いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

いつまで経ってもこんなこと言っている。

マイナスなことを書いても仕方ないと分かっている。

分かっているけどやめられないということもある。

それがこれ。

普段発散することがないから、ここでしか本音を語らない。

それは言い過ぎか、妻には話している。

職場での不平不満は会社の同僚には言わないようにしている。

言っても仕方ないし、その発言をするほどに自分は何か行動しているかと言うとそうでもないから。

不平不満を発言する時は建設的な内容もセットでないとただの文句大会となり、モヤモヤした状態で次の仕事を迎えるだけだから何もなさない。

 

対案を出せる人間だけが許される所業であると思っている。

だから会社で不平不満を聞かされることほど苦痛なことはない。

だいたいそういう話をしたがる輩はろくな人間がいない。

不平不満だけで状況が変わるのであれば、世の中もっとよくなっている。

不平不満を言うだけで何もしないから、今の世の中がある訳で、変革を起すための別の仕方を提案できないなら正直黙っていてほしい。

そう常々思っている。

 

特に今の会社においては自分史上最大に不平不満を言う人間が多い。

だから職員とは極力話をしないようにしている。

自分の持ち場にだけ集中をして、余計な関わりを一切断っている。

自分の内面に抱える不満はあれど誰にも言わない。

言ったところでどうなるものでもないから。

 

もし何か意見を持つなら、上司に言う。

同僚にだけその話をしても何もならない。

上司がどういう人間かにもよるけど。

言ったところで、どうにもならないような人間なら言わない。

 

僕にとって会社に勤めるということは、給料をもらう以外に理由はない。

何か大きな展望を持って仕事をするということはない。

だから会社に求めるものは大きくない。

給料が支払われ、休暇が取れれば特にそれ以上は求めない。

社長がどんな発言をしようとそれに踊らされることもない。

ただ淡々と目の前の仕事をこなす。ただそれだけ。

それでいいのではないかと思っている。

その中で興味のあることがあれば、更に深めることになるだろうし、無ければ首尾よく終わればそれでよし。

それでいいじゃない。

なんでそうならない。

社長が高級車を乗り換えることとあなたの仕事とどんな関係があるのか。

そこに不平不満があるなら、自分で事業を興すなり、違う職場に移るなりすればいい。

ただそれだけではないかと思う。

嫌ならやめたらいいただそれだけ。

仕事はいくらでもある。(業種によるけど)

雇われ社員の内は全てが思うように行くなどと言うことはまずない。

かと言って自分で会社を興したとしてもそうはならないと思うけど。

犠牲を払う必要はないけど、全てが手に入ることもない。

会社勤めはそんなもん。と割り切っている。

つまらない人生だとも言えるかもしれない。

でも世の中の大半の人は、仕事というものをそう捉えているのではないかとも思う。

普通に仕事をしてただ生活するということに対して何が問題か。

それで十分じゃないかな。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

とりあえずやってみる

今のところの人生のテーマですね。

結構食わず嫌いが多いので、これまでもやっときゃ良かったってこと多いです。

だからこそのこのテーマですね。

とりあえずやってみるって意外と難しいんですよ。

人に何かを勧められても「え?ほんまに?」がまずワンクッションあります。

とりあえず疑いから始まるのが僕の反応です。

どうしても否定から入る。

どれだけ信頼している人からであろうと疑う。

これだけ人を疑うようになったのはなんでだろうと思うぐらいに疑う。

 

でも最近はちょっと変化がでてきていて。

坂口恭平さんが勧めることは割と結構真に受けてやってみている。

結果がどうであれやってみるってこと大事かなと思ってとりあえずやってみる。

大丈夫、きっとうまくいくよ。って言ってくれてると思っているからやってみている。

たぶんそんなニュアンスで恭平さんも言ってないと思うけど、勝手にそう解釈して手あたり次第やってみる。

失敗とかそんなこと気にせずにやってみる。

だから文章に関しても下手な自分が吟味せずにとりあえずやってみる。

ある程度量をこなしてから、それからでないとヨチヨチ歩きの時に歩き方を吟味したところで何の意味もない。

上手いとか下手とかそんなことではなく、一歩また一歩と足が出ていることがすごいことなんだから、ヨチヨチ歩きを出来るようになっただけで十分。

まずは気にせず歩けるぐらいになってから上手いか下手かを考えればいいだけ。

そう勝手な解釈をしながら最近は色々やっている。

その関連でパステル画も始めたけど、やってみて思ったのはそこまでのめり込んでやれなかった。

上手い下手関係なくのめり込んで出来ないものは辞める。という選択の仕方でも良いような気がする。

例え上手く行ってものめり込めないものは時間もったいないし、次から次へと興味関心を映していくことで好きなものが発見できたらいいかなと思っている。

 

