いえるの日記帳

「いえる」とは癒える、言える、家る場所を提供するお店のこと。店の名前は決まったけどサービスは未定。準備中です。

すぐ慣れてしまう。

結構慣れる。

でもこの慣れるというのが実はクセモノでして。

慣れていると勘違いしてしまっていると言うか。

慣れている=出来ているという勘違い。

そして飽きるということですね。

非常に負のサイクルが起こりやすいものです。

私にとってはあるあるです。

だからいろんなものがつまらなくなるんです。

新鮮さがなくなってしまう。

良くないですよね。

自分ではなくもののせいにしてしまっている。

 

そうなんですよね。

外に理由を求めるというか。逃げになるのかな。

マンネリはもののせいではなく、己に理由があるのだということですね。

同じことしても毎回同じと言うことはあり得ない訳で。

毎回同じと感じると言うことは決めつけてしまっているということ。

決めつけてしまっているのは自分自身。

つまらないのは物事ではなく、自分の物の見方がつまらないだけ。

心の持ちようで如何様にも見え方は変わってくる。

毎日新鮮な気持ちで生活できると違った景色が見えてくるのかな。

そんな風なことを現代坐禅講義を読んでいると感じました。

 

坐禅は毎回違うと。

同じ場所で同じようにやっていても、前回と同じ自分ではないから、

もし同じだと感じているとすれば自分自身の感性が鈍くなっているだけだと。

面白い本です。

まだまともに坐禅再開してませんけどね。

結局頭でっかちですが。

 

このブログを書いていても結構慣れて楽しみ減ってるような感じする。

それって自分がそう思っているだけで、そんなことないんですけど、

そうなっちゃうんですよね。

勝手にマンネリにしてしまっている。

新しい気持ちが少なくなっている。

しょうもない人間です。

 

慣れてくるとほんまに楽しくなくなるもんな。

あれだけ必死こいて書いてた日が懐かしい。

あの時はなんであんなに書いていたのかと不思議に思う。

毎日なんか新鮮な気持ちで書いていたように思う。

新鮮やと思っていただけで、実際は今こうやって書いているのと変わらない。

今もこうやって一文字一文字新しい。

全く新しい文章が書きだされている。

マンネリ化しているようであっても微妙に変わっている。

同じような内容が続いても別に誰に評価されるわけでもないからいいかな。

そうやって書いているうちにまた新しいことに気づくこともあるやろうし。

やってみようやってみよう新しい物語のはじまりはじまり。

ですね。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

最近のことテキトーに書く

基本テキトーに意図なく、メッセージもなく書いているわけですから、

あえてこのタイトルの必要性はあまりいないのですが必要なので一応。

 

ここ最近はコーヒーという飲み物を飲むことにハマっています。

飲むことにハマるというのも変な感じがしますが、

コーヒーにハマるって液体にハマってる訳でもないし。

まあとにかく今まで比べるとよく飲むようになった訳です。

よく飲むと言っても沢山ではなく、毎日1〜2杯なんですが。

その行為自体がどちらかというと楽しいのでしょう。

だって細かい味など所詮わかっていないのだから。

苦味、酸味、甘み、コクがあるのかないのかぐらいです。

細かい風味がどうのとか、後味が〜とかがわかるほどのものではないです。

豆を挽き、湯を沸かし、淹れるということが楽しいのです。

そして時には豆を焼く。

自分でやった感があるんでしょうね。

そのやった感が僕は好きなのです。

他の飲み物では中々体験しにくいところが、

コーヒーは簡単にできる。

なのにこだわった感がでますよね。

だから流行っているのではないでしょうか。

素人でもやった感が出来るように上手いことできています。

コーヒー業界はすごいと思います。

そんな僕もまんまとやられています。

コーヒーの抽出器具や手動・電動ミルなど買いました。

その気にさせるのが上手い。

大抵誰が淹れても上手くできるようになっているところがすごい。

コーヒー業界おそるべしです。

 

話は変わっておしっこ問題ですが、継続しています。

頻尿具合は著変なしです。

1時間に1回は排尿しないと不安です。

出さないとまたあの切迫感が来たらどうしようと思うのです。

昨日も受診しましたが、出し切れてないと言われました。

残尿量が多すぎると。

1回出したのに、膀胱内にまだまだ残っているから、

すぐにまたしたくなるんだと。

何か我慢してることないですか。

おしっこを我慢しないといけない状況はないですか。

って聞かれましたがないですよねそんなこと。

おしっこ我慢させられるような状況ってどんなんよって感じです。

それは何かのプレーですか?

