもできると思っている。

以前と比べれば少し減少傾向にあるような気がしているのも事実で、ちょっと心配だからこれは大事にしたい。

何よりも優先される事項。

具体的な理由はないけど、大事にしたい。価値観の一つ。

 

「感謝」できない人間はクソだと思っているから、常にこの気持ちを忘れずにいたい。

というかどちらかというとクソ側の人間で、結構してもらったことを忘れる。

恩を仇で返すと言うようなことはしないにしろ、貰った恩をを返すと言うところまでは行かないし、恩がある人とのつながりを大事にしているかと言われるとそうでもない。

過去の事だと思って、振り返ってまた恩返しをしようということには中々ならない。

感謝の気持ちを忘れない人って憧れる。

そんな人になりたい。

何か上手くいっても、周囲の支えがあったからこそだと言える人間になりたい。

憧れると言う意味で「感謝」という気持ちは大事だと思う。

 

「思いやり」これは全く持ってない。

大事にしてないからなのか、それとも表立ってだせないのか、どちらかわからない。

感謝と同じで思いやりは他者に対して向ける感情であって、自分に向いていない。

だから大事に出来ていないのかも。

常に自分中心で行動をしているものだから、こういった他者に向ける気持ちが圧倒的に欠如している。

「感謝」「思いやり」のある人間になったら、深みのある人間になれるような気がするから、大事にしたい。

というかこうなりたい。憧れる。

 

「情熱」よどこへ行った。

そう今の僕には情熱がない。

熱い気持ちが全くない。

何としてもこれをやりたいというものがない。

やりたいことはなくても熱さが欲しい。

熱闘甲子園情熱大陸って聞くだけでもかっこいい。

そんな感じ。

これもなりたい自分の一つかもしれない。

情熱を持った人間。

でも実世界においては熱い人からはめちゃくちゃ離れる。

ウザイと思ってしまう。

あなたの持っている熱と私の持っている熱の差を理解したうえで、熱を持って話をしてほしいと思ってしまう。

誰しもその温度で来てほしいと思っている訳ではないですよと。

それでもその拒否反応は強い憧れを隠すがための感情ではないかなと思ったり。

遠くの熱い人への憧れはあるけど、近くにそういう人がいると途端にやる気を失くす。

たぶんそれは嫉妬などから来る相手へのやっかみに他ならないと推察する。

だから本当は熱くなりたいんだと思う。

熱い人って感謝もあるし、おもいやりもあると思っている。

というか全て兼ね備えているのではないかとさえ思える。

熱さは万能だと思う。

その気持ちの昂ぶりがあればなんでもできるような気がしている。

そんな人間になりたい。

あと熱い人は語れるから羨ましい。

僕も何か語れる人間になりたい。

熱いって表面的な松岡修造的な熱さもあるけど、訥々と語る熱さもあると思っている。

どちらかというとそういう表面にわかりやすく出す訳ではないけど、内側から燃え滾るような熱さを持っているような人間になりたい。

 

「愛」があれば何でもできる。

これさえあればどんな行動をも起こすことができる。

全ての根源。

慈愛に満ちた人間になりたい。

 

「強さ」は豆腐メンタルの僕からすれば憧れ以外の何ものでもない。

強さがあれば怖いものなんてない。

ストレスから逃げることもない。

いつもびくびくしながら生きる必要もないから、欲しいものの一つ。

 

 

ここまで書いて見たけど、書いた分量からすると。

上位の「情熱」「好奇心」「感謝」「思いやり」の4つに絞られる。

ここから3つに絞るとすると、「思いやり」のある人間は「感謝」もあるからこそだと思うから、「思いやり」を残そう。

なので、「情熱」「好奇心」「思いやり」が僕にとって大切な価値観になる。

現時点では持ち合わせてないけど、欲しいという願望も含まれている。

特に「情熱」は僕とは真逆のものだけど、それでも憧れは強い。

全く持ってないからこそ、「情熱」に対しては卑屈になる。

 

これらの大事だと思う価値観について、ストレスを感じて辛い時に思い出すとストレスと向き合う態度が変わるそうな。

そう思って日々を過ごしてみよう。

 

 