こうやって生きているのは好きなことやものを探すために生きているのだと思う。

それ以外は特に生きている理由はない。

何か壮大な使命を達成するために生まれて来たのではないと思っている。

人それぞれ好きなものを探し、それを早い段階で見つけられた人が幸せな人ではないかなと最近は感じる。

好きなものが早く見つかれば、そればっかりやってればいいんだから人生は楽。

それを見つけるのが下手な人が苦労している。

そう思うようになってきた。

僕は見つけるのがすごく下手で苦労しているけど、最近は文章を書くと言うことを一つ発見できたので少しずつ、人生が楽な方に進んでいるし、幸せな時間を持つことが出来ている。

なんともありがたい話。

文章を書くという才能はないけど、文章を書くのが好きという気持ちを大事にして、気持ち良く文章を書いて、楽な方に進んで行きたいと思う。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

 

腰痛の途中経過

 

ieru.hateblo.jp

 これを書いてから一か月弱。

どうしても変化しているか気になるので、早速振り返って行く。

 

腰痛に対しての意識は変わらず持っており、姿勢や動作に対しても気を付けている。

どういうことに気を付けているのかというと、同一姿勢になっていないか。

同一姿勢になっているとどれだけ鉛直方向に対して均一な腰部に負荷の少ない姿勢であったとしても、重力に対して対抗しようと同じ筋群が活動するため、負荷は大きくなってくる。すると一部が金属疲労を起こし、痛みやだるさが出てくる。

そのため、極力同一姿勢は避けるようにしている。特に車の運転時はシートに背を持たれ掛けさせているため、自力で支えていないように感じるが、結構筋力は使われているので、注意が必要になる。

それに背中の筋肉は常にシートと背骨の間に挟まれ圧迫を続けているため、硬くなりやすいと言うこともあるため、注意が必要。

さらには臀部から大腿部にかけても常に圧迫を受けているため、適宜姿勢の変換が必要になる。

 

と言う風に気を付けているのにも関わらず、運転中は結構腰がだるくなりやすい。

まだまだ変化が起きていないと言うことに違いない。

特に運転中など椅子に座っている時に特に膝から下の冷えを感じている。

足をこまめに動かしたりして、筋肉の力で血流の改善を図ろうと試みているが、冷えの解消にまでは至らない。

中々血流と言うのは一度悪くなってしまうと元に戻すのに苦労するようだ。

 

姿勢への意識の他には日課として運動をほぼ毎朝行っている。あと坐ることも。

そのおかげもあってか、柔軟性が高まり、坐っている際の腰部の窮屈感や、だるさは以前と比較し、断然良くなっている。

運動を行っている際も以前より関節の可動範囲は高まっているように感じる。

運動の効果は徐々に表れているように思うが、生活上での変化までは至って内容である。

 

腰痛の解消にも影響すると考えている睡眠は、継続して7時間近く取れている。

まずはここが最重要であると考えているので、これが継続できているということが一番大きな変化だと思う。

欲を言えば7時間以上睡眠をとれることが理想なので、もう少し睡眠時間の延長を図れるとより良いのかもしれない。

 

僕の腰痛の場合、結構影響の大きな要因の一つに便通がある。

これに関しては正直な話、大きな変化はない。ゲリ・便秘を繰り返している。快便が続く時もあるが、すぐに乱れる。

対策を立てていることがほとんどないから、当然と言えば当然か。

消化器官への負担の軽減のためにしっかり噛んで食べるということをやっていたが、一向にできない。早食いが止まらない。これは大きな問題ではないかと考えている。

現在のところどうしたら良いかわからない。クセの問題ではあるが、メンタル的なところももしかしたら何か問題があるのではと考えている。

ここは何か対策を立てると言うよりも、食事中にどんな動きや精神状態であるかと言うことをもう少し観察していくことが必要かと考える。

 