にしてもそんなプレーもそもそもないでしょ。

おしっこを途中で我慢させるプレーなど存在しないでしょ。

少なくとも僕は聞いたことないです。

それは僕がノーマルだからなのでしょうか。

もしそんなプレーが存在するなら教えてください。

その上で僕はもう一度受診し、

こんなプレーは僕はしたこともないし、

知人に教えてもらうまで知らなかったです。とその医師にはっきりと言いたい。

 

ただおしっこではなく、我慢して出し切ってないということが関係するのであれば、

思い当たる節はありますよね。

抑圧しているというか自分を出さないようにはしていますよね。

仕事中は。

それが数年来続いているので、もしかしたらそれが原因?

ちょっとその辺も探っていく必要ありそうですね。

 

大丈夫、きっとうまくいくよ。

坐禅熱再燃

ちょっと言い過ぎ感あるけど、

坐禅への興味がまた沸々と盛り上がりつつあるということですね。

以前興味が湧いたのは岩手にいた時でした。

アレクサンダーテクニークのセッションを受けるために仙台まで行ってました。

岩手きっかけで一ノ関から曹洞宗のお坊さんもそこに通っているという話が出て、

曹洞宗の話流れから藤田一照さんという面白いお坊さんがいると言う話になりまして、

その時は、へーっと思ったぐらいでした。

その後に、東京でその界隈の人たちが集まるというイベントがあり参加しました。

そのイベントの登壇者として藤田一照さんがいらっしゃったので、

話を聞いたり、ワークショップに参加したのがきっかけです。

 

僧侶であるにもかかわらず?ざっくばらんに話をされていたのが印象的でした。

堅苦しくなく、面白い話をされる方でした。

話の中で特に印象的だったのは、僕は自分の掌を探すことやっているというような内容の話です。

僕なりの解釈では、それぞれ別個の事でも色々探っていくと根っこの部分に辿り着く、正体的なところに辿り着けるということでしょうか。しらんけど。

適切に理解した訳ではないと思うのですが、そんな感じの話をしている一照さんに興味が湧き、そんな話をする人が取り組まれている座禅とは一体どんなものなんだろうという興味も同時に湧きました。

それでそのイベント会場で売られていた「現代坐禅講義――只管打坐への道」というめちゃくちゃ堅苦しい名前の本を手に取りました。

さっきの話の感じとちゃうやんと思いつつも手に取りました。

 

その中で衝撃の一言が書いてありました。

澤木興道と言う方の言葉なんですが、

「座禅してもなんにもならん!」という言葉です。

いやいやと思ったとともに、最高に気持ち良かったです。

人生に特別意味を求めるなよというようなことなんかなと感じました。

特別に意味や目的を求めるような生き方をするから辛くなるし、しんどくなる。

人間以外の動物はそんな欲求などないから、悩みがないのかなって。

その当時すごく得心したような気がしましたが、数年経った今坐禅はしていません。

なんじゃそれって話ですが、坐禅と言うのはくつろぐことだそうなので、

落ち着きなく、くつろげていなかったのかもしれません。

 

僕は不安や迷いがあると、楽になる方法はないかと調べ、やってみようとします。

でもそういうのって大体続かない。

そこで続かないとまた不安や迷いが生まれます。

延々と同じことやっています。

坐禅のようにすべてを手放して、ただ座っているだけというのは逆に難しいです。

在家のままでやっても意味ないような気もしたりで。

 

でも最近またこの本を手に取り、やってみようかなという気になっています。

心境の変化かな。とりあえずちょびちょび読み直すことから始めています。

大丈夫、きっとうまくいくよ。

 

 

 

ストレスの源流を辿る

便秘・下痢、頻尿、口内炎

これはどう考えてもストレスが原因で起きている体調の変化だとしか思えない。

ストレスと言えばなんか解決したような気がするけど、

一体何からのストレスなんだろうと思う。

そこまで追及してこそ初めて解決したことになるはず。

思い当たるところとしては、

仕事、新しい居住地、今までと違う生活。

これぐらいかな。

仕事に関しては言わずもがな、好きではないことをやっているからということになる。

でもそれではあんまり説明したことにはなってないよな。

もう少し深く掘り下げて行かないと解決してないな。

仕事のどの部分が好きじゃないかな。

職場の人と話しするのは好きじゃないな。

なんか気を使うし、めんどくさい。

1人で仕事できたらどれだけ楽かと思う。

まあそんなこと言える立場ではないことはわかってるんですけどね。

でもなんかめちゃ気を使うんですよ。

これは仕事をし出してからずっと感じていること。

他人の目が気になるんでしょうね。

評価されているような感じがして、どうしても気を使う。

対人の仕事してるくせに対人関係すごく苦手。

それがそもそも間違っている。

やはりジョブチェンジした方が良いな。

 