今日はこの辺で。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

書くことの効用がちょっとわかったような気がする。

今日はのんびりと書きたい。

普段は考えながらあんまり書かないけど、今日は考えてみようかな。

考えたって結果はあんまり変化ないと分かっているけど、たまには。

最近のことを書こうと思ったけど、仕事と家の往復でほとんど家から出てない。

休みの日は天気が悪くて家の中。

どこの家もそんな感じかと思うけど、他の人たちは何をしているんだろうか。

今更ながらに思う。

退屈過ぎる。

ここまで退屈な日を毎週過ごすと言う経験がないため、困っている。

天気が良ければ畑部で農トレができるけど、週末天気悪い日が多かったからほとんど行けてない。

それで昨日久しぶりに畑部で農トレしたら結構疲れた。

貸主の方から畑の脇に生えている木を切っておいて欲しいと言われたので、頑張って切ったらそれだけで疲れてしまってあとの作業は何もできなかった。

木を切って疲れたのもあったし、蚊が多すぎて辟易としたのもある。

まだまだ蚊はいる。

普段家で過ごしている時は蚊が家に入ってくることはほぼないので、あんまり意識しないけど、まだまだ蚊の季節らしい。

暑さ寒さも彼岸までと言われるし、明日は彼岸の入りだからもういないと思ったのに大量に群がってきた。

周囲が池に囲まれ、草木が鬱蒼としているせいもあるかもしれないにしても多い。

あの畑は本当に蚊が多い、畑部やってる人の蚊対策とは一体どのようなものなのか。

僕の場合は森林香を焚くぐらい。

まあこれだけでも結構効果はあるけど、持ち歩くのがめんどくさい。

入れる容器を持ってないから、手で持ち歩き作業の度に近くの地面においてそこから作業に移る。

専用の容器は持ってはないけど、それっぽいのを前に使ってみたら、欲しいところに煙が来ずに結局刺されたからまあいっかとなって、手持ち状態が続いている。

来年は専用の容器買おうかな結構高いけど。

 

とかなんとか言っている内にいつの間にかテキトーに書いてしまった。

前々考えてない。

ただの独り言でしかない。

今日は朝焼けを久しぶりに見た。

最近は朝晴れてても朝日を見ずに、横になってiPhoneで書いてたから見る機会がなかった。

やっぱり朝焼けは最高。

夕焼けとどちらが良いとは言わないが、朝焼けが好き。

始まるぞという感じが堪らないし。

過去に見た朝焼けが凄すぎて朝焼けのパワーのすごさを今でも信じている。

朝焼けほどパワーをくれるものはないと思っている。

最高。

ほんとうにこの一言に尽きる。

これ以上ない最高。

たまらん。

 

また考えずに書いてしまった。

熟考して書きたい。

そうすればもう少しまともな文章が書けそうな気がするけど、熟考できない。

したくないと言った方が正しいかもしれない。

熟考すると大抵がネガティブな方向に進んでいくような気がする。

木のせいかもしれないけど。

樹のせいかもしれないけど。

気のせいかもしれないけど。

何回打っても誤字になる。

もうそろそろ今日は止めておけというサインかな。

 

でもそれは無視してもう少し書いてみよう。

太陽が完全に姿を現すまでは書いてみよう。

書くこと自体が考えることになっているかもしれない。

 

ヨガに似ているかも。

ヨガも身体を動かす中で意図はなくても気づきが生まれる。しらんけど。

その辺が似ているような気がする。

特に考えてなくても書いているとその時の心理状態気づいたり、

過去の考え方に気付いたり、

どうしたいかがなんとなくわかったり、

書いているうちになんとなくその時の心の内が分かるような気がする。

そうなるとあんまり考えない方が良いのかもしれない。

考えることによって現在の心の内が逆に見えなくなるのかも。

外からの刺激に対して何か反応して書くよりも、

内面を自分のためにつまびらかにしていく方が良いような気がする。

公の場でそんなことする必要はないと思うけど、

そうでもしないと書くことをしないから。

 

書くと言うことは内面を見ると言う意味ですごくいいかも。

そのためにやっていたのかと改めてわかった。

言葉にしなくてもいいようなことでも言葉にしてみると意外とスッとする。

誰のためにもならないブログにはなっているけど、

書くことによる効果はあると言い続けてもいいかもしれない。

話す相手が誰もいなくても書くことでちょっと気分が変わるかもしれない。

僕の場合は周りに話をする人がいるので、保険的な感じでやっているところはあるかもしれないけど、実際に居ない人はいいかも。

それに僕のブログですら毎日1人以上は読んでくれているので、それだけでもちょっと気分は違う。

 