ここ一か月弱の変化を振り返ってみた。

腰痛そのものも少しずつ良い方向に向かっていると思える部分も出てきている。

今後も継続して意識して生活をしてみよう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

 

健康とお金

人はお金の心配はするけど、健康の心配はあまりしない。

しかも若い年代ではよほどのことが無い限り意識することはない。

当然と言えば当然かもしれないけど。

身近なことにしか目は向きにくいもので、若い年代では健康に関しては身近な問題になりにくい。

どれだけ気を付けた方が良いと分かっていても生活上で困ることが無ければ意識が低いのは当然だと思う。

それにしてもなぜ健康な状態が当たり前に続くと思えるのか、不思議で仕方がない。

僕は仕事柄、身体の問題に目を向けることが多いから、この点について疑問を感じるのか、それとも自分が体調が悪いところが結構あるからか。

 

人それぞれ価値観は違うので、健康に対して意識が低い人がいてもおかしくはない。

ただ、生活上では何よりも優先されることではないのかなと思う。

お金を得るためには、健康な状態の方がより良いのではないかと思うし、ベースになる部分だから大事にした方が良いと感じる。

それでも後回しにされることが多い。

 

健康のことを気にしていると楽しいことが後回しになるからどうしても難しいよな。

健康と一般的に言われているような楽しいことは結構対極にあることが多い。

嗜好品と言われるものは基本的に身体に悪いし、夜通し遊ぶのって楽しいけど、結局あとで身体に響いてくる。

 

でも快楽ほど身体に悪いってどう考えてもおかしい。

快楽を追求していけば崩壊するって、どういうことなんやろ。

健康にとっては快楽=悪みたいになってくるよな。

これはちょっと嫌やわ。

健康と快楽が対極にあるってどう考えてもおかしい。

気持ち良いことは身体に良いと思ってきた僕にとってはショックだ。

 

健康と快楽が結びつけば世の中自然とハッピーになれるはず。

この二つが対立している感じがあるから、世の中おかしいんやな。

誰か解決方法を教えてほしい。

というか誰がこんな構図にしてしまったのかなと思う。

健康にうるさい人ほど快楽は悪であり毒だ言っちゃってる。

だまされているとか嫌な言葉を発する人が多い。

でもその人の発する言葉も結局は毒されてるから、健康とは言い難い。

毒を持って毒を制すというのこそ、健康から対極であると思う。

否定から始まる物事というのは目立つから一瞬は良いかもしれないけど、長続きはしにくい。結局また別の者から否定される。

 

そういうのじゃない何か別の方法で始まる、優しい導きかというか方法があれば良いなと日々模索している。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

早起きが早起きでなくなってきた

去年までなんとか早起きをして充実した生活をしたいと思い続けてきた。

二度寝、三度寝常習犯であった僕は早起きできなかった。

仕事に行く直前というか10分前ぐらいに起きるのが日常。

一人暮らしの時は本当にそうで、起きて歯を磨いて、着替えて出勤と言う感じで、

何の余裕もなく朝の時間を過ごしていた。

基本的に夜型人間だという認識でこれまで過ごしてきて、夜寝るのは基本的に日を跨いでから。それより早く寝るのはどうしてももったいない感じがして寝れなかった。

そのくせなんとかもっと朝を充実させたいと思って、アラームを掛けるもののスヌーズ機能を多用していた。

早起きをしたいと思ったきっかけはあの当時流行っていた朝活がきっかけ。

出来るビジネスパーソンは朝活をする、みたいな。

夜活動してたから、敢えて朝も活動する必要なかったけど、朝活という言葉がなんかよくて早起きしたかった。

でも10年以上も早起きをすることはなかった。

一人暮らしではとてもできなかった。

帰宅時間も遅くて、そこから晩飯の準備・洗濯・翌日の用意とかなんとかしていたら、疲れてうたた寝をしてしまい、そこからまた作業するなんていうとても効率の悪いことをしていたので、アラームを掛けただけではどうにもならなかった。

 