新しい居住地であるということは少なからず影響している。

自分で選んでおきながらそれはないやろとツッコミ入りそうですけど。

それに前から住みたかったというのにも関わらず。

昔からそうなんですけど、環境に適応するのに時間結構かかるんですよね。

なので仕事してから職場も居住地も変わり続けてるからストレス感じ続けているかも。

 

生活も変わりましたよね。

2人での生活。

コロナによる自粛生活。

この辺も結構影響大きい。

 

適当に理由を挙げてみたけど、

あんまりピンときてない。

 

結局は仕事をしだしてから、感じているは、

イマココ感が欠如しているから。

将来どうしようとか、あの時なんであんなことしたんやろとか、

思いが戻りすぎたり、行きすぎたりして所謂地に足ついてない感じ。

それが原因なんやろ。

目の前のことに集中してなさすぎ。

これやな。

日々を生きることを大切にすることが結局は1番大事なんかも。

シンプルで簡単そうやけど、難しい。

だから大事なんや。

座禅も見た目はそんなに難しくなさそうやのにやってみるとできない。

そんもんなんかな。

まあまだまだ未熟なんですね。

見た目はおやじ、中身は思春期。

これからも揺れ続けるんでしょう。

大丈夫、きっと上手くいくよ。

続おしっこ問題

金曜日はこれまでに1番危うい一日だったので、

というかすでにちょちょぎれてた訳ですが。

そのため、仕事後にすぐに泌尿器科へ駆けつけました。

近くの病院へ行っても良かったのですが、知ってる人がいるとやっぱり嫌なので、

明石までわざわざ出掛けました。交通費もったいねえなと思いながら。

何かしらの解決法が病院へ行けばあるのかなと期待して。

でもそんな簡単ではないのですね。

問診票に症状を記入し、採尿して、膀胱周囲のエコーを撮影して、

結果は「なんでしょうねー。まあ慢性前立腺炎ということで薬処方しておきます。」

でした。

そんなんやったら俺でも診断できるわいと思いながら、

とりあえず薬を受け取り、1日3回薬を飲んでいる訳です。

今のところ効果はいまいち良くわかりません。

 

現状としては、感染はなく、目立った炎症もない。

あるとすれば、膀胱のむくみ?筋肉の肥厚?、排尿後にも関わらず180mlもの残尿。

その程度の症状しかないので医師も判断に困ったのか。

 

いや、そんなはずはないこんな症状珍しくないやろと思う。

年齢がまだ若いため判断に困ったのか。

気になる点があるなら他にも検査せんかいと思いつつ。

今回処方された薬は、セルニルトン錠。

効果は下記のように添付文書に記載されていまいた。

1、慢性前立腺炎

2、初期前立腺肥大症による次の諸症状:排尿困難、頻尿、残尿及び残尿感、排尿痛、尿線細小、会陰部不快感。

まあだいたい僕の症状に当てはまるものなんでしょう。

前立腺は問題になるほどの肥大はしてないと言ってたけど。

とりあえず14日分処方され、様子をみましょうと。

この診察やったらほんまにAIで出来んのになと思う。

医者の診察ってなんやろと。

紙の問診票ではなくて、PCなりタブレットなりデジタル機器で質問に答えていく形式にしたら、

大体のことわかるんちゃうんかな。

それでほんまに診断までいけるんちゃうかな。

ほんで画像を綺麗に撮れる人とそれをしっかりと読める人がいればそれで問題ない。

読影に関しても機械で十分できそうやしな。

そしたら無駄な待ち時間も少なくなると思うし。

病院を経営するために必要なコストももっと下げられるんちゃうかな。

そうすればもっと簡単に診察してもらえるから、田舎でも大差無くなりそうやけど。

質の問題に関しても同じAI使ってたら一緒やし。

そういう世の中になればいいのになと診察受けながら思ってました。

検査器具さえ扱える人がいれば医師がいなくても診察できるのではというのが、

僕の考えです。

今の技術を持ってすれば出来そう。

なぜそうしないのかと疑問を感じるばかりです。

システム的に色々と難しいんでしょうね。

世の中のためにはなると思うんやけどな。

 