書くことは色んな効用があるかもしれない。

それにちょっと気づいたような気がする。

 

太陽がまぶしいので今日はこの辺で。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

書くことは無いようでも、独り言はいくらでも言える。

久しぶりにパソコンで書いている。

久しぶりにパソコンの前に座ると一気に書く気がなくなっている。

特に書きたいことがないというのが一番の理由だとは思うけど。

今はiPhoneの方がスラスラ書きやすくなっている。

このパソコンに飽きたのかな。

新しいのが欲しくなっている。

そんなことを繰り返しているなと思う。

大体なんでもやったら次のモノに興味が向く。

良いのか悪いのかよく分からないけど。

新しい刺激を欲しがるタイプらしい。

それは前も書いたような気がする。

最近は書くネタ自体が減っているのかな。

元々オリジナリティーがある方ではないので、アイデアも湧かない。

何か心の揺れ動きがあれば書くこともあるけど、そうでない時は正直書かない。

心の揺れ動きと言っても日々の中での些末なことに対してであって。

劇的なことなど毎日起きない。

というかここ何年もそんなことに遭遇したことがないかも。

それが良いことなのか悪いことなのかもいまいちよく分かってない。

劇的なことが起きると言うことはそれだけ身体にも心にも負担がかかる、

それに対応できるだけの体力があればいいけど、無ければただのストレス。

何もない日常を送っていると負荷は少ない。

反面面白みは少ない。

一体僕はどちらを求めているのだろうかと思う。

どちらかと言えば劇的の方がいいのだけど、というか今まではそう思ってきた。

20代の合言葉はいつ死ぬかわからん。

本当にそう思って色々とチャレンジしてきたように思う。

振り返ってみて何も残ってないけど、楽しかったような気がする。

30代はその言葉は一旦捨てて、無理をしてないように思う。

でも職場三つ転々として、全く違う地域に住んで、見ず知らずのところで働くと言うことはチャレンジと言えなくもない。

ましてや社交的な人間であればいいが、僕のような内向的で自分から人に話しかけることをあまりしない人間にとっては負荷の大きいことではあると思う。

でもそれぐらいではあんまりチャレンジとも言えないような気もしている。

ストレスはかかっているけど、逆に言うとストレスだけがかかって、やった感がない。

チャレンジってストレスはかかるけど、結果はどうであれあった感はでる。

結果が伴わないとやってられないようなことって正直価値は低いように思う。

何と言うかやっている最中の燃え上がている感じと言うか、負けるかクソみたいなのがあってこそチャレンジではあると思う。

そういう意味で言うと30代というか30代後半と言うか今は何もやってない。

それがダメなのではなくて、自分として納得がいかないだけ。

所詮自己満足でしかないので、自分が納得してないことをいくらやっても仕方がないと思っている。

どれだけ周囲から評価されたり、周囲から良いことやっていると言われたとしても、自己満足できないとやった意味がないと思っている。

自分の人生において自分が良かったと思えないと意味はない。

そもそもが生まれてきた意味などないと考えるとそこに意味を持たせることが出来るのは自分以外にないと思っている。

いくらでも意味づけをすることはできるかもしれないけど、高尚な意味であったとしても結局は自己満できるかどうか。

それだけの話。

となると今は60点ぐらいか。

ほなええやんと言う話。

ではなくて、もっと欲しがるのが僕です。

まあ無理に欲しがらなくてもいいし、足るを知る者は富むというぐらいですから、足るを知ればいいのだけども、そこはちょっと難しい。

他人の言葉で生きている訳ではないので、そういう言葉があったとしても知らんがなでそこは通したい。

あればあるほど欲しい。

足るを知らぬ物は貧しいが楽を知る。ぐらいな感じの言葉に変えられるようにもっと欲しがりたいなと思います。

 

意外と書いたな。

では今日はこの辺で。

台風の被害が最小限で収まりますように。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

ストレスは心からのサインだけでなく、身体からのサインでもあるのかな。

昨夜も何度も目が覚めたような気がする。

何に対してストレスを感じているのか?