それでも最近は5時台にアラームなしでも目覚めることができるようになってきた。

明るくなってくると自然と目が覚める。

就寝時間を早くして22時を越えることがないようにしている。

それができるのはもちろん妻の協力があってこそ。家事全般を妻が担ってくれているので、僕は家事はほぼ手伝い程度で仕事に集中できている。

あとは本に書いてあった4-6-11の法則みたいなのを意識して行うことで、

結構自然に起きられるようになっている。

前は起きるのに頑張りが必要な感じだったけど、今は自然と起きられる。

早起きは努力や根性のような印象を持っていたけど、決してそんなことではなく、生活習慣を変えることで自然とできるようになるものだなと認識した。

習慣が変わると当たり前が変わるようで、5時に起きても早起きだという感覚ではなくて、それが当たり前というか標準になっている。

あれだけ頑張っていたのがウソのように感じるぐらい、自然に起床できている。

認識の変化というものは気合をかけて宣言して行うようなものではなく、どのようにしていくかという計画を立てて、行動を変化させていくことが大事なのだと言うことを改めて感じることが出来た。

睡眠ということからこんな学びがあるとは全く思っても見なかった。

生活習慣から学べることと言うのは本当はもっと多いのかもしれない。

生活近辺にヒントがあるから、注意深く生活していこう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

今年も農トレが始まる。

今年も去年と同様の生活を強いられるのかと思うとうんざりする。

うんざりすると共にまた農トレが始まるということでもある。

去年は新型コロナウィルスの感染者増加に伴い徐々に生活に制限が生じてきた。

そのタイミングで知人から畑やってみないかと誘いを受けた。

自粛生活でうんざりしていたタイミングだったので、渡りに船と思い考える間もなく、やりたいと答えた。

結果やってみて良かったと思う。

その時期はまだ緊急事態宣言前だったけど、その後からもっと自粛ムードが強まり外出するのが憚られるようになった。

職場でも制限がかかり遠出の際は会社への報告義務が生じるようになった。

そんな状態で外出する気も起こらず休日は畑へという過ごし方に変化していった。

外で作業をするのは想像以上に気持ち良く、開放的だった。

特に作業が無い日でもとりあえず畑へ向かい、土をいじる。

畑で焚き火やったたりしてデイキャンプも出来た。

 

この時期はキャンプでは一番気候が良い時期かなと思っていたので、楽しみにしていたけど畑でデイキャンプも中々良いものだった。

その上、土いじりで身体も動かせて運動不足を解消できるということもあり、良いことづくめだった。

 

今年は去年の夏野菜収穫から徐々に畑周囲の清掃も行い、作業がしやすい環境を整えてきた。

加えて土も去年よりは良いものに仕上がっていると思う。

農トレ一年生なので、テキトーにやってて成書なんかはまともに読んでいない。

ネットの記事をさーっと読んで、都合の良さそうな部分だけ抜粋してじっせんしているというような生半可な気持ちで取り組んでいる。

それが良いのだと勝手に思っている。

野菜を上手く育てられるなんてまさか出来ると思っていないので、今僕が取り組んでいる作業はあくまで身体を動かす目的でやっている。

運動の延長線上に野菜が育つがあると思っているので、苗や資材代は野菜を収穫するためというよりは、畑部というジムに入会し、月会費を払っているつもりで農トレをおこなっている。

そんな感じにしておかないと色々と頭を悩ませて大変だと思うから。

仕事で頭を使い、休日も頭を使いとなってくると正直しんどい。

なので、頭を使わずに身体を使ってたまたま野菜が収穫できるという状態にしておきたい。

それぐらいテキトーな感じでやっていきたい。

自分達夫婦しか食べる人がいないので、それで十分だと思っている。

立派なやつが取れなかったとしても大丈夫。

レーニングの副産物として出来上がったものだから。

今年も農トレ楽しんで行こう。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

 

僕のお弁当事情

社会人になり、一人暮らして始めてしばらくしてから仕事にお弁当を持っていくようになった。

何がきっかけだったかは定かではないが、職場の近くにはコンビニしかなく、毎日食べる内に飽きてきたというのが一つかもしれない。

他に思い当たる理由としては外食って結構お金が出ていくなと言うこともあったかもしれない。

明確な理由は覚えていないがおそらくそんなところだと思う。

その当時僕が持参した弁当と言うのは、結構悲惨なものだった。

一つだけ覚えているのは当初はアホの一つ覚えで毎日豚の生姜焼きだったこと。

なぜかわからないが、そればかりを作っていた。

極めたいとか言う気持ちがあったのかもしれない、外食で食堂に入れば豚の生姜焼きを当時は食べていたことから、自分でも作れるとめちゃええやんという浅はかな気持ちから、そのような選択をしたのだと思う。