おしっこ問題まだ続きそうです。

大丈夫、きっと上手く行くよ。

おしっこ出過ぎ問題

ここ最近のトピックです。

これはここ数年で1番の問題ではないでしょうか。

まじ笑えないレベルです。

尋常ではないと自分では感じています。

こんなにもおしっこ行きたくなることはあるのかというぐらいに行きたくなります。

最近の頻度としては1時間弱に1回ぐらい。

たまらんですよ。

だって仕事で家を訪問していますが、

一件行くごとにですからね。

ひどい時はトイレ借りてますからね。

そしておしっこが出たい時の切迫感マジ半端ないです。

震えます。

これは全く誇張してません。

我慢が強すぎて震えてます。

まだ冷や汗かくレベルまでは行きませんが、

ケツ周辺の筋肉フル稼働で対応した結果、震えてます。

小刻みにプルプルと。

まるで生まれたての子鹿のようにプルプルと。

これを利用者にバレないレベルにさらに抑えるのが大変。

自分の顔は見えてないのでわかりませんが、

鬼の形相ではないでしょうか。

こんなに焦ったことないぐらいに焦っています。

でもその後の解放感も半端ないですけどね。

こんな軽口今なら言えるけどその時はそんなことも考えられません。

正直おしっこの波が押し寄せてきたら何も聞き取れていません。

音を認識して、適当に相槌打ってるだけです。

これはマジです。

話聞いていることなんてできないんです。

尿道から溢れ出ようとする尿を抑えることで必死です。

マジで必死なんですよ。

人生でこんなに必死になったことないぐらい必死です。

だって気を緩めると失禁ですからね。

自分の家だとまだしも人の家しかも仕事中に失禁って。

正気の沙汰じゃないでしょ。

相手もビビりますよ。

意識は保たれている状態で他人の家で失禁なんてエグいでしょ。

なので必死です。

それでも昨日は先っちょからちょちょぎれました。

尿滴がですよ。

パンツに滲みました。

滲みた程度なので相手にはバレてませんけどね。

いやバレてないからってそう言う問題ではないんですよ。

メンタルに刺さるでしょ。

意識がある状態での滲みって。

数年に一度夜間に滲みることはあるのですが、

日中に意識が正常にある状態で滲みるって。

でもあの時僕の意識はどこかにトリップしてたのかな。

きっとそうだな。

トリップしてました。

何かでバキバキにキマってたんだと思います。

というかそう思いたい。

 

トイレに駆け込んだところ、滲みてました。

これが現実ってやつですよ。

齢36にして、日中に軽度の失禁です。

現実って残酷です。

これはさながら白昼夢ですよ。意味わからんけど。

 

トイレで放尿しあともなんだか滴ってましたよ。

これは残尿感からの滲み。おいぼれかよ。

 

そして打ちひしがれた僕は、夕陽に向かって涙しながら

泌尿器科へと駆けて行きましたとさ。

チャンチャンとは終わりませんね。

 

今後もおしっこネタ続くかしら。

羞恥心が勝らなければまた経過報告します。

 

今こそ恭平さんのお言葉を、

大丈夫、きっとうまく行くよ。

こんな時に使う言葉違うけどね。

昔買った服が似合わない

ここ数年服を買う機会が減っている。

別に意図的に買っていないわけでなく、

物理的に店から遠いところに住んでいるというのが主な理由ではある。

なので買い物に行きたくないわけではない。

おっさんになると服なんてなんでもいいみたいな感じになるみたいやけど、

そんなことはない。そこの欲求はまだ失っていない。

ただ物理的に遠いというのは結構大きくて、

わざわざガソリン代、高速代を払ってまでは行きたくない。

という気持ちにさせる。

そして買い物から遠ざかると、いざ行こうと思った時に不安がよぎる。

「俺の今着ている服で買い物行って大丈夫かと」

そうなると買いたい気持ちはあっても遠のく。

それに最近着る服というのが、

平日は制服を着たまま出勤するし、

週末はキャンプ、もしくは畑へ行くことが多いので、

ほぼ毎日同じような服しか着ていない。

そう、最近来ている服は、

ほぼユニクロとワークマン。

というファストファッションの最先端である。

この2つを常に纏っていると、

なんというかなんでも良くなってくるというのか、

どうせ…ていう感じになってくる。

別にこの2つが悪いというのではないんだけど、

店に入ってもときめかないというのか、テンション上がらない。

ファストファッションというだけあって、

ファストフードの店でメシ食うような感じで、

ただカロリーを取っている感じ。

服で言うとただ身体に布を纏っている感じ。

元々オシャレではないけど、

自分のお気に入りの店に行って、

自分の気に入った服を選んで買うというのが楽しみだった。

その時は試着なんかもしたりして。

でも今はサイズと色が合うかどうかしか気にしない。

楽しんで買うという感じではない。

まあそんなもんと言えばそんなもんかもしれないけど。

 

そういう生活をしているためか、

もしくは加齢による顔の様相、体型の変化によるものか、

昔気に入って買った服が似合わないという現象が起きている。

もちろん昔から似合わなかったという可能性も否定はできない。

ただ、こんなにも似合わないかという感じでややみすぼらしい。

服そのものが傷んでいるわけでも、形が崩れている訳でもない。

色味や全体のバランスが何かおかしい。

妻によると年齢とともにそういうもんだと。

そうか、多少は気づいていたけど他人に言われると傷付くな。

やはりここにも年齢はやってきました。

そろそろ服も折り返し地点か。

大丈夫、きっとうまく行くよ。