現状分析してもいまいちよくわからない。

まあ確かに仕事は好きではないし、最近ほとんど遠出できてないからというのはあるけど、そこまでストレスだとは感じてない。

身体的な要素の方が実は影響が大きいのかもしれない。

昨日の夜はお腹が張っていて、晩ごはんそんなに多く食べた訳ではないのに。

朝にはうんこ出てたから調子良さそうな気がしてたけど、腸の調子があんまり良くなかったのかも。

腸の調子に左右されて腰のだるさも出ている気もするな。

精神的なストレスだけではなくて、身体的なストレスの方にももう少し目を向けた方がいいのかもしれない。

メンテナンスを侮ると痛い目見そうやし。

そう言えばここ最近腰の怠さは続いている。

寝ても覚めてもダルい。

特に夜の腰の怠さは結構なもの。

それで目覚めてるかも。

あと肩こりがある。

普段から肩こりとは無縁のふにゃふにゃな肩をしているが、最近ちょっと張った感じがして、常に重い。

何かが張り付いているのかと思うぐらいな時もある。

身体を動かす量が根本的に少ないかもしれない。

運動量をかなり制限されている。

天候不良や外出制限。

病は気からというが、ストレスは身体からというのもあるのかもしれない。

心と身体はリンクしている。

身体が動かないことによって、心も動かなくなってしまうのかもしれない。

それが結果ストレスに繋がっているとするなら身体を動かすことを意識的にやった方がいいような気がする。

畑部で農トレしてる時は大して気にならなかったのに、天候不良が続いてからはちょっと調子が悪いかも。

涼しくなって来てるし、ストレス軽減のために運動をしようかな。

 

本読もうと思ったのに昨日は結局読まず。

何かと理由をつけてやらないことが定番となっている。

困ったものだとおもいつつもそういうもんだと思って、反省しないようにしよう。

無駄な反省はストレスの元だと思っている。

とりあえず今日もこの辺で。

 

大丈夫、きっと上手くいくよ。

ストレスとの付き合い方考えて行く年になって来た。

昨日は何回目が覚めるんだというぐらいに目が覚めた。

そのせいで首も肩も腰も痛い。

せっかく久しぶりの排便があったから気分よくしてたのに。

結果3度寝。

こりゃまずい。

これは季節の変わり目症候群に違いない。

そんなんないとは思うけど。

愚弄され続けている。

結構しんどい。

あと昨日はコーヒー飲んだのもあるかも。

最近は夜間のカフェイン摂取は避けてたから、それが結構効いたかもな。

年を増すごとにデリケートになっていく。

豆腐メンタルに軟弱ボディ。

毎日打ちひしがれている。

これはちょっと何かで転換が必要だということで、ストレスに関しての本を読み始めた。

ストレスは跳ね除けるのではなく、受け入れましょう。

ストレスは害ではなく役立つものであると書いてました。

半信半疑ではありますが、一理あるかもと感じています。

でも内容としてはマインドセットがメイン。

ストレスそのものに対処していくというよりはマインドセットがいかに役立つのかということを言いたいようです。知らんけど。

まだ序盤しか読んではないけど、内容としてはまずまずかな。

マインドセットは前から耳にしたことはあったけど、具体的にはどういうことかハッキリ分かってなかったので、良い機会かな思っている。

やなり我が家のライブラリーである図書館は色々な本が置いてあるから良い。

図書館様様である。

お金掛けずに知識を得られるからいいと思う。

以前は知識を得るには身銭を切れみたいなことを誰かが言ってたので、本を借りるなんてもっての外だと思っていたけど、そんなこだわりどうでもいいやと思ってからは気が楽になっている。

要は心持ち次第で如何様にでもなるのだから、細かいこと気にすんなと、過去の自分に言ってやりたい。

周りから影響を受けたのにあたかも自分で設けたルールだと勘違いして、その結果がんじがらめになっていた部分は大いにあると思う。

結構影響受けやすい。

これはやはり心が柔らかいからだと思っている。

良くも悪くも揺れやすい。豆腐のようにフルフルしている。

これから少しずつ絡み合った糸を解いて、動きやすい状況を作っていきたい。

そのためのストレスとの付き合い方。

勉強になりそうな感じはしている。

マインドセットが肝らしい。

ブーム過ぎてるっぽいけど、まあそれは置いておいて、良い方法に流行り廃りはないんだから、これが良いなら遅くても習得した方がいいかなと思っている。

まあとりあえずやってみよう。

 

では今日はこの辺で。

 

大丈夫、きっと上手く行くよ。