初めて作った時は一応調味料などはネットの記事にあるように匙で分量を量り、それに準じて作っていた。

結果焼き具合というものがわからず結構な黒ずみのある生姜焼きが出来上がっていた。

その後も何度もチャレンジするが、玉ねぎと豚肉の火の入り方が違い両者がちょうどよい加減で火が入るということがなく第一期の僕のお弁当時代は幕を閉じた。

 

その後、異動とか退職を見越して一旦実家での生活になっていたため、しばらく弁当持参生活をする機会は巡ってこなかった。

しばらくしてまた一人暮らしを始めることになり、第二期お弁当時代が幕をあけた、この時の理由は明確でまげわっぱ弁当を作ったからだ。

作ったと言ってもまげわっぱ職人に転職した訳ではく、体験工房でやすりをかけ、接着剤でつけたという図工レベルの制作ではあったが、出来上がりに感動してこれはなんとしても使いたいという思いから、お弁当生活を再開した。

当時住んでいた場所は小さい町ながら、職場の近くに食堂は何軒かあり、外食に飽きるということはなかった。

でもまげわっぱ弁当を作ったのだから、使わない手はないだろうと勇んで弁当作りにとりかかっていた。

当時の内容で覚えているのはそぼろ風弁当である。炒り卵が弁当の半分を埋め尽くし、もう半分はそれこそ肉のそぼろの時もあったし、そうでなければちりめんじゃこなどなんというかポロポロした弁当を作っていた。

たまに塊が入ることもあったが、なぜだかその当時はポロポロした弁当を作りたい気分だったようだ。

ほどなくして、そのポロポロを作るのが面倒になり、外食の方がどう考えても手軽だと言うことで第二期お弁当時代も幕を閉じることになった。

 

ここで終わらないのが僕のお弁当への気持ちである。

第三期お弁当時代が到来した。職場を変え、引っ越した先は食堂などほとんどなく、田舎中の田舎で外食が難しい状況であった。加えて、外回り系の仕事であったため、車の中で食事をする必要があった。

一回目の一人暮らしの時にコンビニでの食事はパターン化され、飽きやすいということが分かっていたので、以前に制作したまげわっぱ弁当箱を引っ張り出してきた。

その当時は玄米にハマっていたので、玄米を中心とした弁当を作っていた。

中心としたというか、玄米を炊く際にサツマイモを入れるというだけの玄米サツマイモご飯弁当である。

これなら、朝起きてご飯をまげわっぱ弁当箱に入れるだけで済むので、これは結構長期間続いた。1年以上は続いたように思う。

時間に余裕がある時はここに、卵焼きやソーセージが入った。普段おかずは入れることはなかったので、一つでもおかずが入るだけで贅沢な気分がして楽しむことが出来たことが長続きした要因ではないかと思う。

お弁当は手軽さが大事だということを学んだ。

第三期の玄米サツマイモ弁当は長期間に渡って続いたが、職場を変えることにしたので一旦幕を閉じることになった。

そしてその間に結婚もしたので、一時休止していた。

 

しかし、そこで終わることはなく、まさかの第四期お弁当時代が到来した。

第四期は最も栄えることになる。中身が。

これまでは単一の内容であったのが、グレードアップし、鶏むね肉を中心としたメインと卵焼きともう一品入ると言う幕の内弁当かというぐらいの豪華さで弁当モリモリのパンパン状態でした。蓋を閉めるのが大変なぐらいに詰め込んでいました。

しかしそんな栄華も長くは続かず。一気に衰退を迎えました。

しかししかし、お弁当への飽くなき挑戦は途絶えることがなく、第五期へと突入することになります。次に到来したのはまげわっぱ丼弁当でした。

原点回帰し、単一のおかずになりました。

鶏むね肉の親子丼です。これも比較的長く続きました。

来る日も来る日も親子丼を作り続けました。

 

そして、現在は妻の作ってくれる美味しい弁当が過去最長の期間で作られているのです。

様々な変遷がありましたが誰かが作ってくれるお弁当が一番おいしいなと実感できる今日この頃ではあります。

妻への感謝の気持ちしかありません。

いつも作ってくれてありがとう。

本当に毎日美味しいです。

 

今週のお題「お弁当」